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心の栄養の枯渇は、僕を汚い「大人」にしてゆく
時の流れは早いもので、2024年も今日で終わるようです。
新卒で入社して間もない頃、職場の中年のおじさんに、
「社会人になると、目瞑っている間に、1年終わるぞ〜」
「歳とるほどに、1年が早くてたまらねぇよ〜」
などと言われたことが、思い出されます。
社会人になって、毎日をがむしゃらに生きて、気づいたら4年目が終わろうとしています。俺ももうおじさんなのかな。
心には栄養が必要だということ
2024年を一言で表すと、「心の栄養が枯渇している年」でした。
以下の記事で話しているように、今年は恋人がいないことによる、劣等感・焦燥感・虚無感に苛まれる1年でした。
結婚願望があり、寂しがり屋で、友達も少なく、趣味もあまりない。
そんな自分は、恋人のいる友人や、結婚をする友人と自分を比較し、人生の劣等感を感じ、常に心が枯渇していて、息切れしているような苦しさを持ち続けていました。
初めて、人生の地平線に目を向け、今後の人生に対しての漠然とした不安や絶望感に接し、1人夜に涙が頬を伝う日も少なくありませんでした。
これがいわゆる、※クォーターライフクライシス というものなのかと感じ、そんな自分を客観視して、平常な自分でいられるように努めました。
※人生の4分の1(クォーター)が過ぎる20代後半~30代前半に陥りがちな漠然とした不安や焦燥感、憂うつ感を持つこと。
出典:"30代前後に訪れる「クォーターライフクライシス」の乗り越え方". マイナビキャリアリサーチLab. 2024.09.13. https://career-research.mynavi.jp/column/20240913_85662/ (参照2025.01.01.)
そんなわたしですが、今年の大きな目標の一つとして、「転職をすること」がありました。自分はかねてから、ある異業種への転職を志望していました。転職を機に、現在住んでいる地方から東京の会社に転職を行うつもりでした。
ですが、4年目になり、部内でも中堅のような扱いになってきて、大きな案件の担当を任されることが多くなり、忙殺される日々が続きました。
(わたしは、Webサイト制作・Webシステム開発を行う会社で、営業やプロジェクト管理を行う仕事をしています。)
「この案件が終わったら、転職活動を始めよう…!」
「●月になったら、案件が落ち着きそうだから、その後に始めよう…。」
そんなことを考えていたら、もう10月になっていました。
焦って、10月〜11月の間に転職エージェントを通じて、応募をしましたが全敗。
頑張ろうと思っていた、資格試験や語学の勉強も全くと言っていいほど、手付かずの1年でした。
こんなにも、自分が何も頑張れなかった原因は、何なんだろう…。
仕事の忙しさを言い訳にしていましたが、それは理由ではないと感じます。
一番の理由は、最初に戻ってしまいますが、「心の栄養が枯渇していたから」に尽きると感じます。
人間は、現在の自分の生活で一定の充足感を得たり、自己実現を図れる行動を取れていたりしないと、「心の栄養」が枯渇し、休日や仕事以外の時間、ひいては仕事において、十分なパフォーマンスを発揮するエネルギーを持つことができないのだと感じました。
また、一番恐ろしさを感じたのは、自分の人生に充足感を持てず、「心の栄養」が枯渇すると、他人を妬み・嫉んでしまう人間へと変容してしまうことです。
先ほどお話しした、わたしの以前の記事『【マッチングアプリ】どうしてあなたは心が傷まないのか』でお話ししたように、自分が手に入れられていない幸せを手にした他人と自分を比較し、嫉妬し、どんどん自分の視界が狭くなり、自分が一番なりたくなかった心の汚い「大人」になっていく感覚がありました。どうしようもない人間へのブラックホールに引きずり込まれていくような怖さがありました。
社会人になると、そして20代後半になると特に、それぞれライフステージが明確に分かれてくる。
・大学の同級生との結婚を報告する友人
・高校からの彼氏と結婚し、海外に新婚旅行へ行く中学校の同級生
・オシャレなチャペルで、芸能人のようなウエディングフォトを撮って、インスタグラムにアップする大学の先輩
・一流企業に就職し、都内でコンパ三昧の高校の同級生
SNSで流れてくる情報を見て、これまで横一線で人生を歩んでいたと思っていた人たちが、自分の知らない世界線を生きていることを感じ、自分の人生の虚しさに心を落とす。
「表面的な自分」は、いいねを押したいけれど、お祝いのコメントを心から残したいけれど、どこか息を止めながら簡単なお祝いの言葉で済まし、目に入ってくる別の世界線の幸せに真っ直ぐ目を向けることはできない。
そんな自分を俯瞰で見て、自分自身が、自分の人生に鬱屈とした嫌悪感を抱く。どんどん自分が卑しい存在に感じる。
そんな現状から逃れるために、わたしはマッチングアプリで恋人探しをしたり、このnoteで皆さんに自分の考えや感情をシェアすることで、自分の考える自己実現を図り、なんとかその暗闇に引きずり込まれないように必死に生きている感覚があります。
自分が軽蔑する人間にならないために、必死で自分がなりたい自分になる努力をする
長くなりましたが、わたしがこの1年で感じたことは、自分の人生に充実感を持っていないと、他人の人生や行動を否定しようとする人間になってしまう恐ろしさがあるということです。
・自分をいじめていた、あの同級生
・母のパート先で母に嫌がらせをする、お局パート
・部下に嫌がらせをする、取引先の黒光りの課長
わたしが見聞きした上記のような人も、自分の人生をもがき生きながら、他人を貶めて自分の人生を必死に生きているのかもしれません。
だけど、自分は絶対にそんな人にはなりたくない。
けれど、このままでは、自分の人生のオールを必死で漕ぐ気概を持つことができなければ、同じような未来が待っているかもしれない。
そんなことを思いながら、「来年はきっと自分の人生にとっては勝負の年になる」という静かな誓いを立てながら、今日もまたマッチングアプリでトークを続けます。
少しでも自分が望む自分、自分が胸を張って生きることができる自分になれることを祈って、来年は1日1日を丁寧に生きていこうと思います(^ ^)
今回もお読みいただきまして、ありがとうございました。
恋愛を例に出して、わたしの自己実現についてお話ししましたが、決して恋愛や結婚が人生の成功だと考えているわけではありません。
あくまで、自分が人生で成し遂げたい自己実現の一つに恋愛があり、結婚があると考えているということです。
2025年が、みなさんそれぞれの自己実現が達成される、素敵な1年になることを心よりお祈りしております。
来年はみなさんに、もっと価値を感じていただけるような記事をたくさん書ければと思いますので、2025年もどうぞよろしくお願いいたします!
良いお年をお過ごしください(^ ^)