ちちよ ちちよ
575や57577を愉しむお気楽コーナー「乳よ乳よ」を作った。俳句とか短詩と呼ぶには畏れ多くてアラビア数字で表現してみたり‥。インターネットで出逢った句などを読んでまいります。それで初めての句はやっぱり俳聖はせをのが好いだろう...と。(by puns drago)
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蓑虫の音を聞きに来よ草の庵 松尾芭蕉
みのむしのねをききにこよくさのいほ
(句意)
ここで句意などと大仰にしたくないが一往、パンドラ児の読み方。
侘しい者どうし集まって積もる話でもしよう。芭蕉の心の内も語って進ぜましょう。
くれくれて餅を木魂(こだま)のわびね哉 松尾芭蕉
くれくれでもちをこだまのわびねかな
(句意)
年の瀬、あっちからもこっちからも餅つきの音が聞こえてくれば、侘び寝して日々を過ごている我が身の来しかた往くかたが想われてならない。
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さて、ちちよちちよの言いだしっぺが誰かは知らないけど、枕草子に「八月ばかりになれば、ちちよ、ちちよと、はかなげに鳴く、いみじうあはれなり。」と記されてある。旧暦の八月は新暦の8月下旬~10月上旬のころ。
教養高き清少納言に「乳よ乳よ」と表現することは能(あた)わず、ここに清少納言の知性が輝いて見えるならばそれは私の偏見かも知れませんが、ここは飽くまでパンドラ児の読み方という事で‥綴ってまいります。
生み捨てられた鬼の子と言えども乳をほしい乳をほしいと泣くに違いない。心やさしい清少納言の心根が透けて見える気がする私。人の児が泣くのも鬼の子が泣くのも少しも変わらなく感じられる‥これが人の母心だろうなあ。
人の親として想うこと‥乳を欲しがる鬼の子にも父親はいるだろうから俺に関係ないことと突き放すのでなくどうか「父よ父よ」と聴こえてほしい。今から1000年余の昔から続くこの声を現代のあなたも聞き洩らさないでね。
清少納言のこの想いが一人でも多くの人に届くと善いなあ。(by puns drago)
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