すずめの戸締まり感想文

すずめの戸締まりを見てきました。
公開2日目に見てきたのですが、パルデア地方の旅に出かけていたので感想文を書きあげるのがすっかり遅くなってしまいました。
最近2回目を見たので感想文を書きあげることができました。

本作品についてインターネットで感想をざっと漁ったところ、賛否両論の意見が見られました。今作は東日本大震災をテーマに扱った、災害への脅威を思い起こさせる話です。(新海誠の意図していたところとはいえ)前作、前々作のように決して万人受けを狙った痛快エンターテインメントではなかったことから意見が分かれるのはやむを得ないと思っています。
また前作、前々作のヒットに釣られて観た層が不意に傷ついてしまうこともあったと思われます。私は仙台の映画館でこの作品を見たのですが、かつての震災を想起させるシーンやアラームのシーンでは文字通りの息をのんだ音が場内から聞こえてきました。

しかし私はこの作品を、新海誠の集大成に位置づけられる作品だったと思っています。この作品のために糸守町に隕石を落として東京を水没させたのだろうとまで思っています。

詳細は劇場配布新海誠同人誌に書いてあったのですが、『星を追う子ども』の製作中に東日本大震災が発生したこと、それが新海誠の価値観に大きく影響を与えたこと、また前作、前々作でも災害をテーマとして扱っていたが、そこから月日が経って監督がそれをファンタジーな置き換えでなく、当事者として向き合い、主題として扱う覚悟ができたこと、災害についての記憶が薄れつつある今やらないといけないと思ったことが語られていました。

心理学的に人間が大きな喪失を受け入れるまでには「喪の作業」と呼ばれる、無感覚、否認、絶望、再建の4段階を経るそうです。新海監督はそれを意識していなかったそうなのですが、前々作『君の名は。』では隕石による災害を過去のこととして人々の記憶から消し去り、また過去に介入したことでなかったことにしました。前作の『天気の子』では、沈没した東京が、沈没を受け入れて再建している様子が描かれています。
本作はそこからさらに進んで、被災の当事者が明日を見つける物語。乗り越えた人々と交流し、失ったものを受け入れて明日への一歩を踏み出したという点で、新海監督のこれまでの集大成だと思いました。

ちなみに本作品は『星を追う子ども』と世界観や死生観が微妙に似ていたり似ていなかったりする気もしますが、あまり気にしなくていいと思います。気になった人は観てもいいと思いますが、それより『言の葉の庭』を観るのがオススメです。

以下本題に入ります。

前半部分-捨て鉢の女岩戸鈴芽-

戸締まりのロードムービーパートでは結構無茶をしていましたね。制服のままフェリーに乗り込み、山道を走り、特に兵庫の廃遊園地の観覧車にしがみついたり。すずめは危険なこともあまり躊躇せずに行っていました。常世の景色に魅入られていたことも印象的でした。

前半パートで描かれていたことは
・すずめは非日常に踏み込むことへほとんど難色を示さなかった
・=現実を生きていない、心は常世に迷い込んだ子供のころで止まっている
だと思いました。母親の死を乗り越えられず、「あの日」を境に心は死んでいたのと同然。現実を生きておらず、今を生きる自分に価値を見いだせていないので、突如目の前に現れたファンタジーに踏み込んで無茶なことを平気でできたのだと思っています。

そんな旅の中で出会った人々。すずめを人間を助け、助けられ、「今」を懸命に生きています。これらはいずれも災害があった地域で、災害を乗り越えて日常を取り戻した人々です。彼女らの存在によっていろいろな形で進行している現実をすずめは理解していくこととなります。
彼女らから衣類をもらう=現世の人間へなっていくのもよかったですね。

戸締まりをするためには「そこで生活していた人々のことを思う」必要があるのも後々効いてくる設定ですね。

中盤パート-宗像草太という男-

東京に来ました。12話構成のアニメだったらここまでにもう2か所くらい戸締まりしてさらに多くの人々の「現実」と向き合っていたと思います。

ここでは宗像草太がファンタジー世界のヒーローでなく、自分の現実を生きていた一人の人間であることが明かされます。アルバイトをして、職場の人から慕われ、大学に通い、友人のいる普通の人間。ここでも着の身着のままで飛び出したすずめとの対比が目立ちます。

東京の要石となってしまった草太さんを、苦心の末にミミズに刺してしまうすずめ。東京か宗像草太一人を天秤にかけた末に宗像草太を選べなかったことで、すずめも現実を生きる一人の人間であることを描いています。

ここで世界か惚れた女かを天秤にかけて躊躇なく女を選んだ前作『天気の子』との対比が目立ちますね。帆高くんは清濁混ざった東京を見たうえで、東京を壊して陽菜さん取り戻す覚悟を決めた。すずめは現実を生きていないので東京を破壊して多くの人々の現実を壊す重責を背負う選択を取れなかった。
またすずめはかつて被災の当事者であったため、東京を破壊して大勢の人の生活を壊すことも許せなかったのでしょう。「間違っているのは世界の方」であったとしても、軽はずみに壊すことなどできないのです。

すずめがミミズにつかまって天に昇ったシーン。靴が脱げて地面に落ちたところでも『天気の子』の指輪を思い出しました。空に昇る=この世との別れにつながります。すずめではなく草太さんが囚われのヒロインとなってしまったわけですが。セルフオマージュとして明確に意識していたものだと思われます。

羊朗の前で自身の死生観を語り、常世への踏み入れ方を聞き出したすずめ。捨て鉢気味であった行動の原理がここで明かされました。ここで草太さんのゴツゴツした靴を履いて(=地に足を付けて)、歩き方も前向きになったことが印象的。草太さんの喪失によって失意の重い足取りであった病院までとは対照的ですね。何かを成すことができるのは現実を生きる人間でないとダメなのです。

突如現れた芹澤と環さん。捨て鉢のすずめを現実に引き戻す楔となります。自分の命に価値を見出していない人間が命を賭しても価値は生まれないのです。
芹澤は移動手段であり草太側の現実であり険悪になる親子のバランサーになって災害の当事者でない一般人代表としての役割を果たします。役割集中もいいところですね。

少し話は脱線しますが、緊急地震速脳のアラームが流れたシーンで「最近多いね」「大げさすぎるだろう」と人々が言っていたシーン、これは新海監督が劇場特典で述べていた「震災の記憶がない人が多くなっている」ということとリンクしていてぞくっとしました。『君の名は。』でもそうでしたが、災害の痛みを受けていない土地ではその記憶は薄れてしまいやすい。
「後ろ戸は人々の心の重さによって鎮められている」という草太さんの言葉を踏まえたうえで2周目を見たときには胸が締め付けられる思いがしました。

後半パート-「こんなきれいな場所だったんだな」-

「きれい…?ここが?」という返しを聞いて震えました。震災によってこれまでの生活すべてを失って、残った廃墟を見つめる当事者のすずめの視点と、そこがかつての生活圏であった風景を知らず、廃墟の街に美しさを見出した大多数の一般人側である芹澤の視点との差。芹澤が悪意なく放った言葉から唐突に浮き彫りになった二人の温度差。

私は芹澤の視点で映画を観ていたのですが、すずめの視点でこのシーンを見ていた人も劇場内に一定数いたのだろうと思ってハッとしました。
『君の名は。』の彗星もそうでしたが、新海監督は恐ろしいものを幻想的に描くのが上手なんですよね。あんたが恐ろしい。東京のミミズ完全体のデザインはすごかったですね。恐ろしく、だけど美しくもある。

ついに常世に踏み入れたすずめ。ダイジンは神であって人の世界に溶け込むことはできないと自覚して要石に戻ったシーンはよかったですね。ダイジンは神様の倫理観ですずめと一緒にいようとした。人間にとってわかりやすいコミュニケーションではない。それが「自分はすずめと一緒にいれない」と理解して要石に戻ることを選んだ。

そのダイジン石を使って戸締まりをするときに、フレーバーテキスト程度に見ていた「そこで生活していた人のことを思って」が本作のキーワードであることに気付かされてびっくりしました。戸締まりとは何のための行為なのか、それは今日という一日を踏み出すこと。「あの日」で止まっていたすずめが明日へと歩を進めるための禊。
ミミズを封印後、現在のすずめが過去の自分に声をかけていたのもすごくよかったです。「すべての時間が存在している」常世であっても決して死者は現れず、自分が自分の背中を押すことで明日につながる。これまで捨て鉢だった自分に価値を認めて生きる希望を見出した瞬間。
そして現世に戻り、自身に過去に清算をつけて「行ってきます。」
ばらばらだったピースが一つにつながりました。

オタク感想文

まじめな文章を書いて疲れたのでここからはオタクになります。

芹澤をあそこまで夢中にさせる魔性の男宗像草太をもっと見せてくれよ!!!!!!!
芹澤がただ良いやつだったというだけであそこまで動かんだろうよ!!!
どこか遠いところを見ているようなふわふわした宗像草太を放っておけなくて、いつの間にか魅了されていたことを自覚する芹澤のシーンが欲しかったです!完全版OVAを期待しています。多分東京に着くまでにもう2か所、東京を出発してから1か所の戸締まりと、草太過去回想パートくらいが追加されると思っています。

・すずめはあくまで災害と向き合うただの人間として描いているので愛の力で福島までワープなんかしちゃいけないんですよね。かといって一人で電車に乗ってあとはタクシーで生家に進むなんてのも味気ないし高校生の取る金銭的プランとしても現実的でない。それよりはものすごく親切な人が旅の相棒としていた方が物語として幾分かましである。
・またすずめは元々ただの高校生なので当然家族は心配する。血縁でなくても愛は成立するというのもまた主題の一つである。二人の間にはファンタジーと現実の壁があり、認識の祖語から空気感は険悪になるであろう。

そんな状態で観客が気持ちよく映画を見られるようにするにはどうしたらよいだろうか…

芹澤!!!お前ならやれるな!!!

過剰な役割を与えられても圧倒的人の好さと空気間調整スキルによって劇場の観客の心の平穏を保ってくれました。彼がこの映画のMVPです。彼はこのパーティのガオガエンだったから乗り越えられました。
草太さん、ファンタジックなボーイ・ミーツ・ガールを果たしただけの女もいいですが、あなたの安否を心から心配していた男もいいですよ。彼は教員志望でまじめな人間です。草太さんがふらりと戸締まりの旅に出かけても家庭を支えられるような安定した収入も期待できますよ。彼はきっと家事も万全にこなせるはずです。

・西の要石は東の要石と比べて人口比が偏りすぎていないか?宮崎県民の思いだけで西の要石を支え切れるのか?
また宮崎の後戸は謎の広間にポツンとドアが立っていたので、後戸は虚空から湧き出るものなのかなと思っていたが、次以降の後戸は任意の廃墟の広義の「扉」に寄生できそうなことが判明。謎の広間にポツンと立っていた宮崎の後戸は何だったんだ。

・東京地下で「二度と私に話しかけないで」と怒られたダイジン。それ以降はすずめに話しかけなくなりました。神様なので目的は果たそうとするものの、律儀にすずめの言葉を守るのがいいですね。すずめのことが大好きなのがわかります。

・やっぱり尺が足りていないって思いました。1クール使ったアニメだったら糸守町や御嶽山、天気神社とかに行っていろいろな災害の記憶ツアーをしていたし、芹澤と草太さんの日常生活回想だってできていたんですよ。

・イスが虚空から発生している気がします。最近『四畳半タイムマシンブルース』を見たのでいらないところに目が向いてしまいました。

・すずめの髪型がネモと同じで困る。ふとした瞬間に戦闘狂が脳裏に浮かぶ。

終わりに

私は9年前に『言の葉の庭』で新海作品と出会いました。圧倒的な作画としっとりとした空気感に魅了され、新海作品に引き込まれました。そこからの『君の名は。』と『天気の子』ガラッと作風が変わって、RADWIMPSのパワーに頼るようになってびっくりしました。両作品とも悪くはないのですが、昔の新海監督に魅了された私は、手放しに喜べませんでした。
正直なところ悪い(有能な)プロデューサーに首輪をつけられて商業主義の犬に成り下がってしまったのではないか、とまで思っていました。最近の新海誠の「狙った気持ち悪さ」もなんだかなじめませんでした。
しかし本作品を見て、これまでの作品は本作品にたどり着くまでに試行錯誤していたのだなと確信できました。すごくよかったです。
次回作以降で新海監督が「災害」というカテゴリから外れるのか、さらに一歩先の災害とのかかわり方をするのか、数年後が楽しみです。

でも「花澤綾音」と「佐倉香菜」は許していないからな新海この野郎

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