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教育の目的は?
学校は何のためにあるのか?(学校の最上位目標は何か)
それは、子どもたちが「社会の中でよりよく生きていけるようにする」ためであると工藤先生(元・麹町中校長、現・創英中高校長)はおっしゃっています。
そして、「社会の中でよりよく生きていける」力を育むためには、子どもたちが
「自ら考え、自ら判断し、自ら決定し、自ら行動する資質」=自律する力
を身に付けさせる必要があるとのこと。
たしかに、いつまでも親がいてあげられるわけじゃないし、何よりも、自分で考えて自分で決める方が、生きてて超楽しいと感じるし!
“手取り足取り丁寧に教え、壁に当たればすぐに手を差し伸べる。けんかや対立が起きれば、担任が仲裁に入り、仲直りまで仲介する。そうして手厚く育てられた子どもたちは、自ら考え、判断、決定、行動できず、『自律』できないまま、大人になっていきます。そして、大人になってからも、何か壁にぶつかると『会社が悪い』『国が悪い』と誰かのせいにしてしまうのです。”
引用:学校の「当たり前」をやめた。生徒も教師も変わる!公立名門中学校長の改革(工藤勇一)
ここで一つ、大人の手取り足取りの「手厚いサービス」が、どれだけ子どもの自律する力を低下させ、生きる楽しみまでをも奪うことになるのかを、私自身が痛感したエピソードがあります。
今から5年ほど前に、我が家の子どもたちがマインクラフトをやり始めました。iPadを駆使して、いろいろ操作する様子を、私は横目で見ながらも、自分がやることはありませんでした。
しかし、あまりにも子どもたちが楽しそうにやる日々が続いて、そのうち私も、興味が湧いてきました。そしてついに、私もやってみたい!という気になり、長男に貸してもらったんです。
初めて操作するマイクラは、なんだかぎこちないわけです。そもそも、何をすればいいのかもわかっていないし。でも、新しい世界のドアを開いた感じがして、ドキドキワクワクしていました。
操作しはじめて数秒後、横でぴったりくっついて見ていた長男が、「ここはこうやるんだよ。貸して?」といって、私に代わり操作してくれました。
その後、私の操作に戻ったかと思うと、数秒後にまた長男が、「あ、ここは違う。ちょっと貸して・・・。」
この繰り返し。
するとどうでしょう。ワクワクしながらゲームを始めた私のやる気は、もはや爆下がりしていました。もう、どうでもいいやーって。
私は、マイクラの操作が上達しなかっただけでなく、やりたいと思う気持ちまでもが、無くなってしまったのです。
長男は、「優しさ」で手伝ってくれていたはず。でも私は、失敗せずにスムーズにゲームを進めたかったわけではなく、とにかく新しい世界に触れる喜びを味わいたかったんだってことに気づきました。
試行錯誤して、失敗もしながらも、「なにこれ、超むずいじゃん!」とか言いながら、夢中になりたかったんだ。
その時に、「あ、子どもと大人の関係も、おんなじなんじゃない?」って思ったのです。
マイクラを始めようとしていた私は、この現実世界における「子ども」であり、マイクラ経験を積んだ長男は「大人」であると言える。
この世に生まれてくる子どもたちはきっと、失敗しないようにこの世界を生きたいのではなくて、これから待ち受けるいろんな事象にドキドキワクワクしていて、ころんだり泣いたりしながら、生きていく喜びを味わいたいんだ。
だから、大人が3歩前を歩いて、ふりかかる課題や困難を全部解決してあげちゃうと、その喜びが味わえないものだから、人生がつまらなくなる。
そうすると、どうでもいいやーってなって、
「あなたがやってくれるんでしょ?ちゃんとやっといてよ」
ってなって、
「あれ、雨降ってるんだけど、なんで傘さしてくれないのよ?!」
みたいな感じで、どんどん不満をもったり、人のせいにしたりするようなことになるんじゃないのだろうか。
子どもの問題の先取りをしたり、手取り足取り教えてしまうことの問題点は、大人が「優しさ」という仮面を被った「やる気剥奪おばけ」になってしまうからだ。ということを、身を持って学んだ一件でした。
もちろん、「できる喜び」を持たせて、どんどん前に進んでもらうために、程よくサポートするということは、とても大切なことだとも思うので、放任や放置が正解ということでもないとも思っていますが。
このような経験をしたり、夫婦で意見交換をしたりしながら、工藤先生のお話を学び進めていく中で、我が家の教育の最上位目標も「自律する力を育むこと」と設定して、我が子と関わっていきたいなという気持ちが強くなってきました。