【短編小説】ウソつき#やさしさを感じた言葉
(読了目安15分/約11,500字+α)
嫌いだった。
物心ついてから今も、この先も、橋本諒真が大嫌い。
昔は、近くの公園で砂遊びや滑り台で遊んだ。でも、せっかく作った砂のお山に上から水をかけて壊された。滑り台を滑るのが怖くてなかなか降りられないでいると、不意に後ろから押された。お誕生日に買ってもらった髪留めも勝手に盗って返してくれなかった。諒真はいつもわたしに意地悪ばかりした。
わたしは諒真と一緒にいるのが嫌だったが、わたしと諒真の母はママ友で仲が良く、どちらの両親も共働きだった。小学校の時はそれぞれの母親の帰宅が遅いと、もう一方の家で夕飯を食べて、親が迎えに来るまで一緒に過ごすことになった。諒真のおじさんとおばさんは優しい人で好きだった。その目を盗んで、諒真はわたしのお菓子まで盗って食べた。
牧野家と橋本家はほとんど家族だった。だから、小学校のときも中学校のときも、夫婦と言われ同じクラスの男子にからかわれた。みんながこっちを見てクスクス笑っているのを感じて、恥ずかしくて俯くことしかできないのに、隣で諒真は「いやぁ~、実はー」と言って変な顔をしながらおどけて見せた。それを見て、周囲がドッと沸き、わたしはますます顔を上げられなくなる。
それから、わたしは登校時間を早めにして、学校ではできるだけ諒真と会わないように過ごした。それでも諒真はわたしを見つけると気軽に話しかけてくる。わたしは無視して通り過ぎると、諒真の隣にいた男子が「夫婦ゲンカか~?」と茶化すので、足早にその場を逃げ出すのだ。
諒真は要領が良くて成績も良かった。それなのに高校も進学校ではなく、わたしと同じ高校へ行くことに決めた。そして高校では小学校以来4年ぶりに同じクラスになった。
4月に入学して、あっという間に諒真は人気者になった。クラスでは、率先して発言して笑いを取り、場を和ませる。勝手な発言をする諒真を、先生は叱りつけながらもしょうがない奴だと苦笑する。
高校になるとからかってくる人は減ったが、それでも付き合っていないと何度も否定することになった。対して、諒真は「バレたか~」と相変わらずおどけていた。
わたしは諒真と下校時刻をずらすために、バレー部に入った。バレー部はみんな良い人ばかりだった。中でも副部長の長瀬先輩は1年に優しく、積極的に声をかけてくれた。長身にポニーテールを揺らし、切れの良いアタックを容赦なく叩きつける。成績も優秀で、部活もしながら生徒会の書記もしている。
気軽に話ができるようになった6月。長瀬先輩にさりげなさを装って、気になっていた生徒会長のことを尋ねた。
「忍足くん?ちょっと完璧すぎるよね。ルックスも良いし、勉強もできる、人付き合いも良くて、男子にも女子にも人気がある。おまけにお父さんがお医者さんでしょ。誰かと付き合っているとかの噂もないし、かといってがり勉タイプでもないしね。まあ、私はバレー部メインで生徒会にはそんなに顔出してないから、知らないだけかもしれないけど」
長瀬先輩は大人びた顔の眉間にしわを寄せて答える。そしてふと表情を和らげると、わたしの顔を覗き込む。
「安奈、もしかして忍足くんのこと?」
わたしは顔の血が上ってくるのを感じて、先輩に赤い顔を見られないように急いで左右に頭を振った。見られないと思ったが、やはりバレているらしい。
「ふーん、私はてっきり安奈は橋本くんと付き合ってるのかと思ってた」
「違います!あんな奴、関係ないです。勝手に付きまとってくるだけで、迷惑してるんです!」
先輩は明るい笑い声を立てる。
「そうなんだ。羨ましいけどな。幼なじみで仲が良いなんて」
「良くありません。あんな奴、熨斗つけて差し上げます」
笑っていた先輩は突然振り返り、わたしに顔を寄せ、いたずらっぽく微笑んだ。
「そうだ、安奈。良かったら生徒会室に遊びにおいでよ。私の後輩だって言ったら入れてもらえるから。忍足くん、たいてい居るし。なんなら生徒会に入っちゃえ」
わたしはノリの良い先輩の言葉に乗せられて、気がつけば一人、生徒会室の前に立っていた。部屋の前まで来たものの、さすがにノックする勇気がない。戸の前で、右往左往していたが、今日はやめておこうと踵を返す。
「生徒会室に、何か用?」
進行方向に立っていた、忍足先輩がわたしの顔を覗き込むようにして、少し首を傾げていた。
わたしは体中の熱が顔に上がってくるのがわかる。慌てて答えようとするがうまく空気が吸えずに口から意味のない言葉が漏れる。
「あ、もしかして牧野安奈さん?」
忍足先輩は思いついたようにわたしの名前を呼ぶ。わたしはさらに驚きつつも大きく何度もうなずいた。
「やっぱりそっか。長瀬さんから聞いてるよ。生徒会に興味があるんだよね」
厳密に言えば興味があるのは生徒会ではない。と思いつつも更に大きくうなずく。
忍足先輩はわたしを頭のてっぺんから足の先までじっくり観察するように眺める。顔に集中していた血が下がったからか、わたしはぞくりとした。強張ったわたしの顔に気づき、先輩は安心させるように微笑む。
「ああ、ごめんごめん。まさかこんな可愛い子だとは思わなくて」
「え、か、か!」
また顔に血が戻ってくるのがわかる。先輩は口元に手をやり、わたしの表情の変化を興味深そうに眺めながら、少し考えるように言う。
「うーん、でもごめん。今日はバタバタしてるから。そうだな、木曜日の3時半頃もう一回来てくれない?その時には生徒会室の中でゆっくり話そう」
木曜日はちょうど部活の無い日だった。翌日の創立100周年式典の準備で、放課後体育館内に椅子を並べるらしく、バスケ部とバレー部は休みなのだ。
終礼が終わったらいつもならすぐに部活へ向かっていたが、今日はのんびりと帰りの準備ができる。
「安奈、今日部活ない日だろ。帰ろうぜ」
諒真がまだクラスのみんながいる前で、気安く話しかけてくる。誰かが口笛が吹く。
「わたし、行くとこあるから」
ぶっきらぼうに言い放ち、わたしは大きな音を立てて椅子を引く。諒真は虚を突かれたように固まる。それを無視してわたしは教室を出た。
先日、牧野家で橋本家と一緒にご飯を食べたとき、生徒会をバカにする諒真と喧嘩したばかりだ。行き先を告げるつもりは毛頭なかった。
少し早いけど生徒会室に向かおう。はやる気持ちを落ち着かせながら、教室棟から管理棟を通り過ぎて、実習棟へ向かう。生徒会室はその3階の一番奥。移動するだけでも5分くらいかかる。
一呼吸おいてノックをすると、どうぞ、と声がする。わたしはゆっくりと戸を開いた。
部屋の中央には、会議用テーブルが2つくっつけて置かれ、その周りをぐるりとパイプ椅子が囲んでいる。壁際の書棚にはたくさんのファイルが並べてあり、部屋の隅にはくたびれた3人掛けのソファが置いてあった。
「それ、仮眠用のソファなんだ。この部屋は他の教室から離れているから、試験前はみんなここで勉強することが多くて、結構利用するんだよ」
窓際の椅子に座って本を開いていた忍足先輩は、立ち上がりほほ笑んだ。わたしは日の光の中で佇む先輩に思わず見とれてしまう。先輩は少し首を傾げ、紅茶で良い?と尋ねる。わたしの返事を聞くと、そこ、座っててとパイプ椅子を指さし、すでに用意されていたカップにポットの湯を注いだ。
「綺麗に整頓されているんですね」
わたしの素直な感想に、先輩は、ははは、と笑う。
「そうだね。牧野さんが来るまでに必死に片付けたよ。この間、部屋を見られていたら幻滅されてたかもね」
「そんなこと・・・!」
はいどうぞ、と先輩はわたしの前にティーカップを置いた。わたしは緊張で乾いた喉を潤そうと、早速カップに口をつけた。先輩はその様子をじっと見つめる。カップが机の上に戻るところまで目で追いかけると、先輩はわたしの顔へ視線を戻す。
「それで、牧野さんは生徒会に興味があるんだったよね。生徒会は二期制だから入るとしたら10月からだけど、どんなことがしたいとか、希望はあるの?」
正直、そんなところまで考えていなかった。わたしは心の中の狼狽をごまかすように、お茶を飲む。
「えっと、すみません。興味はあるんですけど、具体的にどんな活動をされているのか、正直わかってなくて」
わたしの目をじっと見つめながら先輩は口を開く。
「そっか。じゃあ、説明するね。今の生徒会執行部は会長と副会長が各1人、会計2人、書記3人で構成されているんだ。会長と副会長は1人ずつって決まっているけど、会計と書記は2人~4人と幅があって・・・大丈夫?牧野さん」
頭の中に霞がかかるような、抗いがたい眠気。すみません、先輩、と言おうとするが舌がもつれうまく言葉が出ない。視界がぼやけてよく見えない。
入り口の戸が開く音がして、男子の話し声がする。忍足先輩が面白がるような声で、お前ら気が早いな、と話していたような気がした。
◇ ◇ ◇
ずっと好きだった。
はじめて公園で会ったときから、今までも、おそらくこれからもずっと、牧野安奈が大好きだ。
幼い時は、俺のちょっかいにコロコロと表情を変える安奈を見たくて、いろんないたずらをした。大きくなっても反応の良さは変わらず、今でもたまにちょっかいをかけたくなる。
安奈のところとは母親同士がママ友で、橋本家と牧野家は家族のように仲が良かった。小学校の頃はお互いの家でよく夕飯を一緒に食べたし、高校生になった今でも母親同士の声かけで回数は減ったが一緒に食べることがあった。
牧野のおじさんは缶ビール片手に、安奈のこと守ってやってくれよ、と俺にこっそり耳打ちをした。口癖のように繰り返されるそれは、俺の心の底にずっと刻まれている。そのせいか小・中と安奈と同じ学校に通い、高校は少し迷ったもののやはり同じ所へ進学することにした。
安奈は母親似で、もともと顔の造作が大きく可愛かったが、小学校高学年の頃には、同じ学年では知らない人がいないくらいの美人になった。俺は安奈のことを遠巻きに見る男子の視線を遮るように、積極的に安奈に話しかけた。彼女は嫌そうにして俺を避けていたが、それでも俺が近くにいることで、多くの虫は追い払うことができた。
中学になると彼女は女性らしい体つきになった。他の女子に比べて胸が大きく、思春期の男子が固まると、すぐに噂の種になった。俺は安奈に積極的に絡み、付き合っているとからかわれても、決して否定しなくなった。安奈はますます俺を避けたが、それでも彼氏のような顔をしていれば、面倒なヤツに好かれずすむだろうと思った。
高校ではひさしぶりに同じクラスになった。俺はすぐにクラス全員に声をかけ様子を探りつつ、安奈と幼なじみアピールを繰り返した。悪ふざけをして面白いヤツだと受け入れてもらって、ネットワークを広げた。安奈が変な被害を受けないように、俺は慎重に同級生をリサーチしていた。
「あーあ、橋本、お前はいいよなぁ。あんな可愛い彼女がいるんだから」
ウインナーの入ったパンをかじりながら、木戸が恨めしそうに俺を見る。
「ふっふっふ、もっと羨ましがるがいい」
俺は口の中のあんパンを飲み込み、不敵な笑みを浮かべてみせる。隣で聞いていた野上が、ムカつくわコイツ、と言いながら俺の脇腹をくすぐる。俺は攻撃を受けながら、とっさに口に牛乳を含み、吹き出しそうな顔を作って見せる。うわ、汚ね、と言って飛び退る野上を見て、木戸が、プッと吹き出す。そしてすぐに表情を戻すと、野上に問いかける。
「なー、野上。あの生徒会の噂、本当だと思う?」
「噂?」
野上より先に、思わず聞き返した。が、その問いには野上が答えた。
「生徒会に入ったら童貞を卒業できるってやつだろ」
「そう、それ」
野上はカレーパンをかじりながら、興味なさそうに答える。
「生徒会に入ったらモテるってことじゃね」
「野上、今の生徒会メンバー知ってるか?会長、副会長は別格として、書記・会計のヤツら」
口の端についた油を手の甲で拭い、ああ、と呟く。
「あれは、モテねぇな」
「だろ。でも噂では卒業済みらしいぜ」
はあ?と野上が間の抜けた声を出す。木戸は周囲に鋭く視線を走らせ、少し声を落として続ける。
「何でも、会長に言い寄る女子を回してもらえるとか」
俺は眉間に皺を寄せたまま、何だよそれ、と呟く。
生徒会長の忍足駿は有名だった。入学式でスピーチをしていた姿は印象的で、爽やかな容姿と理知的な声。挙句、親は医者だという。入学初日から女子がキャーキャーと話題にする会長様だった。あの清廉潔白なイメージと結びつかない。
野上もさすがにそれは無いだろ、と笑い飛ばす。
「ほら、あの会長の家って医者だろ。そこからなんかヤバい薬とかが手に入るとか入らないとか」
「木戸。それ、どこ情報だよ」
野上はカレーパンの入っていた袋をクシャっと丸め、呆れたように訊ねる。
「会計やってる田中さんの友達がしてた内緒話を盗み聞きした某クラスメイト」
「遠いんだか近いんだか」
「リアルだろ?むしろ」
俺はガサガサと音を立てて空になった袋をまとめる。
「で、木戸は生徒会に入るの?」
「いやー、入ってガセだったら、すげぇ後悔しそう」
「確かに」
野上が神妙にうなずく。その雰囲気に思わず吹き出す。それを合図にしたように、俺らはそれぞれ昼休憩を満喫しに行った。
俺は突然の安奈の告白に、箸でつまんでいた肉を取り落とした。肉は高いところから焼き肉のたれの中に落ち、テーブルに茶色い飛沫がつく。グチりながらティッシュを取る親父の声はまったく聞こえなかった。
「さすが安奈ちゃん。素敵じゃない」
おふくろが安奈をまぶしそうに見つめていた。
牧野家で焼き肉をした日、安奈は少しためらいがちに「生徒会に入るかもしれない」と言ったのだった。
「それで、やっぱり狙うは会長の座?」
「まさか!もっと末端のところで。というかまだ考え始めたばかりだし、ほんとに入るかわからないし」
安奈は頬を少し赤らめながら手をブンブンと振る。楽しそうに話すおふくろと安奈から目を離し、俺はたれの中にダイブした肉を箸で泳がしていた。
「どうかな」
低くつぶやいた俺の声に、安奈のおばさんが気づく。
「あら、諒真君は反対?」
「なんか、生徒会のヤツら、あんまり良い噂聞かないんですよね」
「噂って?」
おばさんは優しい口調で尋ねる。俺は正直に答えるわけにもいかず、いろいろ、と呟く。
「諒真は生徒会に知り合いがいるの?」
安奈が敵意むき出しの声で俺に問いかける。
「いや、そうじゃねぇけど」
「じゃあ、いい加減なこと言わないでよ。バレーの先輩が生徒会に入ってるけど、すごく素敵な人なんだから」
「そりゃ、安奈の先輩は良い人なのかもしれないけど」
「けどって何?諒真は生徒会の人たちを知らないんでしょ?だったらそういうの、止めてよ」
しん、と静まった食卓の場を和ますように、おふくろが口を開く。
「ほら、やっぱりそういう組織って、誰がトップかで雰囲気変わるじゃない。今の生徒会長ってどんな人なの?」
安奈は一呼吸おいて、口元を和らげるとおふくろの方を向く。
「格好良くて、成績が良くて、式典もテキパキこなして、親切で・・・」
「あら、安奈。もしかして生徒会に入りたいのって、会長さんが目当て?」
おばさんがからかうように安奈を小突く。安奈は反射的に自分の口を押える。顔にどんどん血が上ってくるのがわかった。俺は急に胃が気持ち悪くなる。
「そういうやつが一番、裏で何やってるかわかんないんだよ」
吐き捨てるように言うと、少しだけ気持ち悪さがマシになった気がする。
安奈は、握っていた箸をテーブルに叩きつける。顔はまだ赤いが、もう照れではない。
「どうしていつもそんないい加減なこと言うの?」
椅子を引いて立ち上がり、俺をまっすぐ見下ろす。
「ウソつき」
彼女は憎しみのこもった声でそれだけ言うと、おばさんの呼び止めも聞かず、廊下へ出て行った。残された者はお互いに目くばせし、場を和ますように笑みを浮かべて見せる。俺は到底、笑顔をつくれない。缶ビールを傾けながら俺を静かに見つめるおじさんと、目を合わせることしかできなかった。
明日の式典の準備で、今日はバスケ部とバレー部は休みだと聞いていた。
安奈とは帰る方向は一緒だ。一緒に帰ろうと言っても断られるかもしれない。だが、どうせ同じ方向へ帰るのだから、無理やりついていこう。
焼き肉の日以来、安奈はますます俺とは顔を合わせもしない。何とか話をして、この間のことは謝り、生徒会には近づかないようにもう一度伝えたい。
「安奈、今日部活ない日だろ。帰ろうぜ」
俺はまだクラスがざわついている中で、安奈に話しかける。案の定、安奈は俺と目も合わせない。
「わたし、行くとこあるから」
ぶっきらぼうに言い放ち、安奈は一人でさっさと教室を出て行った。
追いかけようかと思ったが、立ち止まる。ひさしぶりに部活が無い放課後だ。行くところがどこかわからないが、買い物ならさすがについて回るのは不自然だろう。
「ザマーミロ、フラれてやんのー」
木戸は嬉しそうに俺の肩に腕を乗せる。俺は一度、咳払いをする。
「木戸くん、これをツンデレと言うのだよ」
やっぱムカつくわコイツ、と野上が俺の頭をぐしゃぐしゃに搔き乱す。
そのまま3人で下校することになる。俺らはじゃれあいながら下足箱に向かい、スニーカーを手に取りかけて、俺は固まった。
目の端に映った安奈のローファー。行くところは買い物ではなく、校内のどこか。
俺は一気に不安になる。安奈が興味を持っていた生徒会。今日はバレー部が休み。生徒会に顔を出す機会としては最適だ。そのバレー部の先輩が一緒にいてくれるなら安心だろう。だが、もし安奈だけが生徒会室に向かっていて、会う相手が生徒会長だったら?
「どうした?橋本。帰らないのか?」
すでに靴を履き替えた野上と木戸が、俺を待っていた。
「あー悪ぃ。俺、シロポンに呼び出されてたんだった」
少し考え、数学科で担任で学年主任でもある内藤史郎先生の名前を出す。怒ったときは本当に雷が落ちたんじゃないかと思うような、顔も声も性格も怖い先生だ。
呼び出しはウソだ。だが案の定、2人とも同じように顔をしかめる。
「ゲ、マジか」
「あー、じゃ、俺ら先帰るわ。健闘を祈る」
「お前の屍は、明日拾ってやるよ」
2人はそそくさと立ち去った。俺は室内履きのまま、教室棟から管理棟を通り過ぎて、実習棟へ向かう。するとちょうど1階の音楽室から出てきた、三島さんに出くわした。三島さんとは同じクラスで、安奈とは一番仲良しの吹奏楽部員だ。
「あ、ちょうど良かった。三島さん、安奈見てねぇ?」
「安奈?見てないけど、今日は生徒会室にいるんじゃない?前から行くって言ってたし」
彼女は首から下げたストラップに重そうな楽器をぶら下げ、さらりと答えた。
「なあ、それ先輩も一緒って言ってた?」
「先輩って、長瀬先輩?どうかな。そんなことは言ってなかった気がするけど」
楽器をカチカチと手でいじりながら、彼女は首を傾げた。音楽室の外廊下に置いてあった楽器ケースから布を取り出すと、そのまま音楽室へと戻っていった。
嫌な予感がする。この間木戸と野上から変な噂を聞いたばかりだからか、余計に悪い方向へ考えてしまうのかもしれない。もちろん、生徒会室で穏やかに話している可能性もある。
安奈が幸せならそれで良い。やりたいことができるならそれで良い。でも、もしあの噂が本当だとしたら。
俺が生徒会室に飛び込んで、先輩を取り押さえられるのか。いや、正直無理だ。足の速さには自信があるが、腕っぷしは弱い。
俺は管理棟に戻り職員室に飛び込んだ。
職員室は人がまばらだった。明日の式典の準備に駆り出されているのかもしれない。
1年の先生の席には、シロポンだけがいた。机には中央に置かれたパソコンの左右に、書類やらファイルやらの山ができている。俺が近づいてくるのに気が付き、パソコンから目を上げる。
「どうした、橋本」
「先生、あの」
俺はそこまで口に出して、止まる。どう言えばいい。どう言えば伝わる。
「あの、ちょっとヤバいことが起こってるかもしれなくて、一緒についてきて欲しいんすけど」
「何だ、もっとわかるように説明しろ」
先生が不審そうに顔を歪める。
「だから、俺の考えすぎかもしれないけど、もしかしたら安奈が危ないかもしれなくて」
「牧野が?」
先生は訊き返すと、俺の答えを聞く前にため息をつく。
「橋本、お前な。何を企んでるのか知らんが、あんまり妙なことばかり言ってるとお前のためにならんぞ」
俺は苛立ちを紛らわすようにガリガリと頭を掻く。どうしたらいい。どうしたら一緒に来てくれる。
俺は、先生の机の上の書類をひっつかみ走り出す。先生は一瞬遅れて、おい、と怒鳴る。何の書類だったかは確認する間も無い。だが、先生が俺を追いかけてくるのを認め、成功だと安堵した。そのまま先生との距離を保ったまま、実習棟の3階へ向かう。
突き当たりで立ち止まり、振り向く。息を切らして階段を上ってきた先生が、俺との距離をじわじわと詰めてくる。先生との距離が3mを切った時、俺は勢いよく生徒会室の戸を開いた。勢いよく開いた戸は大きな音を立て、俺と先生は生徒会室の中へ視線を向ける。生徒会室の中にいた3人もまた、俺たちを振り返った。
生徒会長は、部屋の中央あたりにあるパイプ椅子に座っていた。その体の向きには、生徒会室の端に置かれたくたびれたソファ。その近くで屈みこむような姿勢をしていた男子。ソファの上には四つん這いになった男子。そしてその下には力なくだらりとした女子の足。足は男子の体を挟むように大きく開かれ、スカートはめくれ上がり白いパンツが見えている。
硬直した場に、シロポンの怒号が響いた。
それから先、目まぐるしく展開していった。シロポンは冷静に生徒会室の入り口の戸を閉めたうえで、十分外に声が漏れる音量で3人を叱り、状況を確認する。
どうやら安奈は睡眠薬で眠らされているらしく、1,2時間で起きるとのことだった。
連絡を受けて駆け付けた教頭に3人は連れていかれた。ほぼ同時に入ってきた保健室の佐伯美和先生が、安奈の服を丁寧に整えてくれた。人目につかないように、俺が廊下の人通りをチェックしながら、シロポンと佐伯先生が安奈を保健室まで運んでベッドに寝かせた。
佐伯先生が服を整えてくれていたが、ブラウスの胸のあたりのボタンが無く、白いキャミソールが覗いていた。俺は彼女にかけられていた布団を首元まで引っ張り上げ、覆う。
「橋本くんは、牧野さんと仲が良いの?」
優しい声音で佐伯先生が俺に話しかける。
「幼なじみなんです」
「そう」
安奈の眠る顔を見つめながら、そばの丸椅子にストンと腰を下ろした。
「牧野さんが危ないって、どうして気がつけたの?」
「なんか、生徒会に良くない噂があって、でも安奈が、牧野さんが生徒会に入りたいって言ってて。絶対じゃないけど、なんか嫌な予感がして」
俺は、心を落ち着けるように一呼吸する。
「予感なんて外れて、飛び込んだら普通に話をしてて、安奈に何するんだって怒られて、俺はまたふざけて、愛想つかされて……そうやって、嫌われてた方がずっと良かった」
佐伯先生は優しく相槌を打ちながら黙って聞いてくれていた。俺は視界がにじんでいるのを気づかれないように、保健室の壁を見つめる。
保健室のドアがノックされ、聞きなじんだ声がした。安奈のおばさんだった。
おばさんは、佐伯先生に頭を下げ、こちらに目をやる。
「ああ、諒真君」
青白い顔をかすかにほころばせる。そしてベッドにそっと近づき、安奈の頬にそっと手を寄せた。
「まだ、一度も起きてない。眠ったままだよ」
俺は小さく手を震わせているおばさんに、そっと伝える。おばさんは無言で何度もうなずき答える。
ドアのノックの音が響き、シロポンが入ってくる。
「牧野さんのお母様でしょうか」
おばさんは屈めていた姿勢を戻し、振り返り返事をする。
「ここでは何ですので、別室でお話しをさせていただきます。お父様は来られますか?」
「はい、今職場を出たと連絡がありましたので、おそらく20分くらいでは到着するかと思いますが、先にお話をうかがいたいと思います」
「そうですか。それではご案内します。佐伯先生、安奈さんの方はお願いします」
佐伯先生は返事をして、おばさんの方に深く頭を下げる。おばさんも頭を下げ、俺に小さく、お願いね、と言い残し、シロポンの後を追っていった。
程なくして、安奈は目を覚ました。混乱している安奈を、佐伯先生は落ち着かせるようにゆっくりと言葉を選びながら伝える。それでも話を聞きながら、安奈はずっと泣いていた。
佐伯先生が説明している間、俺はベッドを覆うカーテンの外でじっと聞いていた。安奈の嗚咽を聞く度、手が震えた。
そっとカーテンから出てくる佐伯先生と目が合う。先生は何も言わず、自分の席に着く。俺は、カーテンの隙間から、安奈、と声をかける。
「どうしてこんなこと」
安奈は仰向けのまま両手で顔を覆っていた。かすれた声が指の隙間から漏れる。その声に俺の胸は貫かれるようだった。お願いだ。もう泣かないでくれ。
「先生の話なんて、ウソだよ。何にも無かった。安奈は緊張しすぎて気ぃ失ったんだよ」
俺の口はまたウソをついた。でも、信じてくれればいいと思っていた。
「そんなわけないじゃん。あのお茶に薬が入ってたんだよ」
「入ってないよ」
「入ってたんだよ。先輩たち、私に乱暴しようとして」
「してないよ。安奈は勝手に気ぃ失って倒れて、みんなで保健室に運んだんだよ」
「じゃあなんでこんな制服がぐちゃぐちゃになってんのよ」
「それは……安奈の寝相が悪いからだろ」
「悪くないし」
「悪いんだよ」
「諒真だって」
安奈はちょっとだけ言葉を切り、呼吸を整える。
「諒真だって、前に生徒会のこと良くないって言ってたじゃん。私信じてあげられなかったけど」
申し訳なさそうに付け足す。安奈は嫌な思いをして、そのうえ俺に悪気を感じている。
俺は、今まで安奈が嫌な思いをしないように、辛い思いをしないように守っていたつもりだった。たとえウザがられようと、嫌われて避けられようと、それでも安奈を守れるならいいと思っていた。それなのに肝心な時に守ってやれなかった。結局、傷つけた。
もう嫌だ。すべて何も無かったことになればいい。悪役が必要なら俺でいい。
「・・・俺、ウソつきだから」
無意識に口から出た言葉に、安奈ははっとしたように俺を見た。彼女の目は真っ赤で、顔じゅうが涙で濡れていた。俺は安奈の目を見ながら続ける。
「全部ウソ。先輩たちも悪くないし、安奈は勝手に気ぃ失った。何にも起こってない。全部みんなウソ。だって、何にも覚えてないだろ。みんなウソだから」
安奈はゆっくりと首を左右に振る。
「何それ。そんなのおかしいよ」
「おかしいよ。だって全部ウソだから。だからもう、忘れろ」
安奈は首を左右に振りながら、また顔を手で覆った。涙があふれているのが指の間から見えた。
「忘れてくれよ」
俺の懇願は、ノックとほぼ同時に戸が開く音にかき消された。
「安奈さん、目を覚まされましたよ」
佐伯先生が、安奈のおじさんとおばさんに声をかける。
俺はカーテンから出ると、二人がそれぞれ俺にうなずく。おばさんは俺と入れ替わりにカーテンの中に入る。おじさんは俺の前で立ち止まる。
「諒真君、安奈を守ってくれて、ありがとう」
おじさんは俺の目を見つめ、静かに言う。
俺はその言葉に堪えていた涙腺が崩壊するのが分かった。おじさんは俺を包むように抱く。俺は安奈に気づかれないように、おじさんの肩で声が漏れないように泣いていた。
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お題企画に乗っかってみました。
「やさしさを感じた言葉」というお題なので、ぱっと聞いたらやさしさを感じない言葉にやさしさを感じたい、というところからの「ウソつき」でした。
「俺、ウソつきだから」の9文字を伝えるのに10,000字超。コスパ悪。
ビジネス文書だったら絶対3行で無視されるけど、小説なら読んでもらえるかもという甘えです。
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追記です。
note内をフラフラ漂っていたら、素敵なイラストを見つけました。
テーマが近いので勝手にリンクを貼ってみます。
さすがに「#やさしさを感じた言葉」から書いているので、イラストから書きましたとは言えませんが、#ロマンチックを追加してみたり。
さらにさらには、今年のいっぽんに加えさせていただきます。
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