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【GW】沖縄 宮古島トラベルノート|振り返り✈️羽田-宮古1名往復48,980円旅の記録

今回は書き溜めたトラベルノートの19話目。

2023年5月のゴールデンウィークに沖縄の宮古島に妻と旅行に行ったときの話を記録していきます。
この時の旅行はある意味、少ししんどい旅となっていました。宮古島が初めてだったことや、10年ぶりのダイビングだったことや宿泊先もアパートメントホテルて自炊だったり、旅のスタイルもいつもと少し変わっていました。これまでは「何もしない旅」、ただただビーチでのんびり過ごし、疲れたらホテル内で休憩し、現地の観光地を軽く巡るというスタイルが定番だったのですが、今回は少し体力と気力を使う旅となりました。というのも、しんどさの理由は旅行の直前に風邪を引いてしまって、咳が止まらず体調が完全に戻らないまま出発したことが影響していたからでした。

そんな旅を終えて、帰宅後に改めて宮古島のことをもっと知りたくなり、インターネットで色々調べていたときのことです。そこで思いがけない情報を目にしました。宮古島には「うえのドイツ文化村」という施設が存在するというのです。

旅行前は無論、旅行中にもその名前を耳にすることはなく、帰宅後に調べるまで全く知らなかったので、驚きました。

普通、ドイツ村と言えば、古くから既に閉館したところも含めてドイツ文化をテーマにした施設は日本国内にはいくつかの「ドイツ村」が存在していますよね。有名なのは千葉県の「東京ドイツ村」などです。

でも、宮古島に「ドイツ村」があると聞いて、最初は本当に驚きました。沖縄、特に宮古島のようなリゾート地に、なぜドイツ文化に関する施設があるのか、全く予想もしていませんでした。

この「ドイツ村」、実は単なる観光施設ではなく、宮古島に由来する歴史的背景があることがわかりました。それは、インターネットによると約150年前の明治6年に起きた出来事に由来しているそうです。ドイツの商船「ロベルトソン号」が中国からオーストラリアへ向かう途中、猛烈な台風に見舞われ、宮古島沖で座礁してしまったというのです。乗船していたのはドイツ人の船員たちで、宮古島の役人たちはすぐに小舟を使って救助に向かったものの、強風で近づくことができず、結局翌日に再度救助活動を行うことになりました。その間、役人たちは海岸で火を焚き、船員たちを励まし続けたと言います。翌日、無事に全員が救出され、その後ドイツに帰国するまでの34日間、宮古島の人々が手厚い看護を施したという話が残っているそうです。

この出来事をきっかけに、宮古島とドイツの間には深い関係性が生まれ、今でもその歴史を伝える施設が「うえのドイツ文化村」として存在しているのだそうです。この話を知ったとき、改めて「宮古島のドイツ村」が単なる観光誘致施設ではなく、歴史的な背景を持つ特別な場所だということを知りました。旅行中にはその存在すら知らなかった「宮古島のドイツ村」。今思い返してみると、あのときもし知っていたら、もっとその施設のことを調べて、訪れてみたかったなと思います。しかし、旅行後にこうしてその由来を知り、宮古島の歴史や文化に対する理解が深まったことは、またひとつ新たな発見でした。

宮古島には、観光地としての美しいビーチや海のアクティビティ、そしてこのような歴史的な背景を持つ意外な施設まで、訪れる人々にさまざまな魅力を提供してくれる場所です。次回宮古島に行く機会があれば、リゾートはもちろんですが、是非この「宮古島のドイツ村」を訪れてみたいと思いました。
今回のサムネイルは宮古島のお菓子のパッケージにもなるくらい有名な「宮古島まもる君」

とダイビングの時にビックリするくらい真っ青だった宮古の海中を撮影したときのものを使いました。それでは本編をどうぞ。


2023年5月4日 (木) はじめての宮古島

令和5年5月8日から「5類感染症」に移行することで、マスクの常時着用がなくなりつつある。

街中ではすでにマスクをしていない人もちらほら見かけるようになった。3日はゴールデンウィークの初日で、ニュースでは駅や空港、観光地が人で溢れ返る映像が流れている。先週は出張で台湾に行ったが、台湾は日本に先駆けてすでにコロナ規制がほぼ撤廃されており、マスクを着けている人も少なかった。油断して風邪を引き、体調を崩してしまった。ゴールデンウィークの混雑ぶりや、今回10年ぶりとなるダイビングもあり、少し不安な気持ちを抱えながら、いつも通り空港へ向かった。
空港に向かうモノレールも混雑しているかと思いきや、各駅停車に乗ったせいもあってか、車内は意外と空いていた。羽田に到着すると、確かに人は多いものの、ニュースで見たほどの混雑ではなく拍子抜けした。JALのステータスは落ちたものの、優先ルートが使えるおかげで、保安検査場をスムーズに通過してラウンジへ向かうことができた。ラウンジでは、つまみがカレーせんべいくらいしかなかったが、ビールをゆっくり2杯楽しんだ。妻もリラックスして過ごしていた。

出発時間が迫り、出発ゲートへ向かう。往路は、宮古島まで那覇を経由する便だ。普通席だと3人掛けのシートが並んでいるが、那覇経由で長時間のフライトになるため、トイレに気を使わずに行ける「クラスJ」を選んだ。今回は、クラスJが1000円の追加料金で選べるプランだったので、その選択肢を選んだ。なお、帰りは直行便で、普通席は2人掛けだったため、特に「クラスJ」を選ぶ理由もなく、そのまま普通席にした。

妻は飛行機の窓から見える景色を楽しみにしている。東京上空の景色を堪能するため、行きは左側、帰りは右側の席を選ぶことが多い。ルートは事前にはわからないけれど、毎回そのように席を指定している。富士山上空を通る際は、右側に見えることが多いため、機内アナウンスで富士山の案内があると、妻は「見えないかな」と右側を気にしている様子がうかがえる。そんな妻のささやかな楽しみを、できるだけ叶えてあげたいと思っている。機内で妻は「”クラスJ”はやっぱり足元も広々していて、もう”クラスJ”じゃないと飛行機に乗れないかもね」と冗談交じりに笑っていた。

那覇空港に定刻通り到着し、妻がお腹が空いたというのでBLUE SKY売店でポーク玉子おにぎりを2個と、あぐー豚メンチカツサンドを1つ購入してラウンジに向かった。

那覇空港ラウンジでランチ

妻が美味しそうに食べながら、「免税店に行きたい」というので、食べた後、すぐにDFS那覇空港免税店へ向かった。

どうやらサングラスが欲しいようで、サングラスコーナーで真剣に物色している。「本気で選ぶから一緒に見てほしい」と頼まれたので、一緒に選ぶことにした。

ところが、値段が表示されていない商品があったので、店員に尋ねると、店員は別の話を切り出してきた。「お客様、どちらに向かわれるのでしょうか?」と聞かれ、宮古島行きだと伝えると、少し残念そうに「県外への移動の場合でないと、こちらではご購入いただけないんです」と言われた。実は、沖縄に免税店があることには疑問を感じていたものの、深く考えたことはなかった。そういえば、マレーシアのランカウイも免税の島だったことを思い出し、「ああ、同じような仕組みなのかな」と納得した。

妻は「買う気満々だったのに」と繰り返しつぶやいていて、きっと宮古島で新しいサングラスをかけるつもりだったのだろう。その残念な気持ちがひしひしと伝わってきた。気を取り直して再びラウンジに戻り、フライトまでのんびりと過ごした。定刻通りに出発し、無事に初めての宮古島に到着。

宮古空港を出たところ

天気も心配していたが、東京とは違って暖かく、思わず上着を脱いだ。

今回の宿泊先は「ホテル宮古島」という名前だが、一般的なホテルとは少し異なり、キッチンや乾燥機付き洗濯機が備わった「アパートタイプの滞在型宿泊施設」だ。旅行中にダイビングをする予定なので、部屋に衣類乾燥機があるのはとても便利だと思い、この宿を選んだ。また、ネットの評判も良かった。キッチンがあれば、ぜひ贅沢に宮古牛のステーキや新鮮な刺身をスーパーで買って、自炊しながら毎日楽しもうと考えていた。そのため、事前に空港近くに「サンエー宮古島シティ」というショッピングモールがあることも調べておき、到着後すぐにそこへ向かった。

空港のすぐ隣にあると思っていた「サンエー宮古島シティ」だったが、実際には道路を3本ほど渡る距離があり、思ったより歩くことになった。しかも、大きなキャリーバッグを引きずりながらだったので、少し疲れてしまった。ショッピングモールに来た目的の一つが風邪薬を買うことだったので、まずは咳予防に効果がある薬を探し、マツキヨの薬剤師に薦められた「持続性パブロン」を購入した。

風邪薬をペットボトルの水で飲んでから、いよいよスーパーに向かうと、美味しそうな食材に目移りしてどれを買おうかと迷ってしまった。結局、宮古牛の焼肉用カルビとミスジステーキを選び、さらにアグー豚の肉やシーラ(マヒマヒ)の骨抜き切り身、ゴーヤをはじめとする野菜、お菓子などを買い込んだ。

買い物を終え、インストールしておいたタクシーアプリでタクシーを呼ぼうとしたものの、アプリに不慣れだったため、どこで待てばいいのかよくわからず、とりあえずタクシー乗り場で待つことをメッセージで伝えて、乗り場へ向かった。その途中、妻が気を使って荷物を持ってくれた際、妻のオーバーオールの胸ポケットに入れていたスマホを落としてしまい、保護ガラスが少しひび割れて、左サイドにも傷がついてしまった。妻はかなり悲しそうな顔をして、電車の中などで割れたスマホを使っている人を見ると、いつも切ない気持ちになると言っていたので、自分のスマホが割れてしまったことが気になって仕方ない様子だった。帰ったらすぐにガラスを貼り直してあげると言うと、少し気を取り直した様子を見せた。予定通りタクシーが到着し、乗り込んで宿泊先へと向かった。

空港と同じように、街全体がどこかのんびりとした、落ち着いた雰囲気を漂わせている。ホテル宮古島に到着すると、外観はまるで小さなマンションのようで、入り口には暗証番号を入力する装置が取り付けられていた。

メールで届いた暗証番号を入力して中に入ると、後で気づいたが、その暗証番号は宮古島にちなんだ数字で、なかなか覚えやすかった。部屋は4階にあるが、エレベーターは4階と5階の中間に停まるため、エレベーターを降りたら少し階段を下りて4階に向かう必要がある。階段を下りた先にある角部屋が宿泊する部屋で、鍵も暗証番号式だった。鍵を開ける方法は、暗証番号のほかにURLを使って開ける方法もあるが、スマホを毎回取り出すのが面倒に感じたので、結局暗証番号を覚えて使うことにした。

部屋は32㎡と広めだが、ベッドはそれほど大きくないダブルベッドで、家具もソファと鏡台くらいしかなく、少し空間がだだっ広く感じられた。キッチンは控えめなサイズで、低めの小さなコンロが1台だけ。調理台も狭く、あまり広々とはしていない。

キッチンは学生の一人暮らしのような大きさ

洗濯機と衣類乾燥機は別々に設置されているため、洗濯が終わったら自分で衣類を乾燥機に移す必要があるが、それでも便利には違いない。

洗濯機と乾燥機

全体的に掃除が行き届いており、壁や床も清潔で新しい印象を受けた。
ベランダから外に出ると海が見えた。

ベランダから見える海

荷物を置いた後、妻はさっそくダイビングショップに連絡し、翌朝9時にホテル前で迎えに来てもらうことになった。時刻も夕食時になっていたので、夕食を作ることにした。狭いキッチンで効率よく作れるものを考え、沖縄そばと豚肉、パック野菜を使って、鍋ひとつで煮込むシンプルな沖縄そばを作ることにした。味付けは「塩コショウ」のみで、他に調味料として使えるのは「焼肉のたれ」しかなかったため、自然とその味付けに落ち着いた。特別にまずいわけではなかったが、そばの量が予想以上に多く、少し残してしまった。

食後はお風呂に入り、試しに洗濯もしてみたところ、思ったより衣類乾燥機に入る量が少なく、一度にたくさん洗濯してしまうと、何度かに分けて乾燥をかけなければならないことがわかった。さらに、乾燥機の音がかなり大きいため、夜中には使えそうにないことも確認した。そんな感じで一通りの確認を終え、翌日の体調を考えて早めに寝ることにした。

2023年5月5日 (金) 宮古ブルーからの苦行

早めに目が覚めた。天気はやや曇り空だったが、雨はなさそうだ。妻が起きる前に、昨日スーパーで買ったドリップ式のインスタントコーヒーを淹れ、妻を起こした。朝食代わりに沖縄の揚げドーナツのようなお菓子を1つ食べ、その後風邪薬を飲んだ。日焼け止めを塗って水着に着替え、ダイビングの準備をしているうちに、気づけばもう9時近くになっていたので、1階の待ち合わせ場所へ向かう。
ほどなくして、ダイビングショップ「パイプライン」のスタッフがマイクロバスで迎えに来た。

今回選んだダイビングショップは、宿泊先から近く、Googleマップで評判が良かったので決めた。今日は体験ダイビングの1組と、自分たちだけのファンダイビングという構成だということだった。10年ぶりのダイビングで少し不安もあったが、人数が少ないのはありがたい。ゴールデンウィークにこんなに空いているダイビングができるのはラッキーだと思った。

ショップに到着すると、おしゃれなカフェが併設されていて、内装もきれいで印象が良かった。

小綺麗な内装
併設されたカフェ

まだ新しい店かもしれないと感じた。注意事項や誓約事項が記載された申込用紙にサインをし、待っていると、もう一組、年齢が自分たちより少し上と思われるご夫婦がレンタカーで到着した。準備が整ったところで、送迎のマイクロバスに乗り込み、いよいよ港へ出発する。港はすぐ近くで、3分ほどで到着した。

港直下の海の色は、いきなり「宮古ブルー」で、これまで海外の海にも何度も行ったが、こんなにきれいで澄んだ海は初めてだった。妻もその美しさに感動していた。船は新しく、温水シャワーやトイレも完備されており、常に麦茶、ポカリ、あたたかいコーヒーが飲み放題で、船酔い用の飴も準備されていて、細かい気配りが感じられた。ウェットスーツもすぐに渡され、腰まで着替えた。心配していたタンクとレギュレーターなどもあらかじめセットされていて、かなり楽にダイビングできることが分かった。予約は2ボートだったが、調子が良ければ3本目も大丈夫とのことだった。

浅瀬の水色が徐々に濃い青に
伊良部大橋が見えた

船を出して30分ほど経つと、クールバスクリンのような浅瀬の水色が徐々に濃い青に変わり、1本目のダイビングが始まった。ショップが気を利かせて、海底がサンゴと砂地がほとんどの場所を選んでくれた。今回はフィンも大サービスで、海中で履かせてくれるという配慮もあった。慣れていない自分たちにとってはありがたい配慮だった。

妻が最初にマスクを着けて入水したが、ここで小さなトラブルが発生した。耳が抜けないと言って苦しそうに何度も水面に上がってしまった。かなり苦労しながらも、なんとか入水できた。その後、私の番となったが、耳は抜けたものの、呼吸がうまくできず、すぐに息が上がってしまってしばらく入水できなかった。何とか息が落ち着くのを待って入水し、海底を目指して潜ると、呼吸が安定する感覚を得ることができた。

1本目が終わり、海面で鼻の下を拭うと、借りた軍手に血がたくさんついていた。鼻血が出ていたのだ。少し驚いたが、耳抜きの際に鼻血が出ることがあると聞いていたので、冷静になった。その後、船に戻り休んでいると、妻が苦しそうな表情で上がってきた。彼女のマスクには海水が半分ほど入っており、その色は真っ赤になっていた。妻も鼻血が出ていた。妻のマスクは以前から不調だったが、今回うまく潜れなかった原因も、このマスクの不具合が大きかったと思う。

体力を回復させ、気を落ち着けるために小休止をとり、2本目に挑むことにした。前回、妻が苦しんでいるのを見て可哀想だったので、今回はマスクを交換してあげることにした。妻が苦戦していたマスクだったが、なんとかなるだろうと思って交換したものの、妻のマスクは予想以上に不調だった。もともとダイビングや泳ぎが得意ではなく、さらに10年のブランクもあって、最悪の状態になっていた。潜る際にも苦労し、なんとか入水できたものの、マスク内に海水が常に入ってきて、何度もマスククリアを試みたが、何度やっても海水が大量に入り込み、最終的にはあきらめて目をつぶったまま泳ぐことにした。目をつぶっているわけにもいかないので、インストラクターのフィンを目安にたまに目を開けて確認し、また目を閉じるという繰り返しで、終始その状態だったため、景色を見る余裕はまったくなかった。

なんとか苦行のような潜水が終わり、船に戻ることができた。再び鼻血が出ていた。妻は、今回は楽に潜れたようで、確実にマスクのせいだということが分かった。妻だけでも潜る楽しさを味わえたことが、せめてもの救いだった。

さすがにインストラクターも、3本目を潜るようには誘ってこなかった。船上で用意されていた弁当でランチタイムとなり、ホッと一息つくことができた。弁当にはスパムを焼いたものやニンジンのチャンプルなど、典型的な沖縄料理が盛り込まれており、お腹が空いていたこともあって、良い景色の影響も相まって、思いのほか美味しく感じた。ゆっくりと食事を楽しんだ後、完食して港へ帰還。これで1日目のダイビングは無事終了した。

マイクロバスでショップに戻ると、一緒に潜った夫婦の奥さんと少し世間話をしているうちに、昨晩の夕食の話が出た。どうやら、油断して予約せずに行った結果、何店舗回っても満席で入れなかったそうだ。最終的に、地元民がよく利用するような、メニューも少ない定食屋で食事を取ることになったとのこと。危うく夕食難民になりかけたと言っていた。確かに、空港から来た際にタクシーの運転手も、「予約しておかないと、予約なしだと相当早く、17時くらいに入らないと食事できないよ」と言っていたことが、本当にその通りだと思った。今日はダイビングショップでの精算もなく、送迎してもらったまま、直接ホテルへ戻ることになった。

部屋に戻ると、早速水着などを洗濯し始めた。洗濯をしているうちに、妻のお気に入りだったオーストラリアで買ったピンクのリップカールのラッシュガードに異変に気づいた。ゴムっぽいロゴが長期保存の影響で溶け出してしまっていて、これではもう着られない。新しいものを調達しなければならないなと思った。コーヒーを飲んで気持ちを落ち着けた後、ラッシュガードや水着、そして室内スリッパ(妻がホテルの使い捨てスリッパに足が合わない)などを買いに行くことに決めた。

今日はホテルで用意している自転車を2台借りて出発。Googleマップで調べたところ、サンエーの衣料館がスーパーと併設されていることを発見し、そこを目指すことにした。道中で大型のドラッグストアを見かけたので立ち寄り、念のためスリッパも探してみると、ちょうど目当てのものが見つかったので購入。その後、目指していたサンエーの衣料館に到着したが、予想通り「しまむら」のようなラインナップで、妻が欲しがるような水着は見つからなかった。

仕方なく目の前にあったスポーツショップに立ち寄った。

中に入ると、まるで田舎の商店街にある個人経営のスポーツ用品店のような内装だったが、やや可愛めの前開きチャックのラッシュガードを見つけ、購入。残念ながら水着は買えなかったが、前開きなら寒くなったときに脱げるので良しとした。

来た道を逆回りでホテルに戻る途中、市役所前や交番前の「宮古島まもる君」(独特で不気味な顔が評判の宮古島の観光マスコット)の前で写真を撮った。

宮古島まもる君

妻が、Googleマップで見つけた南国雑貨ティダという店を思い出し、そこに向かうことを提案してきた。

南国雑貨ティダ入口

急いで向かうと、まだ店は開いていて、小さな店の中に意外にも多くの人がいた。可愛らしい水着もいくつかあったが、形が合わなかったので、水着の上に着られるショートパンツを購入し、店を出た。

坂を下り、海岸にそって沿いにホテルへ戻る。

海岸にそって自転車を走らせる

借りた自転車を所定の場所に返却して部屋に戻った。洗濯を回しながら、夕食には宮古牛の焼肉を食べることに決めた。カルビは予想以上に油が多くて驚いたが、できるだけ油を切って焼き、焼肉丼にして美味しくいただいた。ダイビングとサイクリングでだいぶ疲れて身体も冷えたので、風呂でゆっくりと身体を温めた。

その後、妻が電話でダイビングショップに確認したところ、明日は7時40分に送迎が来ることが分かった。また、ダイビングショップからは今日の水中で撮影した写真が妻のLINEに送られてきており、妻はそれを見てとても喜んでいた。疲れもあって、あっという間に眠りに落ちてしまった。

 2023年5月6日 (土) 10年ぶりのダイビングを克服

昨日と同じくらいの時間に起き、コーヒーを淹れて水着に着替え、7時40分を待った。迎えに来たマイクロバスに乗り込むと、今日はスノーケルのお客さんが5名いるとのこと。家族らしい。昨日と違って、マイクロバスはもう一か所でお客さんをピックアップしてからショップへ向かった。今日の同乗客は自分たちの他に計5名で、そのうち4名はファミリー、1名は単独の女性だった。ショップで少し時間があったので、ショップ内のカフェでホットカフェオレを一杯飲んだ。

準備が整うと、昨日と同じ港へ向かい、船の上でウェットスーツに着替えて出発の準備を整えた。船には家族連れが乗っていて、小学生くらいの子供が2人いた。ふと、ずいぶん前にグアムで行ったボートダイビングのことを思い出した。そのとき、船酔いがひどくなって泣きじゃくっていた白人の小学生くらいの子供を見て、そのシーンが頭をよぎり、少し心配になった。

今日はインストラクターが3名に増えており、さらにスノーケル専用のアルバイトスタッフも加わった。そのスタッフは普段、素潜りの漁師をしていると言っており、ちょっとユニークな経歴に興味を引かれた。

船は出発し、昨日と同じように伊良部島のダイビングポイントに向かって進んだ。1本目では、ファミリーが体験ダイビングとスノーケルを行い、女性の1名はスノーケルをすることになった。昨日、マスクの調子が悪かったため、今日はショップに度付きのマスクを用意してもらっていた。自分は入水時に呼吸がうまくできず、息が上がってなかなか潜れなかったが、何とか水中に入ることができた。

船の入水付近からなかなか潜れなかった。

マスクのおかげで、海中での視界もクリアになり、少しずつ余裕が出てきた。船に戻ると、やはり鼻血が出ていたが、妻はだいぶ落ち着いて潜ることができていたようだ。

2本目は、インストラクターがスノーケルを提案してくれた。久しぶりのスノーケルで、アルバイトの漁師スタッフの後を必死に追いかけて泳いだ。

水中を覗くとウミヘビが泳いでいるのが見えた。

水中とは違って波があって進みにくいが、何とか泳ぎ切った。すっかり疲れてしまったが、船に戻るとお弁当が用意されており、昼食タイムとなった。昨日のお弁当が美味しかったので、今日はどんな内容か楽しみにしていたが、今日はご飯ではなくパンだったものの、同じおかずが並び、味は変わらず美味しかった。

船の上で食べるお弁当としては十分

妻が少し残したものをもらって食べるほど満足感があり、次のダイビングへのエネルギーとなった。

2本目のダイビングでは、「青の洞窟」と呼ばれる有名なスポットへ向かうことになった。伊良部島の岸壁にある洞窟に潜り、水面から直接洞窟に向かうというダイビングだ。このスポットは人気が高く、タイミングが重なると非常に混雑するため、インストラクターが時間を見計らって私たちを促してくれた。まだ少し息が上がっていたが、前回よりスムーズに入水でき、だいぶ余裕を持つことができた。サンゴ礁を眺めながら洞窟に向かうと、大物や珍しい魚には出会えなかったが、洞窟に到着すると予想通り誰もいなくて、静かな空間が広がっていた。水中から洞窟の外を見ると、真っ青な海と光が差し込んで、洞窟の壁が青く輝いて見える光景に息をのんだ。

最後には余裕を持って周囲を眺めながら、気持ちよく潜ることができた。

最後は余裕をもって泳げた

2本目のダイビングを無事終え、港に戻る船の中で、ゴールデンウィークという繁忙期に、ほぼマンツーマンのインストラクターと一緒に10年ぶりのダイビングを体験できたことを改めてラッキーだと感じた。この機会にダイビングの楽しさを再確認し、海の美しさとその経験に心から感謝した。ショップに戻り、精算を済ませた。ショップ側のサービスに感謝し、次回来る際もぜひ利用したいと思った。

その後、送迎でホテルに戻ると、冷蔵庫に残っていた食材が気になり、お腹も空いていたので、ミスジステーキと牛ロースの切り身を焼いて食べることにした。小さめの肉だったので、焼肉のタレをかけて、ご飯と一緒にあっさりと楽しんだ。

昼間の活動で疲れていたので、夕日を見ながらの散歩が心地よかった。海沿いの道を歩いてパイナガマビーチ前のファミリーマートに向かう途中、ビーチで足を浸すと、宮古島の海水の透明度に再び感動した。しかし、ファミリーマートに着く頃、妻のクロックスのビーチサンダルの鼻緒が切れてしまった。旅先ではよくある小さなトラブルだが、幸いにもファミリーマートの前だったので、すぐに黄色の島ぞうりを購入し、古いクロックスはその場で処分した。

ファミマで購入


ついでに紅芋タルトのカップアイスを買い、食べながらホテルへ戻った。甘さがさっぱりしていて、散歩の締めくくりにぴったりだった。

部屋に戻ると、風呂に入ってリラックス。風呂上がりには冷蔵庫に残っていた食材で夜ご飯を作ることにした。野菜と豚肉をサッと茹で、冷たいソーキそばスープをかけていただくと、シンプルながらも宮古島の味を感じられる美味しい一品になった。明日は最終日。特に予定も決めていなかったので、のんびり過ごすつもりでそのまま眠りについた。

2023年5月7日 (日) 自炊バーガー旨っ!

最終日は特に予定もなく、ゆっくりと目を覚ました。チェックアウトは11時だったので、まずは冷蔵庫に残っている食材を整理することに。残っていたのはチーズ入りのパン、薄切りの豚肉、そして沖縄そば。朝ごはんに、豚肉を焼肉のタレで焼き、細かく千切りにしてチーズ入りパンに挟んでみた。焼肉バーガーのような見た目で、チーズ入りパンと相性抜群。照り焼きチーズバーガーのような味わいで、予想以上に美味しく仕上がった。

照り焼きチーズバーガーのような味

このバーガーを4つ作り、朝食として1つずつ食べ、残り2つは昼食用にジップロックに入れて保存した。沖縄そばは残念ながら使いきれず処分したものの、ほぼ食材を使い切れたことに満足し、キッチン周りを片付けた。生ゴミは虫防止のため冷凍保存していたものをまとめて1階のゴミ捨て場に捨て、ついでに不調だったマスクも処分した。

その後、パッキングを進めていると、もうチェックアウト時刻が迫ってきた。妻も準備が整い、部屋を最終確認して忘れ物がないかチェック。チェックアウト時にドアノブに緑色のリボンをかけるように言われていたので、リボンをかけてチェックアウトを無事完了させた。1階でタクシーアプリを使ってタクシーを呼ぶと、すぐにタクシーが来て、空港へとスムーズに向かうことができた。

空港に到着してチェックインを済ませ、リップカールの荷物を預けた時点で12時過ぎ。少し空港内の土産ショップを散策し、朝に作ったバーガーを空港のベンチでランチ代わりに食べると、あっという間に12時40分に。飛行機の出発は14時40分なので、少し時間を有効に使おうと、初日に訪れたショッピングモールへ向かった。マツキヨで再び風邪薬を補充、スーパーのお土産コーナーでいくつかお土産を購入。空港内よりもずいぶん安く買えたので、満足感があった。

空港に戻ると、保安検査場の列がすごく混雑していた。ネットで宮古空港の保安検査場が混むと聞いていた通り、やはり大混雑だった。検査を終えた時には出発の15分前となっていたので急いで搭乗ゲートに向かった。帰りは普通席だったが、2名席だったため、周りに気を使うこともなく、ゆっくりできた。飛行機は定刻通りに出発。

機内で妻のスマホをWi-Fiにつなげると、ダイビングショップからダイビングのログ記録や昨日撮影された写真が送られてきて、妻もその瞬間を機内で感激していた。羽田空港に定刻通り到着。

連休最終日ということで羽田空港はさすがに混雑していたが、モノレールは意外にも混んでおらず、乗り継ぎもスムーズに帰路に着いた。

旅の費用

ダイビング料金が安かった。

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