【名言】モーリス・ド・ヴラマンク「私の遺言」
モーリス・ド・ヴラマンクは、19世紀末から20世紀に活躍したフランスの画家だ。また文筆家でもある。
19~20世紀といえば、西洋画が好きな方なら知っているかもしれないが、西洋絵画の歴史が大きく動き、〇〇派とか××イズムが乱立する時代だ。
目に見えるものをそのまま写し取る、いわゆる写真みたいな絵を目指して多くの画家が日夜努力してきたところへ、カメラなるものが世に出回ったの
がこの時代。
当時の画家は、お金持ちの肖像画の受注が主な収入源だったらしい。
そこに、何日も何か月もじっと座って描いてもらう肖像画より、数分でできあがるインスタントな写真が世に広まってしまっては、画家はやっていけない。
食いっぱぐれ画家が頭を悩ますその頃、パリ万博の開催で持ち込まれた、どう見ても写実的じゃない浮世絵。
遠近感おかしいし、強調したいからといって大きく描くなんて写実的じゃないし、雨降っている絵とか普通描かないでしょう、とか今まで培ってきた西洋の固定観念をぶち壊される。
あらためて、「絵画」とは何か、「アート」とは何か、の壁にぶち当たり、様々な表現方法を生まれた時代が、モネとかマネとかルノアールとかの印象派から始まる、〇〇派、××イズム乱立の時代である。
ヴラマンクもまた様々な描き方に取り組んだが、一般にはフォーヴィスム(野獣派)の画家と言われる。
フォーヴィスムはアンリ・マティスやアンドレ・ドラン達に代表される派で、原色を使った荒っぽい色彩やタッチが特徴的だ。
目に見える色ではなく、心で感じる色を表現しているという、現代アートっぽさに一歩足を突っ込んだ考え方である。
この記事のタイトルにある「私の遺言」は、ARTSという雑誌に発表されたヴラマンクの文章で、まさに書き出しは、「これは私の遺言である」から始まる。
以下はその中の一部である。
20世紀前半を生きた画家、ヴラマンクがこの言葉を残したことは感慨深い。
新しい表現、新しいアートが模索されていた中で、「発明」であってはならないと言う。
私も時々フィクションを書くので、この文章を見たとき、グサリと刺された気分がした。
どんなに奇をてらった作品も、歴史に残るものは一握りの天才の作品だけである。
それよりも、「内的様相をそれ自体の深みから表現し、人々に理解してもらうこと」を努力し訓練していくべきである。
この表現だと硬くて難しいが、おそらく
「今までに感じたことのない幸せな感じ」とか
「あの時のモヤッとした感じ」とか
「愛とも憎しみとも違うような混ざったような感情」とか、
そういうのが内的様相ではないかと思っている。
そういう「感じ」を文章や絵で表現して、自分が感じているそっくりそのままを相手に伝えること。
これがまた、思うままに描いてみても、意外と相手には伝わらないものである。
自分では200%具体的に説明過多なくらい書いたつもりでも70%くらいしか伝わらなかったり、何なら全然違う方向に受け取られていたりする。
内的様相をそれ自体の深みから表現し、人々に理解してもらうことがいかに難しいことか!
まさにそれ。ヴラマンク、良いこと言う。
実は私もそれがしたくてフィクションを書いている。というか、ほとんどのクリエイターはそうなのかもしれない。
冒頭にも掲げたこれは、ヴラマンクの墓碑にも刻まれている遺言の最後の3文。
この言葉を堂々と墓碑に刻めるような、胸を張って生きた人生なのだろうと思うと、深い。
で、結局ヴラマンクってどんな絵描いてたん?という、興味がわいた方は、是非「ヴラマンク」で画像検索を。(画像を勝手に貼り付けたら怒られそうなので)
雪の積もった重苦しい風景画を見ることができる。
明るい外壁の家の屋根や道に雪が積もり、暗雲が立ち込めた、寒々しいというよりも重苦しい風景。
見たまま描いたといっても、もうちょっと明るく描けばいいのに、と思ってしまう。
ヴラマンクは晩年、パリから西へ移動しトゥリリエールという村へ引っ越す。
興味がわいて「ヴラマンク」を画像検索した方は、是非「Tourtilliere」(トゥリリエール)で地図検索をオススメする。(スクショとか貼って良いのだろうか)
ご存知グーグルマップなら今の様子を360°写真で見ることができる。
現在のトゥリリエール付近には建物が見当たらないが、ちょっと町へ向かうとヴラマンクが描いたような雰囲気の家々が見えてくる。
明るい外壁やレンガがかわいらしく、素敵な田舎町だ。
ほらやっぱり。もっと明るく描けば良かったのに、と思いながら進んでいたら、写真の撮影日時が変わったのか、突然暗雲が立ち込める。
それを見て察した。
先程まで明るくかわいらしかった外壁がくすんで見え、一気に重く暗くなる。
雪が積もった写真ではないものの、積もっていたら、まさにヴラマンクの描いた世界だ。
彼は文字通り、「見たものを描いてきた」のだろう。