江戸時代ロシアに渡った大黒屋光太夫とウォッカとズブロッカの考察。
BenFiddich店主の鹿山です。
ポーランドを代表するお酒で
ズブロッカ.ウォッカがある。
ピュアなウォッカのそれとは少し違い
イネ科の芳香植物バイソングラス(Bison Grass)を浸漬させたウォッカ。
クマリンの芳香成分を持っており桜餅にも似た日本人には記憶を呼び起こさせる味わいのウォッカであり鹿山も大好きなウォッカのひとつ
毎年10月には『ズブロッカの日』というイベントまであり鹿山は参加してズブロッカカクテルを振る舞ってしまうほどの情熱を持っている。
BenFiddichにあるズブロッカコレクション
ズブロッカ草はポーランドにある
世界遺産であるビャウォヴィエジャの森に多く自生している。
この森の聖牛であるバイソンがこのズブロッカ草を食べる事からバイソングラスと呼ばれる。
ウォッカの起源と言えば
ポーランド発祥説とロシア発祥説があり国際裁判が繰り広げられた事もある。
ただ、僕らが認識しているあのピュアでクリアな味わいのウォッカというのはたかたが200年くらいの歴史。
白樺の活性炭を用い濾過した手法。それがクリアな味わいのウォッカになった。そして後の連続式蒸留機誕生において96%濃度まで精製されたアルコールで水希釈の世界線。これが今の僕らのピュアな味わいのウォッカなのだ。
ウォッカの起源というのはもっと遡れて
そこから500年以上。
ウォッカの起源の事象を細かく書くと
どこからがウォッカと呼んでいいのか?
にぶち当たるので細かくは書かない。
然し乍ら『生命の水』である事に間違いはない。
ただ、連続式蒸留機、白樺活性炭が確立するまでは単式蒸留機で作られたウォッカ.アルコールであるはずなので粗野な味わいであったのは間違いがない。現代でも粗野な自家製ウォッカは旧ソビエト圏ではサマゴンと呼ばれている。
その粗野な味わいを覆い隠すように
ウォッカに果実(多くはベリー類)を漬け込んだ
ナリーフカ(nalivka)や
ウォッカにハーブ、根を漬け込んだ薬効、効能を求めたナストイカ(Nastoika)。などがある。
ポーランドだとナレーウカ(Nalewka)
つまりはズブロッカ.ウォッカのバイソングラスを浸漬させる行為はナストイカ(Nastoika)などの世界線に当たる。
文献上1600年代にはバイソングラスをアルコールに浸漬した記述も存在しているのでアルコールに素材を漬け込み何かしらの効果を求めたものは日常的にあったと伺える。
これはロマンな話しなんだけれども
江戸時代でも日本人でズブロッカを飲んだ日本人いるんじゃないかって。
1600年代にズブロッカが存在したという事は1700年代後期に船が難破し漂流してロシアに渡りサンクトペテルブルクまで陸路でロシアを横断し時の皇帝の『エカチェリーナ2世』に謁見し帰国を許された日本人大黒屋光太夫なんかはズブロッカを口にしたんじゃないかと勝手に夢想してる。
北槎聞略(ほくさぶんりゃく)は大黒屋光太夫がロシアに漂流し、その体験を記録した書物。
事細かに帰国後の当時の江戸幕府の聞き取り調査から当時のロシアの風俗を紹介した本だ。
ざっくりロシアに10年間過ごした光太夫のロシアでの軌跡を紹介すると
1783年に伊勢を出発。嵐に遭遇して8ヶ月間漂流。アリューシャン列島のアムチトカ島に漂着。
アムチトカ島に漂着しここで4年間。
ロシア人と現地人と共に過ごす。
その後、当時江戸幕府と交易をしたかったロシア政府は交渉材料として光太夫達一行を保護。
カムチャッカ半島に渡り、ヤクーツク、イルクーツクと冬の極寒のシベリアを横断し次々と日本人の命を落としながらなんとか帝都サンクトペテルブルクまで渡る。リーダーである光太夫は時の皇帝エカチェリーナ2世にも気に入られ貴族の茶会にも参加。日本人で初めて紅茶を飲んだ人物とも言われる。そこで帰国を直訴し後に帰国が許される。
世間では日本人で初めて紅茶を飲んだ人物として定評があるが、僕からすればもしかしたら日本人で初めてズブロッカを飲んだ人物なんじゃないかなと夢想と推測ができる。
大黒屋光太夫達が経験し、見聞きした
北槎聞略(ほくさぶんりゃく)には当時の『酒類』についても事細かに書かれている。
カップースといふ草を夏の内に刈りとり細かに裂き乾かし置き......
と書いてある。その後は大麦の粉を水にて練り
カップースの草と麦の練粉を幾重にも重ねて4,5日醸す。と書いてある。
このカップース。調べても調べても出てこないんだけど、ズブロッカ草みたいなのじゃないかなと。
その後には草麹(そうぎく)蒸されて氣鍋底(ゆげなべのそこに)に昇り着き尖りの処より滴りて銅杓の内に入管より傳ひ流れて桶に溜まる。と書いてある。又、海松子(松の実), 薔薇の花、丁子(クローブ)を製する法有李とも書いてある。これはもう先に述べたウォッカにハーブ、根を漬け込んだ薬効、効能を求めたナストイカ(Nastoika)の世界線である。
ズブロッカ草(バイソングラス)というのは何もポーランドにあるビャウォヴィエジャの森だけではない。遠くは東シベリアまで分布をしている。
ロシア政府の保護のもと、長く東シベリアに滞在をせざるを得なかった光太夫一行は現地人の知恵からこの芳香性ハーブであるバイソングラスを口にしたかもしれない。
又、北槎聞略(ほくさぶんりゃく)に描かれている蒸留器は兜釜式でアジアに近い。
アリューシャン列島のアムチトカ島で4年間閉じ込められてた以外はシベリアの大都市イルクーツクに長く滞在していた。そこはモンゴルとも程近いとこからロシアでいながらアジアの文化圏である兜釜の蒸留器が主流だったのかもしれない。又、ここイルクーツクでは光太夫より前に漂着し連れて来られた日本人が3度ありロシア政府の保護のもと日本語学校の教師をさせられてた。彼ら日本人は帰国は許されずここで結婚し子孫を残しその日系2世、3世と光太夫は会っている。実はそこそこ江戸の世でも日本人はロシアに渡っていたのだ。
以前の日本人は皆、南部藩出身(現青森県)という事から訛りが酷く受け継がれた日本語も南部藩訛りだったという事から現代風に正してあげ謝礼として葡萄酒、柑酒(柑橘系)、覆盆子酒(いちこ)をもらったという記録がある。
覆盆子は調べたところどうやらブラックベリーや木苺のようなものらしい。
ここでの柑酒(柑橘系)、覆盆子酒(いちこ)は先にも述べたウォッカに果実(多くはベリー類)を漬け込んだナリーフカ(nalivka)となる。
飲んでみたい。
また面白い記述がある。
そのまま飲めば皮爛れ剥がる故と書いてある。
砂糖と温湯(ぬるゆ)で和して飲むと書いてある。
なんでフランスなのかなぁって。。
色々ページを漁ると
酒は皆焼酎なり。その中でも沸郎察(フランス)より来る『プンシュ』といふ酒を上品とす。又フランツースウォーツカともいふ。
そう、フランツースウォーツカは
『プンシュ』の事だ。
『Punschプンシュ』は元々『Punchパンチ』で
パンチの語源はサンスクリットの(pañca)で、これらの「5」を意味するインドで作られていた飲み物が5つの成分
(アルコール、砂糖、レモン、水、スパイスor茶)の5から成っているカクテルのようなドリンク。それがインドの宗主国だったイギリスに伝わり、「Punch」として知られるようになり
そこからさらにスウェーデンや別言語圏へ移り後に『Punschプンシュ』とり、ボトル詰めカクテルドリンクとなる。
『Punschプンシュ』は1600年代後期より
1700年代にはヨーロッパで大人気の飲み物であった。そこから遅れて西ヨーロッパの文化をどんどん取り入れていったロシアは遅れて『Punschプンシュ』が人気になったのだろう。
『フランツースウォッカ』は外来品だ。
光太夫が漂流したのは1700年代後期なのでこの時代の帝政ロシアは西側ヨーロッパへの憧れからかプンシュが最高級だったのだろう。
この呼び名の
沸郎察(フランス)より来る『プンシュ』といふ酒を上品とす。又フランツースウォーツカともいふ。このレシピも面白い。
美味しそうじゃないか。
これはロシア版プンシュだし、スパイスなんかも入れたりしたんじゃないだろうか。
今はズブロッカ草(バイソングラス)はいわゆるズブロッカウォッカにしか使われていないが昔は
効能、嗜好品両輪求められ色々な使われ方をしていてもおかしくないし、そうだったんじゃないかなと。1700年代後期の鎖国時代に漂流の末にロシアへ漂着し10年間の大冒険をした大黒屋光太夫。きっとズブロッカ草を口にしたんじゃないかと夢想すると楽しい。
そして僕の大好きなズブロッカ草(バイソングラス)を浸漬したズブロッカウォッカ。
遂に2024年9月。
ズブロッカが好き過ぎて
ズブロッカウォッカから
ズブロッカ蒸留所に招待される事になりました。ズブロッカの森(ビャウォヴィエジャの森)
でズブロッカ草摘み体験。
ズブロッカ蒸留所にズブロッカホテル。
ズブロッカ尽くしをしてきます。