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パブリッシャーダイアリー:Reiner Kniziaの「Zoo Vadis」、あるいは30年前の古典的作品を復刻するには(Publisher Diary: Reiner Knizia’s Zoo Vadis, or How to Breathe New Life Into a Thirty-Year-Old Classic)

本記事は、2023年1月10日、Nick Murray氏が投稿した「Publisher Diary: Reiner Knizia’s Zoo Vadis, or How to Breathe New Life Into a Thirty-Year-Old Classic」の翻訳である。

Nick Murray氏は、新興パブリッシャーであるBitewing Gamesを創設者である(Kyle Spackman氏と共同して創設)。本業は歯科医師とのことであり、ここからbite + chewing = Bitewingという社名につながる。彼らの出版するゲームとしては、Ryan Courtneyによる「Trailbrazers」のKickstarterキャンペーンが記憶に新しいであろう。

本記事は、彼らの新しいKickstarterキャンペーンである「Zoo Vadis」の制作過程を紹介するものである。「Zoo Vadis」は、Reiner Kniziaの古典的傑作「Quo Vadis?」のリメイク作である。アートワークは売れっ子のKwanchai Moriya、グラフィックデザインはBrigette Indelicatoが手がけているそうだ。同作を知る人たちにとって、このリメイクには、やや衝撃が走ったことと思われる(苦笑。「Quo Vadis?」のゲーム性については、ここが最も詳しいと思われる。

本記事は、単なる「Zoo Vadis」の紹介記事にそれにとどまらない。過去の古典的傑作を再販・リメイクする際のヒントや知恵が詰め込まれていたり、どのようなものがボードゲーマーから望まれているかを考えたり、ゲーマーの欲望(?)をうかがい知ったりするきっかけになるように思われる。また、作品の制作過程も見るだけで楽しいだろう(Kwanchai Moriyaの丁寧な仕事ぶりもうかがうことができる。)。

単なるKniziaファン、出版社の仕事ぶりとはどういうものか、デベロップとは何かを知りたいという人も興味深く読めるはずだ。

元記事は、以下のリンク先を参照されたい。ヘッダー画像は、BGGから引用させていただいた(クレジット: Nick Murray)

クレジット: Nick Murray

もし、とある古いゲームのBGG上のユーザスコアが6.5だったら、再販する価値があるのかな?

多くの出版社は、再販する価値なんてないと言う可能性が高い(それが正当だ)。もっとスコアの高い古典的作品や、伏在する障害の伴わない全く新しいコンセプトがあるのに、なぜ、わざわざ、こういったデザインが新鮮でわくわくするものだってことを、骨を折って今日のゲーマーたちに納得させる苦しい戦いに挑まなければならないんだって。他方、出版社の中には、この挑戦のために会社自体を立ち上げて、大成功を収めたものもある。Restoration Gamesを見れば、「Top Race」(6.8, 1996)を「ダウンフォース」(7.2, 2017)に、「Buried Treasure」(6.0, 1992)を「Berried Treasure」(7.0, 2021)に、「Dark Tower」(6.9. 1981)を「Return to Dark Tower」(8.6, 2022)にリメイクしている。もちろん、Restoration Gamesは、過去の懐かしいタイトルを選択して、その懐かしさが失われないようにしながら、メカニズムを今風にするためにデベロップという魔法をかけるといった鋭い感性を持っているように思われる。

しかし、こういった懐かしいゲームは、概して、高いテーマ性が備わっていることが問題としてある。無味乾燥で、伝統的な形を守った、ドイツ式のユーロゲームは、同じレベルの懐かしさを伴うのだろうか? 十中八九、違うだろう。個人的には、需要のある(marketable)懐かしさには、鮮明な思い出、設定、感動という組合せを必要とするのであって、それゆえに、純粋にメカニズム単品だと、感情に影響を与えるという手法からは厳しい売上になってしまう。

クレジット: W. Eric Martin

その上、趣味に熱中するホビイストの方々の中には、わざわざ、BGGで7未満の評価が付けられたゲームに手をつけようとすらしない人もいる。ほかに多くある選択肢のほうが、ゲーム会のみんなを満足させる可能性があるというのに、なんでそんなゲームを遊ばないといけないのかって感じだ。もちろん、私たちみたいに、追加の調査、余計な時間、それにリスクを伴うことをいとわずにやってのける人たちは、コレクション入りするお気に入りのゲームとなる"隠れた名作"を見つけられることが多い。私にとっては、こういうゲームとして、「スティーブンスン・ロケット」(6.9, 1999)、「傭兵隊長」(6.9, 1995)、「Orongo」(6.7, 2014)、「Municipium」(6.7, 2008)等が含まれる。

BGG上で7未満の評価が付けられたゲームに対する私の見方は、こういった作品が"平均以下"とか"せいぜい、まあまあかな"というわけではない。むしろ、多くの人(7、8、9、10という評価をしているファン)にとっては本当に良いゲームだが、複数の理由でみんな(5やそれよりも低い評価をしている人たち)にとっては良いゲームではないかもしれない可能性が十分にあるということを示してくれる。しかし、もし、評価が7未満の作品が自分が大好きなクリエイターによるメカニズムやテーマであったならば、ひょっとしたら、そのゲームが自分の好みに合っているかもしれないよね!

そうすると、出版社として、この範囲に含まれるゲームを分析して改めて作り直す時というのは、進化のチャンスということになる。最近見たように、「ラー」(7.5, 1999)のような伝説的で、普遍的に評価の高いゲームは、今日の卓上ゲームのKickstarterの状況においては、品質の高い新しいペイントと、物価が急騰する中でのよく考えられた生産決意が必要となるだけだ。他方、「Quo Vadis?」(6.5, 1991)といったカルト的な古典的作品となると、もう少し何かが必要になるみたいだね。

クレジット: José Carlos de Diego

数年前、私は、卓上ゲームに関する自分の選定する目が飛躍的に高まっていることに気付いた。この一因には、自分の好みや選好(preferences)に磨きをかけていて、集中的に湧き出る自分の欲求を満足させる(新旧含めた)ワクワクするような多くのデザインに出会っていたことがある。2つの重要な選考が、交渉ゲームにとどまらず、単純なルール、洗練された(elegant)ゲームプレイ、何層にも重なった戦略、緊張感を生む決断、発生するインタラクションといったReiner Kniziaのデザインのスタイルに含まれていた。そういうことで、すぐに絶版ゲームとなっていた「Quo Vadis?」の中古品を探し出したのはごく自然なことだった。「Quo Vadis?」は、交渉に関するKniziaの卓越したもの(take on)としてファンたちが挙げるゲームデザインだったん。

おそらく、世界で最も味気ないボードゲームのように目に映るにもかかわらず、初回プレイの「Quo Vadis?」は、私が待ち望んでいたもの全てがあった。自分がブロックされる前に元老院(inner sanctum)に向かって駆け上がりたい(したがって、実際、勝利点が重要となる。)のに対して、月桂樹(勝利点)を得るために対戦相手と一緒に策を弄して敢えて前に進まないでおきたいという矛盾したインセンティブが、満足感のある短い(45分)作品に収まりつつも、ドラマチックで、張り詰めた緊張感を生み出している。

古代ローマ帝国の選挙というテーマのこのゲームにおいて、プレイヤーは、賄賂、取引、約束を利用して自分に投票するように対戦相手を説得することで、さまざまなサイズの議会(political committee, ※政治委員会)を通って自分の元老院議員コマを上に進めることを目的としている。自分の元老院議員コマのうち少なくとも 1つを元老院に送り込み、その過程で最も月桂樹(※得点)を得たプレイヤーが勝者となる。古典的なKniziaのやり方では、このゲームにおける課題は、ボードを使いこなす(play)のと同じように対戦相手を手球に取る(play)することにある。この小さい箱が卓上に置かれたら(※プレイすることになったら)、一貫してすごい強い印象を残す(pack a punch)ということは明らかだった……。けど、おそらく、そこが最も困難な部分だったわけだ。つまり、私の棚にある多くの鮮やかな箱のほうが、容易くゲーム会の仲間たちを楽しませるというのに、とても退屈そうな(beige)ものを卓上に置くことがね。

クレジット: Eàmon Bloomfield

それに加えて、この30年前のデザインは、その数回にわたる再版の間に、ちょっとしたアイデンティティ・クライシスを患っていたように思われる。ルールブックやオンライン上にあるバリアントルールは、選択できるルール(option)の一覧が不規則に広がっていて、圧倒されてしまい、思考停止(paralyzed)にさえ陥ってしまうようなものだった。私が知りたかったのは、「Quo Vadis?」をプレイする最高の方法は何かということだけだった。勝利点を公開するのか、秘匿するのか? 3幕もののゲームなのか、短い1ラウンドのゲームなのか? 元老院議員のコマの数はプレイヤー人数に合わせるのか、常に全てのコマが使用可能なのか? Mayfair Games版の特別ディスクは使うのか使わないのか?

とりわけ最後のバリアントである特別ディスクは、ゲームの仲間の異なるグループにこの作品を紹介した時で、「Quo Vadis?」の2回目のプレイの際に取り入れたものであるので、特に注目すべきものだ。幸いにも、みんなこのゲームを楽しんでくれたみたいだ。私はというと、このバリアントがめっちゃ嫌いであるということがわかった。特別ディスクは楽しさを加えるようにみえる。つまり、特別ディスクは、プレイヤーに対して、具体的には、ボーナスの票が得られたり、1票以上の対戦相手の票を取り消したりするといった、わくわくするような能力を引き出すアクションの選択肢を追加で提供する。けれども、特別ディスクは、実際には「Quo Vadis?」の素晴らしい点である、対戦相手への信頼と、この信頼から自然に生ずる交渉を損なっていると気付いた。

「Quo Vadis?」だけが、数十年にわたって行われたルールの改悪(tinkering)と価値の希薄化(dilution)の犠牲者ではない。見方を変えれば、こういった多くのバリアントは、ファンや出版社からのアイディア、創造性、熱意が受け継がれて積み重なったものだ(a legacy)。他方、こういった多くのバリアントは、"理想的な"ルールを見つけ出す(eliciting)ために多くのエネルギーを費やしたいと思わない、新しくプレイしようとする人たちを困惑させる可能性がある。現代の卓上ゲーム業界に「Quo Vadis?」への関心を向けさせたいと切望する出版社として、主要な課題は、雑草のようにダメな部分(the weeds)を見抜き、真に「Quo Vadis?」という作品を理解するところにあった。要は、このデザインを特別なものとしている要素は何か? このデザインについて、熱狂的なファンが愛する点はどこにあるのか? このゲームを遊んで7点未満の評価をつけた人たちは、なぜ、そして、どの点にピンと来なかったのか? どうしたら今のプレイヤーに適合して、このゲームの可能性を最大限に発揮できるのか?

クレジット: @Kaffedrake

こうした疑問に答えるために、ビジネスの世界で用いられる基本的なツールに頼ることにした。経営学(business administration, ※経営管理学とも、MBAのBAの部分のことである。)の学士を取得しようとしている間に教わったことを全て覚えてはいないけれども、少なくとも、私の頭の中から離れない原理の1つは、SWOT分析である。おかしい話だけど……、当初は、経営の知識は歯科業の経営に生かそうと日頃から考えていた。そう、私たちの出版社は、私とKyleという2人の歯科医から立ち上げられたことから、Bitewing Gamesという名前になっている。けど、実際、自分が、ボードゲームのデザイナー、出版社、デベロップ担当として、この経験を活かすことのほうがはるかに頻繁にあったとわかったよ。

SWOT分析は、通常、会社が自社のブランドや市場における特定の製品の価値を評価するのに用いられている。内部的な(internal)対象の強み(Strengths)と弱み(Weaknesses)だけでなく、その業界内における外部的な(external)機会(Opportunities)と脅威 (Threats)を分析して理解するという手法だ。Bitewing Gamesにとっては、自社のゲームを評価し、デベロップし、マーケティングを行う上で、おそらく最適なツールであるだろうということがわかった。この話は、2021年7月にBoard Game Design Labというポッドキャストで徹底的に議論した話題だ。

SWOT分析は、私たちが請け負ったあらゆる製品に対してうまく機能するということなんだけれど、「Quo Vadis?」のようなゲームに関してこの分析を施すことの優れた点として、研究して習得すべき30年以上のデータ(主にBoardGameGeekのデータベース)があるということだ。だから、私は、まともな人間ならやるだろうなということをやって、データを取り入れたよ。そう全てのデータだ。800のコメントを詳細に調べ、106のフォーラムをクリックし、何十ものレビューに浸り、数えきれないほどのアイディアと議論を探求し、数値的なデータを収集し、そして、伝説的なご本人であるところのReiner Knizia博士(※Kniziaは数学の博士号を持つ)に、私が到達した結論を提示した。SWOT分析を用いることで、視点がぶれることなく(maintain a focused perspective)、情報の全てを明確ですぐに使えるようなものに要約することができた。重要なのは、この分析の要点を1枚のスライドに収めるという制限を課したことだ。

クレジット: Nick Murray

このスライドによって、「Quo Vadis?」の位置付けだけでなく、私たちがどのように変更したいかということを俯瞰することができた。当然、主な焦点は、このゲームの弱みと機会であって、それを深く掘り下げていった……。

クレジット: Nick Murray

箇条書きの2つ目に目を移して、「"味気のない"見た目とテーマ」から始めよう。「Quo Vadis?」に関するコメントを詳細に分析している間に個人的に目立っているなと思ったパターンの1つは、(私自身を含む)多くのプレイヤーが、見栄えが非常に地味であることに気付いていたことだった。これは、まさに、ローマの元老院の政治活動というのが、「Quo Vadis?」のメカニズムに色々と最適であったことを考えてのことだろう。問題は、デザインとテーマの組合せにあるのではない。むしろ、問題は、見栄えとこういったゲームのクラウドファンディングにおける魅力にある。

クレジット: Nick Murray

そしたら、どうやって、新しく遊ぶ人たちを惹きつけて、長年のファンたちの機嫌を損ねないような形で、この古き良きゲームを華やかに仕立て上げるのか。まぁ、その答えは単純で、そんなの無理なわけさ。「Libertalia」から「Libertalia: Winds of Galecrest」、「Colossal Arena」から「Equinox」等の最近の例で見たとおり、テーマや見栄えの変更は、意見の対立を常に招いている。みんなを満足させられたらいいなと望んでいるけれど、最終的には、決定木(the decision tree)の最も論理的な枝に従わなければならない。それに、みんなが知っているとおり、そうしておけば、自然と1つの最高の答えに行き着くことになる。実際、こいつが人生、自由、それに幸福追求といった大いなる謎への答えだ。その答えとは? 擬人化された動物だ。

わかったよ、まずは、何でも反対する野郎ども(naysayers)を煽ったことを謝罪するよ。みんなみたいな素晴らしい人たちに向けて、次の段落で私たちの決断について説明させてほしい。出版社としての優先順位は、以下のとおりとなる。

1 最大多数の支援者に最も魅力的に映るテーマや見栄えのあるゲームを出版すること(そうすれば、そのゲームは資金調達に成功して、可能な限り高品質な状態で卓上に届けられる。)。申し訳ないけど、地味な古代ローマの元老院では、通常、競争が激しいクラウドファンディング界隈で目立つことはない。

2 手に取りやすいように敷居を低くして卓上に出
してもらえる確率が増やせるような形で、箱絵とコンポーネントをデザインすること。私の推測では、棚から「Quo Vadis?」とほかのゲームを引っ張り出してきて、新しくボードゲームを始めた人に箱絵に基づいてどっちか1つ遊ぶのを選ばせたら、大体99%の確率で「Quo Vadis?」じゃないゲームを選ぶね。だから、次は、棚から鮮烈なテーマと豪華な箱絵を取り出して、プレイヤーたちが"うぉー!!!"ってなれば、簡単にみんながプレイしたくなるくらいわくわくさせられるってことを忘れないでほしい。

さて、はっきり言えば、さっきの私は厚かましかった。間違いなく、全てのテーマが擬人化されるべきだとは言ってはいるわけじゃない。それに、この趣味の業界に動物、ゾンビ、クトゥルフのテーマが多すぎて飽き飽きしてることに対しては共感するよ。だけど、「Zoo Vadis」は、動物をアートに押し込みたいと切望したから生まれたわけではないということは紛れのない事実だ。むしろ、(ゲームプレイに合致したテーマを維持しつつ)先ほどの優先順位に対する解決策が、突き詰めると、動物園の動物たちが文明化されたローマ政府のように経営する動物園というものだった。動物(species)が共存する展示場があり、人気の展示場に上がるために各自の方法で政治活動を行う。熱狂的なファン(訪問者)や嫉妬心をもつライバルから得られる名誉点(laurels, ※月桂樹)を持つ。動物たちを自由に前に進めてくれる飼育係(元のゲームにおけるカエサルトークン)がいる。Kwanchai MoriyaBrigette Indelicatoによる壮麗な政治家っぽい動物のアートワークがある。この設定は、元の古代ローマの元老院議員テーマよりも、ほかのゲームプレイの変更点にはるかにうまく合致する(詳細はこの後で述べるよ。)。

クレジット: Nick Murray
アートディレクションに関する当初の構想は、Leder Gamesの「ルート ~はるけき森のどうぶつ戦記~」と……1枚のディナープレートに触発されたものだった。
クレジット: Nick Murray
クレジット: Nick Murray
初期のコンセプトアートと動物園マップのボードの雰囲気をいくつか。Kwanchaiは、着想として古い動物園のマップを研究してくれて、ゲームボードを、卓上に置かれていて物に囲まれている実際の動物園のマップにする素晴らしいアイディアを出してくれた。
クレジット: Nick Murray
制作途中のゲームボード
クレジット: Nick Murray
完成間際のマップ
クレジット: Nick Murray
動物のコンセプトアート
クレジット: Nick Murray
箱絵のコンセプトアート。動物たちの派閥色と政治的イデオロギーが「Zoo Vadis」の中心になって欲しかった。ご覧のとおり、KwanchaiとBrigetteが、グラフィックデザインと動物園の建築物において、このゲームのルーツである古代ローマの雰囲気を残すのに尽力してくれた。
クレジット: Nick Murray
完成版の箱絵
クレジット: W. Eric Martin

次の問題は、データの分析から露骨に明白なものだった。「Quo Vadis?」は3人から5人までのプレイヤーでプレイ可能で、最初から狭い範囲の人数しか遊べないものだった。けれども、ほとんどのプレイヤーは、本質的に4人か5人用ゲームであるように思っていた。自分の出版物が長い間世に出てほしいと思うのであれば、プレイヤーが卓上にゲームを出して楽しいセッションが簡単にできるようにする必要がある。この狭いプレイヤー人数は、「ボーナンザ」のような比較対象となる交渉ゲームが、3人から7人までの参加者を満足させていることから、更に大きな問題になる。

クレジット: Nick Murray

じゃ、「Quo Vadis?」のような混じり気のない(pure)デザインにおいて、どう対処したらよいだろうか。たしかに、いくつかのアイディアを持ち合わせていたが……。

クレジット: Nick Murray

良いものは良いと認めよう(Credit where credit is due)。私が当時の新作であったMichael KieslingWolfgang Kramerによる「リネイチャー」をプレイした結果として、3人でのゲームを改良するために中立のコマ(figures)を置くというアイディアが思いついた。「リネイチャー」で気に入った要素の1つは、プレイヤーが対戦相手のエリアの影響力を無効化するためにあからさまに嫌な方法で使うことのできる中立の植物の色である。そして、もし、中立的な第三者が、プレイヤー人数が少ない場合のエリアマジョリティの体験を向上させるのであれば、おそらく、交渉ゲームにおいても同じように機能するだろう……。

クレジット: Nick Murray

「Quo Vadis?」の6人か7人というプレイヤー数の可能性はどうかというと、以下が私の考えとなる。おすすめのプレイヤー数の統計が正規分布(a bell curve)のように見るとすれば、「Quo Vadis?」はカーブというよりも、プレイヤー人数が多くなるにつれて上昇しており、5人より後は崖のように急落している(というのは、このゲームが対象としているのはそこまでだからね。)。もし、これが、(現在において)"人数が多ければ多いほど良いものだ"というバイブスのゲームということであれば、おそらく、6人7人プレイ用のゲームボードは(それ以上とは言わないけど)同じようにうまく機能するだろうさ。

私のアイディアは、理論上は素晴らしく思えるが、適切に実装されないのであれば、ゲームデザインにおいてアイディアなんてものは無価値だ。幸いにも、世界最高の問題解決能力のある者の一人がこの答えを思いつく準備と熱意が整っていた。先ほど挙げた変更点という最も難しくて手間がかかる仕事は、Kniziaと彼のテストプレイヤーが行うデザイン、デベロップ、テストプレイによって全て行われた。最終的にKniziaが持ってきたものは私が期待していたものをはるかに上回っていた(注釈:このReiner、Kwanchai、Brigetteの仕事が予想を上回るというパターンは、「Zoo Vadis」における作業のあらゆる面において続いた。)。

ここにあるのが、最初にReinerが私にルール変更を紹介した時に、私に送られてきたEメールの文章だ(注釈:このコミュニケーションは、デザイナーと出版社との間のプライベートな会話のつもりだったが、Reinerは、このパブリッシャーダイアリーにおいて、これを引用して共有することを許可してくれたんだ。)。

このデベロップは、私が予想していたほど容易にはいかなかった。多くのテストプレイと研究をかけて、最終的にこの現在のルールに満足するようになった。

1 今では、6人、7人用の2つ目のボードが出来上がった。このボードは非常にうまく機能するんだ! できる限り元のデザインを維持することにした。そうすることで、プレイヤー人数を変えてプレイする際にも適応しやすくなる。

2 奇っ怪な特別ルールを導入することなく、自然な形で3人プレイゲーム(それに4人プレイゲーム)を更に良くしたかった。最終的に、今では全てのプレイヤー人数で用いられる中立のコマという形の解決策を見つけたね。ゲームにおいて中立のコマの数を変えることで、盤面のきつさが異なるプレイヤー人数にうまく適用させることができる。

中立のコマに賄賂を渡して投票させることに加えて、中立のコマも良いプレイの選択肢をもたらす。つまり、他のプレイヤーを妨害するために自分のコマの代わりに中立のコマを動かしてもいいんだ。たとえ、それが(※ゴールとなる)最上段の展示場であってもね。

Reinerが"他のプレイヤーを妨害する"という機会(例えば、誰かが勝利すること間違いなしという状態から容赦なく妨害する。)を"良いプレイの選択肢"と呼んでいると気づいて笑わずにはいられなかったよ。そのことは、彼が冷徹なデザイナーの気質に忠実であることがわかって私を喜ばせたよ。

クレジット: Nick Murray

いずれにせよ、このReinerによる修正されたプロトタイプは(プレイヤー人数に応じた)両面ボードが特色となり、(彼が指摘するように)見事に同じ構造を保ちつつ、スタートの場所に中立のコマを置く場所(これもまたプレイヤー人数に応じている。)があることに気づくだろう。本当に、ワクワクさせてくれる変更点だね!

クレジット: Nick Murray
6人、7人用ゲームボード

「Zoo Vadis」において中立のコマは、4つ目のアクションの選択肢として導入されている。その場合、プレイヤーは、次の囲い地(enclosure, ※展示場)に中立のコマを1つ進めて(多数決の投票は不要だ!)、1名誉点を得られる。加えて、プレイヤーは、中立のコマが囲い地にいて是が非でも多数の支持者が必要な場合には、(2点かそれ以上の価値がある) 1名誉トークンを中立のコマに賄賂を与えて票を獲得することができる。私のお気に入りの要素は、中立のコマは、展示場を塞ぐためという嫌な感じで使われるし、(※ゴールとなる)人気の展示場に入ろうとするプレイヤーをブロックするためにであっても使われるというところだろう!

どの動物を中立のコマにすべきか決めている時に、私の妻であるCamilleが、選択肢として孔雀をうまい具合に提案してくれた。いくつか動物園に行ったことがあるのであれば、孔雀がふんぞり返って通路を歩いていたり、自分の場所であるかのように様々な囲い地を出たり入ったりしているのを遭遇した可能性が高いはずだ。プレイヤーの賄賂や気まぐれによって、孔雀が最高の支持者か最悪の悪夢になる可能性があるということは、ただただ私を喜ばせてくれるコンセプトとなる。

クレジット: Nick Murray

「Zoo Vadis」の3人、4人、5人、6人、7人ゲームを実際にプレイした後、全てのプレイヤー人数におけるゲームが楽しい時間(a blast)だったことがわかって熱狂した。私は、概して、プレイするゲームの"最適な"プレイヤー人数に対して非常に敏感で、自分の好みのプレイヤー人数に収まっていなければ、大好きなゲームですら積極的にプレイするのを避ける。けれども、「Zoo Vadis」は、新しいゲームボード、偉そうに歩き回る孔雀、それに非対称の動物の能力のおかげで、喜んで3人から7人までの全範囲において喜んでプレイするだろう。

しかし、動物たちの能力の話に入る前に、何がそのような変更を行わせたのかについて見ていきたい。「Quo Vadis?」のBGGのページ上で読んだ全てのユーザレビュー800コメントの中で、個人的に最も際立っていたものがあった。

クレジット: Nick Murray
※このゲームは実直な小箱ゲームだが、交渉に行き着いたら、交渉する要素が少し不足している。うまく機能するために、深さ/複雑さ/交換に係る更なる要素(layer)が必要だ。

さて、(私を含む)多くのクニツィアフリーク(Kniziaphiles)は、Kniziaのデザインがシンプルすぎるとか、深さや複雑さが必要だとか言われると、呆れた表情をしがちだ。大半の場合、この種のコメントは、ゲームの深いところにある、すぐにはわからない繊細な戦略性を見出すことができなかった場合といった、1回だけのプレイ(具体的には、表面的な体験)によって生まれる……。けど、Chg21012氏が「Quo Vadis?」を1回だけプレイしたのか、何十回もプレイしたかどうかは、重要ではない。この場合、彼のコメントに共感することができるからだ。

重要なことは、期待を込めて"純粋な交渉"ゲームをプレイし始めたのに、「Quo Vadis?」がその期待にあまり応えられなかったことだ。このジャンルのファンとしては、彼らの言いたいことはよくわかる。個人的には、交渉の盛り上がりの最高点は、「Chinatown」や「Sidereal Confluence」のようなデザインに由来している。こういったゲームでは、取引できるものやそういった取引がどのように形成されるかについて本当に面白い(delicious)柔軟性を与えている。一度に3つ、4つの方法で数人のプレイヤーと取引するような、楽しい瞬間を体験できる。経験が多くなれば、将来の約束のほうが、現時点での交換よりもはるかに価値があって面白いということにも気付く。それに、他の誰かを、数ポイントやちょっとした現金で単に買収するのではなく、実際は、好意を(favor)交換しているわけだ。こういったゲームは、プレイヤーが、創造的に、取引に関わる人たちに対して無から価値を生み出すことができるほど、十分にダイナミックである。

このことは、「ボーナンザ」や「Quo Vadis?」のようなゲームとは対照的で、よりダイナミックな交渉ゲームという禁断の果実を味わってしまった人たちをがっかりさせる可能性が高い。誤解しないでくれ。どちらのゲームも素晴らしいと思っているが、戦略的な交渉の機会は、できることが基本的に豆を交換したり、票や得点を提供したりするだけのこちらのゲームのほうが限定されている。

クレジット: Nick Murray

じゃあ、どうしたら、「Quo Vadis?」の純粋さを保ちながら、交渉の限界値(ceiling)を突破することができるのだろうか。以下が、私のアイディアとなる。

クレジット: Nick Murray

「Quo Vadis?」の特別ディスクを試したことがある人たちならば、複数のアイディアが私の提案に含まれていることに気づく。しかし、ここでの重要な点は、特殊能力を取引可能なアイテムに変える可能性である。もし、プレイヤーが、交渉に有用な道具(belt)に付け加えられるであろうルールを破壊する能力を有していれば、このゲームは、Chg21012が探していた高みに達することになるだろう。

この段階で、新しいルールを私に説明するReinerのEメールに戻るのに良い機会のように思う。

3 非対称のプレイヤー能力が、最も難しい部分であることが判明した。元々、プレイヤー能力は、望んでいたものとは逆の効果をもたらしたんだ。プレイヤーにより強い力を与えてしまい、自分自身がやりたいことをするように誘惑して、交渉と協力高めるのではなく、むしろ弱体化させてしまう……。

解決策としては、プレイヤー能力を他のプレイヤーに対してのみ適用することができて、自分自身に対しては適用できないこととした。こうすることで、プレイヤー能力を取引不可にすることにもなった。これらは、真にプレイヤーの個人能力であって、これらがゲームにもたらす多様性とインタラクションが心から好きになったよ!

このことは、「Zoo Vadis」における動物たちの個々の個性にもうまく合致するだろう!

プレイヤー能力は、ゲームをよりダイナミックに、そして一層ドラマチックにする。強引さが増したことに起因して、もはやゲーム中に5人以上の元老院議員を投入できなくなったことがわかった。その数を8人から6人に減らすことで、他のプレイスタイルでさえも別状がなく、プレイヤー人数の幅をふやしながら多くのコンポーネントを節約することができる。

最後に、新しい特徴(孔雀と固有能力)を特別な名誉トークンを導入する機会として利用した。それと同様に、追加の(飼育員の)動きを可能とするトークンも導入した。かなり長くて時間ばかりがかかる過程を経て、今ではその結果に満足している。追加点は、「Quo Vadis?」の美しい改良となり、プレイに過剰な負担をかけることなく、面白くて新しい特徴を導入することとなった。この特徴はしっかりとテストプレイされており、みんなとても気に入っているよ。

Reinerは、よくこんな風にするということもあって、この男は、先ほどの興味深いアイディアを検討して、それをひっくり返してきたんだ。そう、彼は、非対称の能力トークンを付け加えた。けど、プレイヤー自身にはその能力を使うことができないし、他のプレイヤーと取引すらできないようにした! 違うのは、「Zoo Vadis」が交渉ゲームであって、交渉を引き出す最善の方法は、プレイヤーに対する信用と相互依存を強制することにある。自分の強力な能力トークンを用いてできることを全てするということは、別のプレイヤーの手番中にその者に対して自分の能力を使うことを提案するということになる。

クレジット: W. Eric Martin
派閥(faction, ※能力)トークンのコンセプトアート。Brigetteは、Kwanchaiの動物のイラストを検討し、それに合うエンブレムのデザインとカラースキームを、非常に魅力的に仕上げてくれた。
クレジット: W. Eric Martin
クレジット: W. Eric Martin
トキトークンとスクリーンのプロトタイプの現物
クレジット: Nick Murray
プレイヤースクリーンによって、動物たちの固有の派閥を目立たせながら、プレイヤーにゲームプレイ中の有益な情報(アクションの選択肢や動物たちの能力)を全て提示することができた。

そして、弱めの能力のバランスを取るために能力トークンの数を多くするよりも、むしろその代わりとして、対戦相手に対してその能力を使うために、名誉トークン(ポイント)をプレイヤーに与えることとした。そうすることで、お互いに自分の能力を使う動機付けがされるが、(より利益のある取引ができる)強め能力の場合には、当然に手に入れられる名誉トークンは少ない数しか与えられない。

ゲームプレイの観点からすると、こうした能力は、交渉の可能性という扉を間違いなく開くという方法論として、「Zoo Vadis」における新しい特徴の中で最もわくわくするものだろう。アルマジロの派閥は、対戦相手が、上位の展示場に入るための無料のショートカットとして、地下のトンネルを利用することができるようになる。マーモセットの派閥は、優秀な猿のように、対戦相手が、その先にある弱めのトークンではなく、ボードから選択した名誉トークンを回収するのに役立つ。サイの派閥は、移動において一度に2つのコマを移動できる強みがある。そんで、これらは、7個の能力のうちのまだ3つでしかない!

私は、次のようなプレイヤー間において行われた、本当に桁外れの取引を見たことがある。

クロコダイルは、次の展示場に進むためにはサイからの投票が必要となる。しかし、クロコダイルが次の展示場にある最後の空いているスペースに進んでしまい、別の動物が立ち退くまでサイがその展示場に入ることを妨害されてしまうことから、サイはクロコダイルを支援することを渋っている。
クレジット: Nick Murray
元々の「Quo Vadis?」では、多くの場合、投票するプレイヤーが、前に進もうとするプレイヤーに対して法外な支払を要求することから、そこで話は終わりとなるので、取引は一切行われない。

幸いにも、今回は「Zoo Vadis」の話だ。だから、ずる賢いクロコダイルは、動物の能力のおかげで、両者にとって利益となる機会を見出す。見てわかるとおり、クロコダイルとサイが入りたいと考えている次の展示場にはトキもいる。そして、トキは、前に進むために是が非でも2票を必要としているけど、(※トキの)お隣にいる3匹のハイエナが、その申出を一層頑なとなって拒否している。

そこで、こういった状況下の困っている仲間の動物たちに対するクロコダイルの提案は、こんな感じだ。"サイさん、もし、君が私に投票してくれたら、私に対して能力トークンも使うことができる。私は、それを使って君を一緒に進めることにするよ。どちらか一方しか入れる場所はないんだけれども、トキさん、君の力も必要なんだ。君の能力トークンを私たちに使って、余分な動物が満員の展示場に入れるようにしてほしい。その後、トキさんは、私たちを展示場に入れるようにしてくれたので、君の手番で君に投票することにするよ。"

3つの政党はこの合意に満足して、取引が成立する。

「Zoo Vadis」は、尽きることのない発見と創造的な交渉のスリリングな実行のゲームだ。しかも、より鮮やかな設定となって、より幅広いグループ人数に対応している。この種の体験は、まさに私の中に(そして願わくば、多くのファンたちの中に)植え込まれているもので、「Zoo Vadis」をたくさんプレイして楽しむための飽くなき欲求となる。「Quo Vadis?」を特別なものにしている要素を弱めたり損なったりするのではなく、先ほど挙げた変更点によって、このゲームのデザインの強みが増幅して進化することで、最大限のポテンシャルが発揮することとなった。人気の展示場に到達して動物園のマスコットになることを夢描く(starry-eyed)動物たちのように、「Quo Vadis?」は常に「Zoo Vadis」のようになることを切望していたみたいだ。

Nick Murray

追記:先ほど、「Zoo Vadis」のKickstarterのローンチ前のページが公開された。プロジェクトの開始は、2023年1月24日となる。

クレジット: Nick Murray

以上

※デベロップやテーマ変更、ダイアリー形式の記事としては、ほかに以下のものがある。

※アーティストであるKwanchai Moriyaのインタビューとして、以下のものがある。

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