すべてが嫌になり海外逃亡した話
こんにちは。DMC天童温泉の鈴木です。
山形県天童温泉で、山形ならではの体験やツアーを作って、売って、受け入れています。
今日は高校生の時に海外に逃亡した時の話をまとめたいと思います。だんだん記憶が薄れていっているので、アーカイブとして残すために記していきます。
それに加えて、この話が誰かの海外に行くきっかけに、後押しに少しでもなれば幸いです。
早速本題に入りますが、結論「高校時代に学校に行くのをやめて、タイとシンガポールに逃亡した」っていう話です。
ただ、その経験があったからこそ今の僕がいて、今の仕事をしていると断言できます。
あの時、あの瞬間に、あの行動をしていて良かったなと改めて思います。(でもこれって、数年後とか数十年後にしかわからないことだし、気づけないんだよね涙)
定期的に嫌になるマン
今もですが、定期的にすべてが嫌になることがありましてですね、当時高校生だったまこと少年も学校とか人間関係とか日本とかすごく嫌になってました。
たぶん1番は大切ななにかを失ったこと、部活を引退して学校に行く意味がわからなくなってしまったからだと思います。
あとは、当時姉がシンガポールにいたことも決め手にはなったと思います。
そんなこんなで、親の了解を得てたしかHISで航空券だけ買って(宿泊先は、姉が住んでたコンドミニアム)初めての海外旅行に飛び立ちます。
知らないは罪
初めての海外旅行だからドキドキしてたのかどうか今では思い出せないけど、たぶん緊張も恐怖もなかったはず。
何も知らなかったから。
海外に行ったこともないし、今みたいにガンガン外の情報を自分で取れる状況じゃなかったからね。
航空券とパスポートと何冊かのパスポートと数日の着替えがあれば大丈夫でしょう。なんとかなる!と思ってたのはなんとなく覚えてます。(今でもその感覚だから)
ただ、やっぱりルールはルールで知らないといけないこともあった。
今では、当たり前すぎてごく自然にやるけど当時ミスったのは、現地の空港到着した時にイミグレーションで渡す出入国カードの存在を知らなかったこと。
だいたい機内でCAが配ってるからそれもらって、機内で書いておいて到着したらすぐにパスポートと一緒に提出できるようにしておくのがベター。
ツアーとかだと、旅行会社が事前に記入して渡してくれるサービスもあるけど。(旅行会社にいたのでそのサービスやってました)
ちなみに出入国カードには、名前、国籍、パスポートナンバーとかとか色々な情報を記載して提出するものです。
それを書くのを知らずにイミグレーション通ろうとしたら現地係員に、カードも一緒に出してくれと英語で言われました。
なんのことかさっぱりわからずキョトン。笑
係員がこれだよこれ!ってカードくれて、あーこれか!ってなりました。
テーブルみたいなところがあったので、書こうと思ったらペン持ってない!!!!ということに気が付きました。ペンぐらい持って行けよまこと少年。
そしたら目の前に、テーブル備え付けのボールペンがあって助かりました。
と思ったら、全然インクなくて書けねーーの。
おい。何本かあったけどどれも書けない。終わった……
空港から出れない。
携帯も海外で使えない時代だったから、誰かに連絡することもできない。
ここで、気づきました。借りればいいんだ!!!
ただここは異国の地。まわりに日本人ぽい人はいない。欧米系かアジア系の外国人しかいない。
日本語でペン貸してくださいなんていっても通じない……かもしれない。
でも英語も通じるか心配。そもそも貸してってどうやって言うんだっけ状態。
高校は、1年〜2年までは文系で、3年の時は国際系のクラスに進み、数学がない代わりに英語の授業が多かったのに。
いざ、使う英語となると出てこない。日本の試験用の英語学習は、現場ではまったく役に立たないじゃないか!!!と教育のせいにしてました。
でもね、人間やればできる。出てきましたよ、言葉。
" I can lend me a pen!!"
僕に話しかけられた外国人は、??状態。
あれ、なんかおかしかったか。
もうお分かりですよね。何言ってんのこいつ状態。
違うやん!俺のペン貸せるで〜〜!!って突然話しかけられたら怖いだろ!
そしたらその人、僕がペンがなくて困ってることに気づいてくれたのか持ってたペンを貸してくれました。
神!ゴッド!感謝!!涙
しかも、それあげるよ〜みたいな感じでそのまま歩き去っていく後ろ姿を見て、こういうスマートな大人になりたい!と思ったのを思い出しました。今。
今思えば簡単な英語でした。
”Can I borrow a pen?”
苦い初ネイティブトークとなったのは言うまでもありません。
初めての海外の匂いと刺激
海外の空港って、降り立つとその国の匂いがする感じがあります。
あんまりはっきりしたことは言えないですが、そんな感じがあるってことです。
この匂いも当然ながら初めて感じる匂いなのでとても新鮮です。
海外に来た!!!っていう感じですね。
あ、ちなみに訪れた国はシンガポールです。先程の空港でのくだりは、シンガポールのチャンギ空港での出来事です。
東南アジアが人生で初めて降り立った海外。そしてシンガポール。
話ぶっとびますが、まこと少年は大人になり旅行会社に入社します。山形に来る前に辞めることになりますが、その時の最後の海外添乗がシンガポールでした。
縁があるんですかね。思い出の地であり、僕のアナザースカイです。
初めて訪れた空港で、何をしたらいいのか分からずでしたが、姉と合流しなんとか空港を脱出。
1週間くらい滞在したのかな?日本と違って、タクシーは比較的安かったので移動手段は基本タクシーでした。
あとは、調べることもできない状況(スマホとかない時代だし)なので、ひたすらオーチャードロードを行ったり来たりしたり、マーライオン見たり、たくさん歩いていました。
そもそも日本での生活が嫌になっていたので、海外に出た時にどうなっちゃうのかなと思っていました。
どこかの広場で腰をかけて、持ってきてた本を読みながらスコールに打たれびしょびしょになり、東南アジア特有の気候に驚きと喜びを感じていました。
そう、この時点で日本でのことなんてほとんど頭の中から抜けていました。
よく言われるセリフですが、世界に出ると日本にいた自分とそのまわりで起きた出来事なんてあまりにも小さすぎる。
それを身をもって感じました。
現実逃避と言われればそれまでですが、世界に出ることで得られる経験と刺激はとてつもないデータ容量です。日本にいた時のちっぽけな出来事が1KBだとしたら、海外での経験は1TBぐらいのインパクトがありました。
インストールにめちゃ時間かかった。
ただ、日本での経験も馬鹿にならないですし、当然のその1KBの積み重ねが今の自分を構築しているので日本を否定しているわけではありません。
多様性を知り、自分を知る
シンガポールでの滞在中は、姉は仕事だったのでひとりでぷらぷらすることが多かったですが、ある晩姉の仕事の同僚?先輩?に夜のシンガポールを見せてもらいました。
俗に言う、大人の社会科見学ですね。
社会のというか世界のというか、裏側を覗いたような感覚。
ここではあまり言えませんが、こういう世界が社会を裏側から支えている(肯定していいのかどうか)のかなとか、新たな発見がありました。
そして、シンガポールから次の国タイへ。
タイは、旅行会社入社後毎年のように行っていた国で、こちらも思い出深いところです。
シンガポールはとても綺麗な街並で、ビルとかも多いけど自然と調和してて近代的な街だなと印象に比べて、タイは素朴な発展途上国っていう感じが強かったです。
今はバンコク中心にかなり開発が進んでいるので、かなり変わってきてると思います。
人々は優しいし、落ち着く国ですね。
でね、タイで何したかさっぱり覚えてないんだよね涙
アユタヤとかの遺跡には遠出しなかった気がする。バンコクの寺院には行ったと思うけど……BTSに乗って、オセロ?おはじき?みたいな切符には驚いた。
シンガポールもタイもそうですが、日本以上に多国籍で、アジア系もいれば欧米系の方も住んでるし、旅行者もバリエーションが豊富。
いろんな国の方と関わる中で、英語で話なんてできなかったけど、日本との違いは肌で感じることができました。
テンションは高いし、オープンだし、はっきり言うし、一緒にいて楽しいと思える方が多かったです。
では、自分はどうだったかと言うと、殻にこもるし、誰にも基本相談しないし、どちらかと言えば陰キャ。
はっきり物事を言える性格でもない。
学生時代よく言われてたのが、「まこといると眠たくなる」です笑
みんなは一緒にいると落ち着くんだよ!ってフォローしてくれてたけど、やっぱりテンション高い友達とか頼られる人を見ると羨ましいなと思ってました。
そんな僕に、シンガポールとタイでの多様性に触れる経験が訪れ、自分は自分、他人は他人。という考えと、日本での出来事の小ささ、そんなに気にしなくていいんだよ!大丈夫だ!世界はこんなに広い!ということを分からせてくれた旅になりました。
10代のうちに海外に出ておいてよかったと今でも思います。
帰国後
結局、タイからまたシンガポールに戻り、シンガポールから日本に帰国しました。
実は、この海外旅行に行く前あたりから学校に行ってなくて、荒川の土手とかで本読んだり、自転車で東京まで行ってみたり、それなりに楽しく好き勝手過ごしてました。
そして、海外にまで行ってしまったものだから、帰ってきて担任からえらい怒られた気がします。
このままじゃ卒業できないぞって言われたような……
ま、でも無事に卒業してるから大丈夫だったのだと思います。
高校卒業後は、旅行系の専門学校に進学します。
ひとりの人生を変える力を旅は持っていると、この旅で痛感したので、それを自分以外の誰かに実現できる仕事として旅行会社に行きたいと思いました。
当時は(今も?)旅行会社に入社するために、大学か専門を出る必要がありました。
大学に4年間もってかれて遊び呆けて過ごすのは自分には合わないと思い、最速で旅行会社に入るために旅行系の専門学校を選びました。
そして2年後、就職氷河期を乗り越えて念願の旅行会社に就職。
今に繋がる新たな1歩を踏み出したのです。
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