
『Beep21』麻野一哉特別インタビュー 〜サウンドノベルの進化と「街」〜クリエイター・リユニオン・ファイル Vol.8
多くのファンを魅了した名作を生み出してきたクリエイターに取材し、そのルーツと秘話をお届けしていくシリーズ「クリエイター・リユニオン・ファイル」。
▼Vol.1〜Vol.7 過去のリユニオン・インタビューシリーズはこちらから
8回目の今回は、セガサターンの名作「街」の総監督を務めた麻野一哉氏が登場。
ゲームの黎明期から活躍してきた麻野氏は
早いもので、還暦60歳を迎えたとのこと。
「ドラゴンクエスト」に魅了され、チュンソフトに入社。
中村光一氏、内藤寬氏、山名学氏ら、天才肌の
クリエイターの元で力を発揮し、サウンドノベル
という新たなタイプのジャンルを生み出した麻野氏。
多数の名作を世に出した実力派クリエイターである
麻野氏のルーツを紐解いていくと、要所要所で
出てくるのが「分岐」というキーワード。
幼少期の頃に出会った「分岐」と
その後の数々の「分岐」。
セガサターンの名作として名高い
サウンドノベル「街」のエピソードを含め
数奇な人生の交差点と分岐をお届けしていきます。
ぜひ最後までご覧ください。
※本記事はこちらから見ることができます(※下の「2024年間購読版」はかなりお得でオススメです)
◆「2024年間購読版」にはサブスク版にはない特典の付録も用意していますのでぜひどうぞ!
◆麻野一哉氏自身による回顧録コラム「日々是分岐」もスタートします。こちらもあわせてご覧ください!

麻野氏の近況
──麻野さんにはセガサターンの「街」の頃に何度も取材させていただき、誌面にたくさん登場していただきましたが、もう四半世紀以上が経ちました。大変ご無沙汰しておりますが、最近の近況とか活動などお伺いできますか。
麻野 今もやっている「テクテクライフ」が一番のメインですね。



あとは大学でゲームの講師をやっているんですが、コロナの時は全部(講義が)オンラインだったので、結構つらかったです。教室で対面しながら授業をするのと違って、オンラインだと生徒の反応が全然わからなかったですから。
──大学の講義ではどういう授業を?
麻野 元々は留学生に日本語を教えたりする中に「日本文化」というジャンルがあって、茶道とか書道とか、歌舞伎とか能、あるいは日本文学とかの講義がありました。その一方で、やっぱり留学生って、みんな20歳ぐらいの若い子なので、アニメ・ゲームというコースもあるんですね。
──留学生向けにゲームの講義を。
麻野 アニメのほうにはアニメの先生がいて、ゲームのほうは僕が担当しています。
──ゲームの黎明期からを知っている麻野さんの授業は楽しそうですね。さて今回は、昔の取材の際にはあまり聞くことがなかった、麻野さんの幼少期のお話などもお伺いしてみたいのですが、お生まれは1963年で、兵庫県に?
麻野 (兵庫県)尼崎です。
──当時はどんな環境、というか雰囲気でした?
麻野 生まれた頃はわからないですけど、覚えてるのは、学校での外遊びでは、三角ベースやったり、”缶蹴り”じゃなくて僕ら”まる消し”って言ってた遊びとかね。家に帰ってきたら、あの頃はテレビが娯楽だったので。ドリフターズとか土曜日に見て、それのまねを学校に行ってするとか。漫画とかも読んでましたけど、うちはあんまり自由に買わせてくれなかったんで。どちらかというと友達の家に行った時に読んだりして。アニメはまだそれほど(数が)なかったですね。テレビアニメは少ない時代でした。「妖怪人間ベム(1968年)」とか「カムイ外伝(1969年)」とか。あと、一番影響を受けたのは「もーれつア太郎(1969年)」です。あと「天才バカボン(1971年)」も見てましたね。
貴重な大阪万博のガイドブックと「分岐」の原体験
麻野 いちおう、今日は当時のものをちょっと持ってきたんですけど。
ここから先は
この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?