いっぱしの大人へのはるかな道のり
2021.8.19(木曜日) grown-up
まぁ、よく飽きもせず...雨ってやつは。
最近は、朝目覚めたら必ず雨が降っている。日中は少し晴れ間が覗くこともあるが、それも長くは続かずにすぐにまた雨になる。出来の悪い子供を見るように「いい加減まっとうに生きてくれよ」という気持ちになる。しかし、自然の力っていうのは親心などには見向きもせず、降りたいだけ降って壊したいだけ壊して、素知らぬ顔をしているから頭にくる。それもこれも元はと言えば人間がしでかしたことが原因と言われれば反論のしようもないのだけど。
今日も雨は降ったりやんだりしている。
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午後、素敵な絵葉書が届いて恐縮しまくっている。それは夫が務める会社の社長の奥様からの残暑見舞いの葉書で、池田遙邨の「川」の絵葉書に丁寧な文章が綴られている。池田遙邨を選択するところもなんか憎らしい。本来なら私の方から先に出すべきであろう相手なのだけど、まんまと先を越されてしまった。この奥様は(良い意味で)気まぐれな方だ。どこかに旅行に行くとちょっとしたお土産を買って送って下さったり、何かに気がつけばこんなふうに残暑見舞いや季節のお手紙などを送ってきて下さる。でも何もない時はずっと音沙汰がない。きっと形式にとらわれない形での丁寧さや思いやりのある方なのだと思う。
恐縮するのにはもうひとつ理由があって、この方は習字の達人でもある。時々個展などを開催されていて、招待頂き何度か見に行ったこともある。そういう方なので字がものすこく達筆。達筆すぎて何と書いてあるのか読めない時もある。そんな字に私が太刀打ちできるわけもなく、いつもショボイ字しか書けない自分が情けなくなるのだ。綺麗な字は書けないが、その代わりにちょっとした洒落たイラストでも描いてみようと思って描いたこともあるが、絵は字に負けず劣らず下手な自分に気がついていしまう。もうどうしようもなくて何度も下書きして小学生が書きかたの練習をするようにゆっくり書くしか方法がない。いつも偉そうに大人ぶっているけれど、こういう場面に遭遇してアタフタするということは、いい年をしいてもいっぱしの大人になれない人って私のような者のことを言うのだろうなと思う。
返事を書くつもりだが、憂鬱で仕方ない。
まず綺麗な絵葉書を買ってこなきゃ。
私の悪筆が目立たないくらいの綺麗なのを買おう。
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