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別人になりきれない苦悩と終の快楽
一歩進むごとに、過去の一歩が失くなっていく。
いつかこの場所もゼロになってしまうのだろう。
『霜柱を踏みながら 10』
『あんた、盲(めくら)なの?』
その台詞がどうしてもうまく言えなかった。何度も何度も演出家の「違う!」というダメ出しを受けてもう何が何かわからなくなっていた。若干16才の小娘にこの台詞は強烈すぎた。今でも映画や演劇を観ていると、この台詞をいうのに苦労したんだろうなと思う台詞が必ずある。それが言えたらピシッと芝居が決まる。言えないまま続行された芝居はどこか間が抜けていてどんよりしたものになる。これは今だから言えることなのだけど。
私は中学生になっていた。相変わらずの鬱屈した父と母との生活に心底嫌気を感じながら生きていた。映画好きの父の影響からかお小遣いをもらうと映画を見たり映画雑誌を買ったりするのが唯一の楽しみで、その雑誌の中に大阪の大学生たちが集まって作られた映画研究会があって自主制作映画を小さな喫茶店で公開しているという記事を見つけた。公開日にはその喫茶店に通うようになり、そこで知り合った大学生たちに映画や演劇の話を聞かされるうちに映画より演劇に興味を持ち始め、紹介してもらった劇団の稽古場に顔を出すようになった。舞台女優になりたいとかそういう野心はなく、ただ演劇を作る過程を見るのが好きな普通の中学生だった。
いつも稽古場の隅で見ていた。芝居の内容は当時の私にとっては難しいものばかりで理解はできないが、好きな台詞が出てくるともうドキドキしながら聞いた。優しい人がキツい台詞を言う時に豹変する顔つきや、真面目な人が卑猥な台詞を言う時の乱れた動作や、そういう姿を見るのが楽しみで、人は台詞を言う時に別人になれるんだと思った。別人になれるということは私にとって最大の魅力でもあり、自分もやってみたいという欲が出てくるのを抑えることはできなかった。中学3年生の終わり頃、大阪の劇団の研究生になることを決意し、稽古に参加するのは高校生になってからという約束で父と母に承諾を得た。
私に最初にきた役は娼婦の役だった。
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[私小説] 霜柱を踏みながら
私小説です。時系列でなく、思い出した順番で書いてます。私の個人的な思い出の物語です。
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