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【名言と本の紹介と】『表現を仕事にするということ』

「人生が想像どおりにいくほど、人の想像力は豊かではない」

小林賢太郎『表現を仕事にするということ』(幻冬舎、2024年)136頁



 今までにも何度か書いたことがあるが、私は小林賢太郎のファンである。
 今、ノート街では秋谷りんこ著『ナースの卯月に視えるもの』、せやま南天著『クリームイエローの海と春キャペツのある家』の感想文で溢れている。さらには5月29日発売、霜月透子著『祈願成就』と商業デビューが続いている。にもかかわらず、お前はそっちかよ、と言われそうだ。はい。こっちです。

 本書は、2021年より書かれ始めたnoteの有料記事を取捨選択&修正&書き下ろし、体裁を整えたものである。例によってファン並びにフリークの楽しみ方は、もとの記事との対比を見つけほくそ笑むことであるが、小林賢太郎初心者にもおすすめの一冊である。表現活動をしている・しようとしている方の心に刺さるお話ばかりだ。


 例えば、「「上手なアマチュア」と「プロ」との違い」の中には以下のように書かれている。

では、プロは、何をもってして「プロ」なのでしょうか。
もちろん、お金をとっているかそうでないかの違いはあります。「これで食ってます」と言えることは、プロとして大切なことです。僕は駆け出しの頃、コントのプロになるんだと覚悟したとき、アルバイトをやめました。貧乏だったけど、これでかなり成長できたと思います。
でも、ここで僕が言いたいのは、そんな経済的なことではありません。さらにもっと根っこの部分、「プロとして生きているかどうか」という話です。
友人のギタリストは、指に怪我をする可能性のあるスポーツは、一切やらないと言っていました。つまり、ギターを持っていないときも、ギタリストとして生きているんです。
プロのカメラマンは、カメラを持っていないときでも、その目はカメラマンです。
日常のあらゆることを、プロの表現者として判断している。表現できる自分であり続けることの難しさに、常に向き合っている。これを「プロ意識」といいます。

16-17頁

 note街にはプロもいるが、たくさんの「上手なアマチュア」がいる。そしてその方々の中にはプロを目指している人もいるだろう。私も創作話を書いていることもあり、商業出版は一つの目標でもある。だがプロを目指して文章を書いている以外の時間の使い方については、はっとさせられる。

 普段の生活をしているときに出会う人や出来事で、ネタになりそうな話が無いかは常に探している方だと思う。だが、例えば普段から気づいたこと、思いついたことをその場でメモしているかとか、関連書籍、最新トレンドをきちんと把握して目を通しているかとか、身の程を振り返ると私にはプロ意識は足りないように思う。とりあえず、スマホゲームをして一日に何時間も浪費するのは止めたいと思っている。だがまったく止められる気配が無い。アマチュアである。


 また、私には遠い先の話であるが、「価値のある表現者であるために」では以下のようにある。

本には「本体」と「カバー」がありますよね。表現を仕事にした人の価値にも、「本体」と「カバー」があるんです。
その人ができることそのものが、価値の本体。そして、肩書きや人脈や所有物など、本体の外側にくっついている価値が、カバー。
表現者にとって大事なことは、「どんな肩書きか」でも「誰と知り合いか」でもなく、「なにができるか」です。
  <中略>
見失ってはいけません。表現者にとっての成功とは、組織や人などの、自分より大きな存在の一部になることではありません。それは表現本体ではなく「付随による表面的な価値」つまり「カバー」です。
  <中略>
知名度や権威を欲しがる前に、最新作を最高傑作にすることの方が、ずっと大事です。偉くなりたかったら、そもそも表現なんか仕事にしない方がいいですよ。

64-66頁

 1タイトルも無い人には関係の無い話だが、タイトルを取る前から心に留めておきたいことだ。もちろん、ほとんどの人は本をカバーで買う。面白いものと面白くないものだったら面白いものが読みたいし、その選択のためにはカバーは大切だ。タイトルは欲しい。

 だがカバーだよりで中身がスカスカになってしまえば、すぐに忘れ去られて新しいスターへと人気は移っていくだろう。「最新作を最高傑作にする」ことは常に心掛けることだ。
 こんな言葉もあった。

売れてないことを不安に思い「とにかく有名にならなきゃ」という気持ちになる人もいるかと思います。でも僕には、これまでの経験から言えることがあります。
知名度よりも実力を上げることに夢中になるべきです。質の良い表現ができていれば、鼻がきく人にはちゃんと気づいてもらえます。

47頁


 余談だが、以前頭の上からのつま先までルイ・ヴィトンで固めた人と出会ったことがある。その嗜好の偏りもさることながら、ルイ・ヴィトンってそんなのも出してるんだ、という驚きが上回った。そこまでブランドに執着が無い身としては、思わず原価率を想像してしまう。ちなみにTシャツは1枚20万円らしいが1年で着るのをやめ、来年には新しいものを買うらしい(じゃあくれ。メルカリで売る)。全身LVなのもすごいが実際素晴らしい経営者でもある。カバーの魅力に勝る本体なら文句は無いし、本体が素晴らしいのにカバーがボロボロなのもいただけない。やはり相応でありたいと思う。LVカバーは遠慮するが。


誰かのかっこいい成功例を見て「あれになりたい」と、そのひとつの職業名を夢として掲げ、そして叶わない。こんな夢の見方って、ちょっともったいないと思うのです。
僕のおすすめは、夢を職業名ではなく「したいこと」として言葉にする。言い換えると、夢は「名詞」ではなく「動詞」で捉える、というやりかたです。
例えば、絵を描くことを仕事にしたい人が「ピカソみたいな画家になりたい」という夢を持ったとします。
<中略>
そして「ピカソ」というワードですが、それはその人の「夢」じゃなくて「憧れ」の対象ですよね。「夢」と「憧れ」は違います。「夢」は自分の中にあるもので、「憧れ」は自分の外にあるものです。自分は他人にはなれません。あなたはピカソにはなれません。ピカソがあなたになれないように。
A「夢はピカソみたいな画家になること」
B「夢は絵を仕事にすること。憧れはピカソ」

28-29頁

 小さな頃の夢で、サッカー選手や野球選手になりたかった男の子は多い。おそらくサッカー部や野球部で頑張っている子で、ロナウドや中田英寿、イチローや大谷翔平といった第一線で活躍する選手に憧れていた人も多いだろう。女の子はお花屋さんやケーキ屋さんが定番だった気がする。しかしこちらは假屋崎省吾、鎧塚俊彦といった方々に憧れているという話はあまり聞かなかった。どちらかというと雰囲気だ。お花とかケーキに囲まれて暮らせるという良いイメージがあるのだろう。実際は夏でも冬でも水仕事のお花屋さんは、手のあかぎれが絶えず、鉢を動かせば腰も痛めそうな重労働だろうし、ケーキ屋さんも何リットル、何キロ単位の生地を作り焼き上げ飾り販売する。こちらも全身の筋肉を酷使する重労働だ。

 頑張ってもロナウドやイチローになれなかったとき、お花とかケーキに囲まれた素敵な暮らしが遅れなかったとき、夢がついえるのは確かにもったいない。夢についてもっと考えてみることは大切なのだろう。選手ではなくても、選手をサポートする仕事や球場で働くとか、選手の履くシューズを作ることがじつは夢に直結していることもあるのかもしれない。

 そういえば、私が何年も前にはじめて出した公募はすばる新人賞だった。当然一次で落ちている。やはりこれも憧れから来たものだ。すばるから芥川賞という輝かしい著名人に憧れたし、逆に言えばそれくらいしか公募を知らなかったのもある。何がしたいのか。文章を書きたいなら、書く方法は無数にある。書く仕事も無数にある。フリーライターもあれば、企業でSNS担当をすることだってできるだろう。

 お話を書きたい、だが何を書いたらいいのかわからない、というドツボにはまることが時々ある。その話に新しさがあるのか。価値があるのか。ありきたりではないのか。つまらないのではないのか。

人の心は、そのときに求めていることを受け取るんだと思います。感動を求めている人は、感動を。学びを求めている人は、学びを。救いを求めている人は、救いを。
だから表現者は、やりたい表現に没頭してればいいんです。受け取り方は、受け取ってくれる人の心が決めることです。

167-168頁

 どんなに迷おうと結局やることは一緒なのだ。他人がどう受け取ろうが、とにかくまずはやりたいようにやってみる。そのうえで公序良俗に反するようなことでもあれば書いてから考えよう。


 平易な言葉遣いでさりげなく事例を上げつつ、伝えたい内容がすんなりと入って来る。こういった文章の作り方は彼の舞台の作り方と似ている。さりげなくトリックを忍ばせ、後半で爆発させる。洗練された言葉には私的な背景と思いがにじみ出ている。まあ私的な部分はフリークたちにしかわからないかもしれないが。

 なお小林賢太郎のノートは月額1000円の有料マガジンである。そのマガジンの中から表現に関することを抽出し修正、書き下ろしを含めて体裁を整えて出版した本が1650円。なんてお買い得。表現を生業にしている方も生業にしたい方も、是非1冊お手元にどうぞ。フリークは全力で推します。

 目次のタイトルをもう少し取り上げておこう。

「才能」と「努力」と「運」
アドバイスの受け取り方
自分のジャンルを自分でつくるという選択
他人の表現を否定する人について
アイデアの出し方
やる気の出し方
締め切りとの付き合い方
インプットとアウトプット
プロとしての、コメントの責任
思いどおりにいかないからこそ、完成予想図を超えられる
正直であり、嘘つきであること
悩みの種との向き合い方
感受性と、ストレスと、泣き寝入りの美学
表現を生み出せなくなってしまったら

目次より一部抜粋


 気になるタイトルも多いのではないだろうか。私は創作の手が止まった時に精神安定剤兼やる気スイッチとしてこの本に戻って来るのだろうなと思う。さあ、是非おひとつ。その購入費が、小林賢太郎の未来の作品を生み出すのです。

 なお、ご本人は

本屋さんにひっそりと収まり、「表現」に関わっている、あるいは、「表現を仕事にする」ということに興味がある、そんな多少変わった人が、なんとなく気にしてくだされば、それでいいんです。

 と仰っていますが、フリークは全力で推します。著者の文章力はそこらのビジネス書の著者とは比べ物にならないくらい高いし、ムダを徹底的に排除し遊びを作る。シンプルな美しさのある表現者なのです。購入者に損はさせません。

 何度でも言おう。フリークは全力で推します。




 なお、現在は『KREVA CLASS-新しいラップの教室-』という舞台を上演中です。東京公演は6月1日までです。お近くの方は是非。
 無料記事なのでこちらをご覧ください。


 5月31日まで、舞台『うるう』がYoutubeにて公開されています。こちらの広告費は能登半島の被災地復興のため日本赤十字社へ送られます。
 『うるう』は4年に1度上演されていたひとり芝居です。2020年の『うるう』が賢太郎氏の役者としても最後の舞台でした。それを2024年のうるう年に公開。エモい。こちらの無料記事もどうぞ。


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