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【エッセイ】バンドネオンと日本の夏

こないだの週末に久々にクラシックコンサートにいった。
初台にあるオペラシティで開催された東京フィルハーモニー交響楽団のコンサート。
ホールはほぼ満員。多くは年配の先輩方だが、若い方もちらほら。
指揮は三ツ橋敬子さん、ゲスト?でバンドネオン奏者の小松亮太さん。
「夏を踊る」というテーマで、タンゴの名曲やカルメンが演奏された。

バンドネオンとオーケストラの組み合わせというのは初めて聞いた。
バンドネオンというとアルゼンチンタンゴの楽器というイメージであるが、小松亮太さんの話でドイツで作られた楽器だと知る。

バンドネオンは不思議な楽器だ。
キーの配置ははちゃめちゃだし、同じキーでも広げた時と縮めた時で音が変わる。重さが6キロくらいあるそうで、それを片膝に乗せてはいるものの両手で自在に操るのは単純にすごい技術である。

バンドネオンの音色にはなんとも言えない哀愁を感じる。
ピアノやバイオリンのような洗練された音とは違う。
音色だけでなく、伸び縮みする時の空気の抜ける音や、蛇腹がぶつかりあうようなカチャカチャとした機械音も聞こえる。

ある意味不完全な、というか不合理な楽器だと感じた。
歴史的な経緯なのか、不合理さを残したままの道具というのは世の中にはいっぱいある。
こうして文字を打っているキーボードのqwerty配列だってそうだ。
決して打ちやすい配列ではないが、慣れてしまってもはや他の配列では仕事ができない。

抜ける空気の音は吐息のようで、演奏する様子はまるで歌っているかのようだ。
不合理な楽器だが、それゆえに表現の幅が広がるのだろうと思った。
歌だって、最近のボーカロイドは確かに進化していて目を見張るものがある。
けれども、やっぱり生身の歌手の歌声には豊かな感情表現が含まれているのと同じように、バンドネオンという楽器は、漏れる空気音や機械音が音色と相まって豊かな表現を産んでいる。
素人ながらそんなことを感じた。

音楽はどんどん複雑化している。さまざまな楽器の音色がPCに取り込まれ、ボタン一つで奏でられる。音同士は組み合わされたり、早回しされたり、自在に変化し新しい音楽が次々に生成される。
しかし、音楽を奏でていた人の余韻はそこに残っているのだろうか。
盆踊りの単純な太鼓のリズムは少し退屈に聞こえるかもしれない。
けれど、そんな単純なリズムで、夕暮れの空に映える提灯の明かりや、子供たちで賑わう屋台、掠れた拡声器の声などが僕の脳裏には浮かんでくる。


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