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「集中する」とは「ぼんやりとやる」ということ

集中することは「一点をぼんやりと取り組む」ということなのではないだろうか。

集中と言うと、「気合を入れて、自分を律して、一つの物事のことだけを考えて取り組む」というイメージが強い。

しかしこの集中の考え方だと、余計に集中することができなくなったり、努力が無駄になる結末になることがある。

私達は、どれだけ一つのことを考えようとしていても、雑念が途中で湧いてきたりすることがある。

例えば、資格の勉強をしている最中でも、「おなかすいたな」「明日の予定なんだっけ」「部屋の掃除しなきゃな」とか、雑念が勝手に湧いてくる。

このときに、「集中しなきゃ!こんなこと考えてちゃだめだ!」と考えても、余計にその雑念が肥大化して、わたしたちの集中力をそいでくる。

だが、この雑念というものを敵とみなして排除しようとするのは間違いである。

どれだけ集中力のある人や、一つのことに没頭している人でも雑念は湧いてくるからである。

そこで、集中というものの認識を改めて見る。

それが、「一つのことをぼんやりと見つめる」ということである。

この”ぼんやり”というのがミソで、雑念が入ってくるのを前提として物事に取り組むことで、今集中すべきことが少しぼんやりしてくるのだ。

でも、それでいい。雑念が入っても「雑念が来たな。」と認識して、スルーする。

雑念に対して「どっかいけ!」とか「うわ、私集中しないといけないのに歩以下のこと考えちゃってる」などと、反応してはいけない。

雑念を認識したうえでスルーしていく。

先ほど述べたように、我々は「一つの雑念も入らず、ただ一つの物事だけを考えて集中する」ということは不可能だ。

だからこそ、物事に取り組む際に必要なのは”集中力”ではなくて、”雑念に対するスルースキル”なのである。

現代社会でスルーすべきものはたくさんある。

SNSのいいね数や、不愉快な投稿、Youtube Shortsの誘惑、友人からの遊びの誘い、過度な不安や恐怖などなど。

もちろん、これらを軽い気分転換や、5~10分間のちょっとした待ち時間や休憩時間の間に、ちょっと利用するだけなら構わない。

しかしスルースキルがないために、そういったSNSや外部からの誘惑に乗ってしまい、現実の生活が思うようにいっていない人がほとんどなのではないだろうか。

ジムに行くつもりだったのに、Youtubeを観ていたらこんな時間になって、もう行く気がなくなった。

明日は英語の勉強をしようと思っていたのに、深夜までTik Tokを見ていたら朝起きれなくて、結局時間を無駄にしてしまった。

こういう経験をしたことがある人はかなり多いのではないか。

私たちは日々、様々なことに反応している。広告、SNSなどの発達によって、生きているだけで数々の情報が目に入る。

それだけでも私達の脳は疲労して、活力を奪っていっている。

「集中する」どころか、「休む」という行為すらも難しくなったこの時代。

私たちは今一度、自身の日々のライフスタイルを見直してみるべきだろう。

まぁ、不登校ニートの私が一番見直さないといけないのだが。

運営ブログ(https://benchiki.com)では、いろんな記事を書いているので、よければ覗いてみてね。

それではまた。

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