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【映画】 COTTONTAIL コットンテール
『コットンテール』日本・イギリス合作の映画。
監督:パトリック・ディキンソン
無愛想な初老の男がいる。
何が言いたいのか、何を思っているのかわからない。
ただ、周りに気を遣うことの箍が外れてしまっているようだ。
この男が主人公の兼三郎(リリー・フランキー)だ。
鮮魚市場にタコを買いに行くが、「お得意様にしか売らない」と言う店主に笑みを浮かべながら危ない目つきをする兼三郎。
その時、リリーさんってこういう表情が上手いなと、ふと思う。
たぶんこういう表情がたくさん出てくるのだろうと想像しながら観始めた。
ストーリーは…
*ネタバレもあるので知りたくない方はスルーして下さい
兼三郎の妻である明子(木村多江)が亡くなった。若年性認知症であった。
死後、明子の遺書が見つかり、そこには『自分の遺骨をイギリスのウィンダミア湖に散骨してほしい』と書かれてあった。
兼三郎は何かのわだかまりからか、その遺書に素直に向き合えないでいる。
息子の慧(錦戸亮)に「皆でそこに行こう」と言われるが、あまりいい返事をしない兼三郎だった。
結局、慧の家族も含め4人でイギリスに行くのだが、現地でも息子家族たちと心のすれ違いができてしまって口論となる。
そして兼三郎はたったひとりでホテルを抜け出し、ウィンダミア湖を目指すが、バスを乗り間違えたり、風雨に見舞われたりして途中で道に迷ってしまう。農家の親子に助けてもらって少しずつ心を開いていく。
兼三郎と明子の間に何があったのか?
そしてそんなに心を閉ざす理由は何なのか?
ただ単に妻を亡くした悲しみだけではない微妙な表情が兼三郎に常に付きまとっている。
観ていくうちにその理由はわかってくるのだが、人間の深層心理というのはなぜこんなに複雑にできているのだろうと思う。もっと単純なら、かなりの人々が楽になれるのにと思う。この頑固な主人公である兼三郎も然りだ。
ウィンダミア湖を目指している途中で、兼三郎は妻との過去の生活を思い出していた。聡明で美しく賢い妻が徐々に壊れていく過程を…
大変な思いをしながら介護する兼三郎であったが、何があっても妻を愛してやまなかったということは観ている私でさえしっかりわかるほと愛に溢れていた。
それだけ愛する存在がいなくなった喪失感というのは計り知れないものなのだろうと想像する。
心を開くということはどういうことなのか、その喪失感の塊を少しずつ溶かしていくのにはどうすればいいのか、それがわからないままラストシーンになる。
少し優しい微笑みが戻った兼三郎がいる。
まだすべてが溶けてしまうまでには時間がかかるのだろうが、人間の心の複雑さを考えると徐々にだ、徐々にゆっくり溶けていくのだろうと思った。
寡黙で複雑で、混乱と苦悩がある映画だ。
でも緩やかな希望もある映画でもある。
*
こういうやるせない男を演じさせたらリリーさんはとても色気がある。
なぜかどうにかしてあげたくなるくらいだ。
以前、『その日、カレーライスができるまで』という映画を観た。
その時のリリーさんもしょぼくれた中年男を演じていたが、とても素敵だった。
私は今、綺麗な女子や男子が出てくるただ甘ったるいだけの映画や、強い男たちが出てきて殴り合う映画などにほとほと嫌気がさしていて、どちらかというと日常に起こりうる、言ってしまえば隣家で起こっていても不思議ではない人生の切なさや悲しみ哀愁、そして喜び、幸せ、そんな人間模様を欲している。そういう意味でこの映画は、明日の我が身かもしれない物語だ。
ゆったりとある意味ぼんやりと映像は流れていくが、人間の尊厳、葛藤を描いている。
キツいなと思う場面もある。
しょうがないそれが人間の生身の姿であるから。
人間の心は、本当は優しさで溢れているのだと思うが、それがうまく表現できる人間ばかりとは限らない。塊となってしまう人間の苦しみ悲しみを思いやりながら観終わった。
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