【essay】 私のエゴイズム度38%
なんやかんやと忙しいことを大阪弁で「せわしない」と言う。
12月に入った途端、ほんとせわしない日々が続いている。
それも物理的なことだけではなく精神的にもせわしないのである。
そうやってせわしない日々を送っているといつも思うことがある。
もう少し身軽になれないかなと。
身軽っていうのは2通りありある。
さっきも書いたが、物理的なものと精神的なもの。
物理的なものは周りに物を置かないとか、あるいはやるべきことを縮小するということでわかりやすいし、実行に移そうと思えばできる。でも精神的な方は、人間関係だとか自分の中に存在するエゴだとか、こういうのは「明日からやめま〜す」とは簡単にはいかないのが悩ましいところだ。
結局人生の煩わしさの原型は人間関係とそれに結びつくであろう自分のエゴに始終してしまうのだ。
若い時はある程度必要だった人間関係とかエゴイズムなどは、もうある程度の年齢になるといらないのではないかとも思ったりして。
そういうことを取っ払って、精神的に身軽になれるならなりたいなと思う。
先日、友人にそのことを話したら…
「自分が確保しておきたいと思ってる様々なことを誰かに明け渡す...
譲ると言った方が分かりやすいかもしれないけど...切り捨てるとなるとちょっとキツくなるけど、明け渡すならいいと思うよ。例えば『ここは私の席』と思ってると、その席を確保したり管理するのに毎日頑張らなければならないけど『この席はどうぞ自由に使ってください』ってことにすれば楽じゃない?」ということらしいです。
「じゃ、自分の座る席がなくなるじゃない?」と聞いたら、
「なくなるんじゃなくて、自分も自由にあっちの席、今日はこっちの席って色々座れるってことよ、そのほうが楽しいよ。『ここは私の席!誰にも譲らない!』なんて頑固親父みたいなことやめたら」ですって。
それを聞いて思ったのが、演劇の世界でも主役クラスの年配の俳優さんが、「そろそろ若い俳優さんにもチャンスを...」ということで主役を自らお断りになる方もいる。そういうのに似てるかな...と思ったりもする。
でも中には、いつまでも自分が主役でいないと気が済まない人(これは役者に限らずいるが)って確かにいるのだけど、ここぞという時に依頼があれあ出て行って、若い人にアドバイスしたりするのはかっこ良いけど、いつも「私が、私が、」「俺が俺が」っていうのはちょっとかっこ悪いかな。
だからそういう「私が、私が」「俺が、俺が」というのを誰かに明け渡して、彼女が言うようにそれで身軽になるなら身軽になりたいなと今考えている。私がやらなくても誰かがやれることはたくさんあるし、自分が思っているほど誰も私に期待などしていないというのもこの年になるとやんわりとわかるし、どんどん明け渡してやってもらえば良いかなとその友人のアドバイスを聞いて少しスッキリしている。
私のせわしない精神的問題は、自分の席を誰かに開け渡すということで解決しそうだが、今の私のエゴイズム度38%ほど。38%って多いの少ないの?
さて今年中にそれをすべて明け渡すことができるのだろうか。