UR

頑張ってます。

UR

頑張ってます。

最近の記事

頑張ってるけど、成功していないひとへ

TwitterやFacebook、流れてくるNEWSで「〜〜が〜〜億円の資金調達!」「最年少で〜〜が〜〜億円でEXIT!」など他人の成功を目の当たりにするたびに、自分の心がざわつくのが分かる。 尊敬と賞賛の気持ちと、「あれ?自分はなんでそうなれてないんだろう」という自分への自己嫌悪の気持ちがせめぎ合っている。 もちろん理解している。 成功を手にした彼らもそのピークを迎えるまで埋もれ続けた苦しい時間を乗り越えていること。尋常ではない熱量で向き合っていたことを。 じゃあ、

    • アルキメデスの大戦

      「逆に数字で考えられないことって何ですか?」 私も算数は大好きだった。 2歳くらいから公文式に通わせてもらったおかげで、計算で自分より早く正確な人に会ったことがなく、成績も良くて褒められていたので自信を持っていた。 しかし、高校生になり数学が本格化してからは、苦手意識が勝つようになっていた。 算数はアイディアと計算で何とかするという楽しさがあったように思うのだが、公式というものを当てはめる、公式を記憶して何が良いかを探る、と言うのがめんどくさがりの私にはハマら無かった

      • 黒子のバスケ

        「いや、やっぱいらねえわ。お前にあげる。んで、もう帰れ。」 私は小学生の時ミニバスケのクラブに所属していた。 その地域はバスケ人口が少ないこともあって、スラムダンクに夢中で練習もたくさんしていたことから地域の選抜チームにも呼ばれたりしていた。 練習試合の相手は大抵、同じ地元の中学校のチームで中学1、2年生チームと私たち小学校6年生チームで毎月の様に練習試合が組まれていた。 私が育った地域は絵に描いたような田舎でぐれる人が多かったので、その中学校のバスケチームもガラが悪

        • 娼年

          彼が昼休みに中庭で叫んでいた。 高校3年の時に、彼は下着一丁になって中庭で 「学校に来てんのに学んでるやつなんか一人もいねえだろ!!何でこんなとこくるんだよ!」 「友達とか部活とか薄っぺらいこと言ってんじゃねえぞ!今を生きてるやつなんか一人もいねえ!俺は失望した!!」 「自分は本当にやりたいことやってるって言えるやつ出てこいよ!おら!出てこいって!」 と叫んでいた。 話したことは無いけれど、廊下での立ち話を聞いたことがあり、大人しいけれどぼそっと面白いことを言うや

          マイ・インターン

          「結局、好きか嫌いかなんだよね。」 私が大学生の夏にインターンシップをしたコンサル会社で、インターン指導役になって下さった方は業界でも有名な方だったらしい。 その後、就職でコンサルティング業界に行く事はなかったが夏のインターン中、会う人誰もに「この人について回れるなんて羨ましい」と言ったことを何回も言われた。 確かに、今でもその人の仕事に対する姿勢を自分生活の中に取り入れている事は多い。 「1日の初めにチェックリストを作る、それに優先順位と想定所要時間を書き込む」

          マイ・インターン

          ウォール・ストリート

          「お金より大事なもの見つけてもいないのに、お金のために働かないなんて。言い訳してるようにしか聞こえないよ」 彼は、夕方の大学の廊下で私と真正面に向き合いながら諭すように言葉にした。 彼は次の春から世界で一番有名な投資銀行に就職することが決まっていて、周りからとてもちやほやされていた。 しかし、そんな周りの熱狂とは裏腹に彼は「こんなことなんでもない」という風に担然と過ごしていて、それが私は余計に気に食わなかったのかもしれない。 彼とは在学中に留学していた先の大学が同じこ

          ウォール・ストリート

          恥かしいから止めて欲しかった。 中学生の時に文化祭の幕間演奏で、彼が弾き語りをした時に私はそう思った。 カラオケでやれば良いのに、何でわざわざみんなの前でやりたがるんだろう。本当に承認欲求の強いやつだなあと。 声も高い音は綺麗に出ておらずメロディーも時折外しているように聞こえる。 演奏後のまばらな拍手で、私だけがそう思っていたわけでは無いことが分かった。 私と彼は中高一貫に通っていたので、彼が高校生になっても音楽に情熱を傾けていることは知っていた。 高校生になった

          サマーウォーズ

          京都の丹後に親戚の家があり、2〜3年に一回、夏休みに泊まりに行くのが通例だった。 同い年くらいの再従兄弟がいた。 彼が苦手だった。 2〜3年に一回しか会わないものだから全く仲が良くなかった。 仲が良くないというか、お互いの興味や趣味範囲、生活圏が違い過ぎて共通の話題が無く、何を話したら良いのか分からなかった。 なにより、彼の他人への興味のなさというか「他人は他人、自分は自分」という姿勢が大人びていて、他人との比較でしか自分を考えることができなかった私にはその価値観が

          サマーウォーズ

          グリーンブック

          ファミコンしかなかった。 スーパーファミコンではなくて、普通のファミコン。 テレビに映されるマリオもピクセルを感じる緩慢な動きしかできない。 それでも、ゲーム機自体がない私の家よりは楽しかった。 彼の家に遊びに行くと、いつも彼の母親が入れてくれた何の果物か分からないジュースを飲みながら黙々とマリオを交代しながらプレイしていた。 彼が海を越えた国のオリジンである事はその肌の色や大きな目、特徴的な髪質から何となく感じていたが、日本語は普通に話せていたし、そもそも小学生の

          グリーンブック

          半地下の家族

          その催促状は黄色だった。 少なくとも私の頭の中ではそう記憶されている。 大学2年生だった私は、たまにリビングの机の上でそれを見かけることがあったのだが、初めてその日、それを手に取り内容を確認した。 「電気料金支払いのお願い」「支払い期限を過ぎています」 なんのことか分からず何度も読み返し、宛先が間違っているのではないかと何度も裏側を見直した。 私が呆然とその催促状を見つめて突っ立っていると、母親がリビングに入ってきた。 初めはいつものにこやかな表情が、私が何を手に

          半地下の家族

          僕のヒーローアカデミア

          高校生の時に部活でライバルがいた。 相手は全く私のことをそう思っていなかったかもしれないけれど、死ぬほど意識していた。 そして私は性格が悪かった。 高校生の年頃には誰にも経験のある性格の歪みかもしれないが、「本気でないことがかっこいい」「注目を集めたいけれど注目されすぎると照れる」「本当に実力を知るのが怖い」という自分のことを知りたいのか知りたくないのか自分自身が1番よくわかっていなかった。 そのライバルは呆れるくらい真っ直ぐだった。 少なくとも屈折した性格を自覚し

          僕のヒーローアカデミア

          賢者の石

          自分は特別なんかじゃないっていう自覚を持って行く経験そのものが成長。 腕立てしたら波動拳を打てると思ってたし、お菓子を我慢したら邪王炎殺黒龍波を打てると思ってた。 受験生だった時はZ会の全国模試で全国1番になれると思ってたし、全教科勉強なんかしなくても90点くらいとれると思ってた。 オリンピック選手になれると思ってたし、日本代表として日の丸を背負って海外の選手と戦うと思ってた。 30歳で不労所得で5000マンくらい入ってくると思ってたし、海が見えてプールのついている家

          賢者の石

          ジョーカー

          虐めなんかクソだ。 私は中学1年生の時、虐められていた。夏休みが明けたくらいから誰も話してくれなくなり、靴とか物がなくなり、机の上がチョークで真っ白になり、「死ね」とか「学校来んな」とか書かれていた。 結論言うと、全部おんなじことを虐めてきているだろう奴全員にやり返したので終わった。 そいつらの靴を片方捨てて、机を真っ白にして、死ねって書いた。 虐められている時に理由とか探しちゃダメだ。 理由なんて無いから。 虐めとは、出口がないように見える狭いコミュニティで限り

          ジョーカー

          永遠のゼロ

          私のおじいちゃんは特攻隊の生き残りだ。 いや、正確には生き残りだった。もう結構前にお葬式をしている。 おじいちゃんは大学卒で士官候補生だった。零戦に乗っていたわけでは無い。爆撃機に乗っていた。空母とかにでっかい爆弾を落とすような日本軍が持っていたでかい飛行機だ。戦争終戦間際には零戦どころじゃなくて、そんな大きな爆撃機も艦隊に突っ込むようになっていたらしい。 戦争中期くらいには零戦が突っ込んで使命を果たすのを見届けたら、報告のためにおじいちゃんは帰路についていた。 でも

          永遠のゼロ