
『憧れ』による『痛み』 | 職場の後輩指導で気づいたこと
こんにちは。ベルギーワッフル男です。
今日は散文的な記事を書いてみます。
最近、職場の後輩指導の中で内省したことがあります。
それは、
憧れを持つのは大事である。
と同時に、
憧れを持つと『痛み』も感じる。
ということです。どういうことか説明していきます。
『憧れ』について
みなさんは『憧れ』を持っていますか?
その対象は『何か』だったり『誰か』だったり。
私もいくつかの『憧れ』を持っています。
例として挙げてみます。
遠い憧れ
岡野昭仁さんのように伸びやかに歌いたい
新藤晴一さんのように格好良くギターを弾きたい
身近な憧れ
上司の○○さんのように人を惹きつけるプレゼンテーションができるようになりたい
同級生の○○のように会社に縛られない『個人としての生き方』を確立してみたい
スキルとしての憧れ
自分の想いを上手く言語化して発信できるようになりたい
(具体例)
あつみゆりかさん(完コピ読書術 著者様)
戸田大介さん(継続する技術 著者様)
私は以上のような『憧れ』を持っています。
『憧れ』をもつ功罪
私は憧れを持つことには功罪両面があると感じています。そしてその功罪は『憧れを抱いてからの時間経過』によって徐々に変化すると考えています。
功
憧れを抱いた『直後』に感じるのは以下のようなことです。
目指すべき方向やゴールが明確になる
真似すべき相手ができる
努力するモチベーションになる
これらは分かりやすいメリットかなと思います。
罪
一方で『憧れへの道』を歩み始めると、以下のような状況に出会います。
憧れの相手と自分の現在の『距離』に直面する
憧れの相手には『才能』と『培ってきた努力』があります。しかし、自分はその両方を持っていません。となると、憧れの相手への『距離』は途方もないもので、長く険しい旅になります。
これこそが『憧れ』のもつ『痛み』だと思います。
最近の話:後輩とのやりとり
私がこんな記事を書き始めたきっかけがあります。職場の後輩とのやりとりです。
職場の後輩にプレゼンテーションの指導を求められたとき。私は『プレゼンが上手な人を見つけて、その人のファンになるといいよ』と勧めました。誰かのファンになる=誰かに憧れるということです。そうすれば、目指すべきゴールが明確になり、努力しやすくなると考えたのです。
しかし、その直後に内省しました。『後輩を険しい道に誘い込んでしまったのかもしれない』と。恐らくその後輩には、『憧れの人と自分とのギャップ』を痛感するときが来てしまいます。なかなか成長を実感できない『もどかしさ』も感じるかもしれません。
『いっそ憧れなんて持たなければ良かった』と思う時も来るかもしれません。
そこに対して、フォローしていく責任が自分にはあると思っています。誘い込んだのは自分なのだから。そして、その覚悟もないまま、安易に他人に勧めてしまった。それが私の中で何かが引っかかってしまった内省ポイントでした。
まとめ
憧れを持つことはいいことだと思いつつも、『安易に他人に勧めるのは注意が必要』と感じました。憧れとは長く険しい茨の道でもあります。そこに他人を誘い込むのであれば、最後まで責任を持って見届ける覚悟が必要だと思ったのです。
後輩指導などで同じような悩みをもつ人がいれば、その言語化にこの記事が少しでも役立つといいなと思います。
ではまた!