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ある曇天の日、鍋を買いに。

うすのろ日記 2024.10.29 (火) buy a pot


昨夜はくたびれ果てて、夜8時半にベッドに入った。
くたびれるような何かをしたわけでもなく、ただくたびれていた。
今朝は元気溌剌!とまではいかないが、まぁ平凡な体に戻った。

さて、今日は鍋を買いに行く。
20年間使った雪平鍋がとうとうだめになってしまった。
木製でできた取っ手の部分がボロボロになって取れてしまった。
鍋の底も長年の酷使に黒ずんできていくら洗っても取れない。
「長年ありがとう、はいさようなら」と言って捨てた。
直径20センチという大きさは、私たち夫婦二人にはとても重宝する大きさで、同じようなものがあるかといつも行く雑貨屋に行ったら、あっさりと見つかった。
「なかなか同じようなものはないなぁ〜」と探し回る自分を想像していたからちょっと拍子抜けだった。
大きさもぴったりのがあり、取っ手の部分が従来の木でできたのと金属でできたのがあって、木の方が好きだったけど金属の方が長持ちしますという店員さんの言葉で金属の持ち手の方を買った。
家に帰って早速うどんを湯がいてみた。
なんとなく前に持っていた物への愛着が強すぎたのか、なんだかしっくりこないけど、使ってるうちに愛着が湧いてくるだろう。
湧いてこなかったら、それは私とその鍋との縁がなかったということだ。
縁というものは、人間や動物のような生き物だけではなく、身の回りの物にもあると思う。
お店で「素敵」と思って買ったものが、持って帰るとそれほどときめかなかったり、「まぁ、こんなもんでいいか」と思って買ったものがとても自分に馴染むということもある。
今回捨てた雪平鍋がそれで、セールになっていて「とりあえず」と思って買ったものだったが私の手に馴染んんで私たち夫婦の生活にも馴染んでここまできたのだった。

さて、縁はあるかな。

午後、雨が降り出した。
風もなく、音もない、しっとりした雨。
そんな中で銀色夏生さんの本を読んでいたら…

人は夢を見たがるものだし
力のあるものに吸い寄せられたいと思うものだけど
そこで踏ん張って 現実の地面に足をつけていなければいけない
本当の充実感は地に着いた足の底からじわじわと上がってくるものだから

本文より一部抜粋

と書いてあって、すごく腑に落ちた。
今の私はたぶんいろいろ夢を見ていて、誰かそれに対して手助けをしてくれないかなと甘い考えがある。でもその考えを突き進めるほどの気力がないのは、きっとこういうことなのだろうと思った。
夢を見ているのと同じ頭で、私は地に足がついてないなという自覚があるのだ。地に足がついていないとゆらゆらと心が定まらないのだな。
もう一度じっくりいろいろ考えてみようと思った。

地に足、ついてる?




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イトカズ
読んでいただきありがとうございます。 書くこと、読むこと、考えること... これからも精進します。