自分の人生を生きる勇気を学ぶーKaospilot+振り返るー
こんにちは。8月に入ったというのに連日雨、曇り、気温20度前後というなかなかなコンディションのベルリンにおります。北ヨーロッパは冬が長くて暗くて、でも夏だけはほんと天国みたいに気持ちがいい!というのが一年みんなが心待ちにしている瞬間なのに、こんなに天気悪いのはかなり落ち込みます。1年冬なの?みたいな気分。パッとしないなー。
前々からお伝えしてはいるのですが、7月をもって10ヶ月のKaospilot+のLeadership in Systemic Activismのプログラムが無事に終了しました。終了してみてどうだったのか?を書かなければなーと思いつつも、言葉があんまり出てこないので先延ばしにしていた。まだ言葉を探せた訳でないのだけど、とりあえず書き始めてみることにする。
勇気の学校だったと思う
先に結論から話してみる。カオスパイロットを受けた人それぞれに答えがあるとは思うのだけど、「私にとって」カオスパイロットは勇気の学校だったのじゃないかと思う。これ、ちょっと堂々というには恥ずかしい。友達に結局何の学校だったの?て言われて勇気を出すことを学んだんだよねーとは言えない笑。けれど本心で話すとしたらまさしく勇気を出すことを一番学んで練習したのだと思う。
え、そもそも勇気ってなに? 必要なのか?
リーダーシップとしての勇気
まず、プログラムのタイトルの通り、私たちの学校はリーダシップを学ぶ場所だ。だけれども、例えば、リーダーはこういう態度でいるべし!とか、こういう発言をするように!みたいないわゆるリーダーシップ論みたいなのを教えてくれない。
少し話が変わるが、中学の3年間、私は毎年文化祭の英語のスピーチコンテストに出ていた。その当時大好きだった本の1つ、『夢を叶えるゾウ』を読んで学んだことをスピーチにして全校生徒の前で発表した。(失敗した記憶がある)
その時書いたことで今でも自分のモットーの一つになっている言葉がある。
「他人を変えたければ、自分を変えよ」
という言葉である。社会というものへの不満がたまりに溜まっていた自分は常に学校や先生に対して「こうなってほしい」「ああしてほしい」と思い続けていた。その当時実際何かを変えられたわけではなかったのだが、大学生のサークル活動するときは「愚痴を言うならやってから」と度々その言葉を思い出していた。
性格的に現状維持を好まず常にベターを目指したい向上心があるのだと思う。しかしその気持ちが強くなりすぎると、他人を支配してコントロールしたくなる気持ちに変わってしまう。そんな時に自戒にもなりうる言葉であった。他人は変えられないと。
カオスパイロットは社会を良くするためのリーダーシップを学ぶ場である。社会とは規模は大きいが他人の集まりであることにはかわりがない。他人は変えられないのであればどう社会を変えるのか?
あるメンバーが自身のプロジェクトの発表の最後にこういった。「何かを変えたいのであれば自分が変わり続けなければいけない」その時自分の中にあった言葉にならない考えがくっきりと輪郭を帯びた感覚があった。
リーダーシップとは自分を変えていくことなのか。
社会を大きなシステムと見たとき、自分の行動や言動がいつも同じであってはシステムに変化は起きない。が自分がいつもとは違うことをした時、それが他者に連鎖して波のように広がって社会という大きなシステムを変動させる。これが私の思うリーダーシップである。
じゃあ自分を変えるとはどういうことか?
私はエッジを越えることであると考える。普段いるコンフォートゾーンの縁=エッジを抜けて不安や未知に出逢いにいくこと。その時に勇気がいるのではないか。
アクティビズムとしての勇気
このプログラムはアクティビズムのプログラムでもある。これまでに何度か説明してきたのだが、アクティビズムとは社会に対して自分の考えや主張を行動や言葉で示すことである。恥ずかしながら、プログラムに参加した当初の自分はデモに参加したり、政治についてものをいう人、フェミニズムって言われる人たちをどこかで怖い存在だと思っていた。「大人しくしとけばいいのに。」みたいなふうに思ってしまっていた。が、この一年、間違っていることを間違っているということ、正しいと思うことを主張することの大切さを知った。そうしなければ誰も気づいてくれないし、変化しないからだ。
しかしじゃあ自分がやるのかって聞かれると口が窄む。「自分にそんなに強い気持ちがあるのか?」とか「本当に自分は正しいのだろうか」とか思ってしまう。
何よりある主張をしてしまうことで、その意見に反対の人にどう思われるのか?を気にしてしまう。要するに嫌われるのが怖いのである。noteですらやっていると実際の友達に言えないような人間である。何も意見しないことが敵を作らない一番安全な道で私は大きな声を出すことは向いていないと思っていた。
が、今年に入り友達とpodcastをやることになって、初めて自分の気持ちや考えを公の場で届けることをしてみた。アクティビズムと呼べるほどの強い主張ではないかもしれない。けれど、それでもやる前はすごく不安だった。馬鹿にされるのではないのかと思っていた。
はじめてみて気づいたのは、声を出すことは向き不向きなどの問題ではなくて、みんな勇気を出しているのだということだ。時には意味のわからない意見やバッシングを受ける機会もあるかもしれないが、それでも社会が良くなることを信じて勇気を出しているのだと思った。
だからこそ、アクティビズトとは、声を出す怖さに向かう勇気を持ち続けることだと思った。
話し合うことも勇気
こうやって勇気について書いていると、勇気ってリスクを背負って大きな賭けに出たり、バンジージャンプするようなビックイベントのことに思うかもしれない。けれど私は勇気ってどこにでもあるもっと日常的なものなのかもしれないと思っている。
一番身近なところで勇気を感じるのは誰かとコミュニケーションとる時だ。
本当は話さなきゃいけないとわかっているのに、なんだか話しづらい話ってないだろうか?
自分のこと話す時、胸がちょっとだけキューってなって誤魔化して話すことないだろうか?
相手の触れちゃいけない話を触れないように当たり障りのないことだけ聞いてないだろうか?
誰かと真正面から話すことって怖い。それは傷つくリスクがあるから。それを知らず知らずに避けるのだと思う。だけれども、その傷つくを越えてでも話すべき時があるように思う。例えばNOっていうことかもしれないし、自分の弱みを晒すことかもしれない。もちろんそうしなくたってやり過ごせることがほとんどなのかもしれないのだけど、でもその勇気を出して話し合うことが例えば大事な人との間でとか、チームで作業してたりするとあるなと気づいた。
誰かと向き合うこと、自分と向き合うこと。
これが意外と難しい。
自分の人生をナビゲートする勇気
よくプログラム中に「セルフリーダーシップ」と言う言葉が出てきた。最初は言っている意味がわからなかった。リーダーシップとは他を導くときに使う言葉であって自分自身は導くも導かないもないのでは?と思っていたからだ。しかし1年を通して少しずつその意味がわかってきたのである。
カオスパイロットは成績がないため「こうしなさい」って言われることはない。一方で、「あなたはどうしたいの?」って聞かれる。死ぬほど笑。最初は自分が何をしたいのかがよくわからなかった。誰かが決めた基準やルールに則って、みんな的に「良さそう」なものを選び続けてきたことが多かったと気づいた。自分の決断や選択を自分ですることがなかったのだと思う。
誰かの評価軸で生きなくて良いってなった時、何を選べば良いのかがわからなくなった。というより自分がやりたいって思っていることに正直に行動することの怖さに直面した。だって、「やりたいこと」だから失敗したくない。自分で決めたら言い訳もできない。自分の決断が自分にのしかかってくる。
その時にやりたいことがなかったのではなく、やりたいことに向き合う勇気がなかったのだったと知った。
ちょっとだけやりたいけど、やらなくても別にいいことをやるのは簡単なのだ。失敗しても、「ま、そんなにやりたくなかったしー」って言える。でもそう言い続けたら、一生やりたいことをやれないのだと気づいた。
自分の人生は自分のものなのだ。
やっとその実感が湧いた。
心の安全ー勇気を出すために必要なものー
今まで勇気がなかったのに、勇気を出すことができるようになったのはなんでなのか?と気になるかもしれない。
私は基本クールに振る舞ってしまうタイプで、基本人前では泣きたくないのであるが、カオスパイロット中多分誰よりも人前で泣いていた。多分4,5回は泣いていた笑。特に最後のキャンプではもう涙の限界が超えていて、何話しても泣きそうな状態にいた。そんな中、なんで私こんなに泣いているのだろう?って考えていた。
答えは泣いてもいいと安心できる場所だったからだと思う。
キャンプで泣いた後、1人の友達がプログラム始まった時の話をしてくれた。
その子が、これから先このメンバーでやっていけるのか不安を感じているということみんなの前で言った。そしてことに対して、私が「そういってくれてありがとう、私もそう思ってたけど言えなかったから、ネガティブなことを言っていいのだとしれてよかった」ってその子に言ったらしい。
私はすっかり忘れていたのだけど、確かに当初は自分の気持ちを表現するが怖かった。振り返ってみてこれまでの人生自分の気持ちに正直でいることが許される場がなかった。
不安や恐怖をないものとしたり、嫉妬心などを醜いとかくし、逆に楽しいことや嬉しいことも相手に妬まれると思って表立っては表現しなかったり。自分の性格やいた環境、日本の文化というものいろんなものが合わさってそうさせてたのだと思う。
本音で話しても誰も馬鹿にしなくて、自分の気持ちに正直になっていいところというのが私にとってはカオスパイロットが初めてだった。それは同時に失敗してもいいと思える環境だったということだ。
勇気を出すためにはコンフォートゾーンを出る必要がある。それはつまりまず初めにはコンフォートゾーンが必要だということだ。心地良い、帰ってこれる場所があると実感できて初めて人は挑戦できるのだと私は思う。そしてそのコンフォートゾーンがカオスパイロットにはあった。
初心表明
まとめに入っていこう。ここまでの人生?生きづらいなーって思うことたくさんあった。私はどちらかというと恵まれた環境にいるはず。周りの人、親のおかげで、しなくていい苦労はしないような環境で生きることができている。なのに生きづらいと思ってしまう。なんだかそれがどうしても訳がわからなくて、自分ってなんで何もできないんだろう?こんなに恵まれているのにそれでもなんか違うって思ってしまうのってなんでだろう?って。
他の人はみんな持っている人生を生きていくためのスキルみたいなものが、自分にはないような気がしていた。みんなどこで何を習ったらそんな軽やかに生きていけるのか?って思っていた。
でもその一つが勇気を出すってことなのかもって今は思う。だからやっと他の人と同じスタートラインに立ったという感覚がどこかである。あーみんなこうやって生きてんのかなーって。
でもその一方で、勇気を出すって簡単じゃないとも思っている。誰でも怖いことはたくさんあるし、できるだけ安心安全なところで生きていたいものだ。それはそうなのだ。だからこそ、勇気を出す=人がやってないことをやることに意味があるのだろうと考える。そしてどんなことであろうとも自分のエッジを越えるあなたはとてもかっこいいと私は思う。
カオスパイロットを終えて、始まりがきたなーと思う。この得た学びや経験はどこまで使えるのかかが今は知りたい。結局スキルぽいものはそんなに身に付いてはいない気がするので、いまだになんだがヒヨコの気分。だけど、前より堂々とヒヨコでいられる。
カオスパイロットの経験を通していくつか心に決めたことがある。それを次のステップの初心表明として終わりに書こう。
より難しい方を選ぶこと。
自分の気持ちに誠実であること、相手にも誠実であること。
いつか完璧な日が来るその時ではなく、small&nowから始めこと。