うつでダウンして、バンブル無双した女の休職生活。#12
言える人と言えない人
人生において、タイミングはとっても大事だ。
これは何事においてもそうで、周りを見渡せばタイミングが良かったから助かったね〜!という出来事を経験している人もいれば、何事においても間が悪いんだよなぁ…..と人に感じさせる人もいる。
自己分析するならば私はその間や、日本人がよく読む空気とやらを非常に敏感に感じ取るタイプだ。またそれを逆手にとって、空気が読めないふりをして話を振ったり、立ち振る舞ったりすることもしょっちゅうある。(これは本当にここでしか書けないくらい秘密にしていることだけれど。)
だから会社の中でも確実に見える政治が分からないフリをして乗り切ってきたし、どの神々(執行役員)とも敵味方作らずに接してきた。
「誰とでも仲良く出来るタイプだよね」と、寡黙な同期が私を羨ましそうに評してくれたことがある。真意は分からないが、彼の表情を見る限り褒めていると信じて良いと思う。それぐらい、周囲からは世渡り上手に見える一面が私にはあるのだ。
だからこそ、『うつで休職した』という話は、話す人を極端に選んだ。
会社関係者(上司、先輩、他部署の同期など)は後々わかることになるので仕方ないとして、友人、知人、その他の先輩後輩たちには話す人をとことん吟味していた。
吟味していたと言えば聞こえがいいが、単に言いたく無かったというのが本音かもしれない。「え、メリッサ(さん)どうしたの?」と根掘り葉掘り聞かれて「うぁ〜大変ダァ」と哀れみの目で見つめられるのが耐えられない。
「これからどうするの?」なんて話題はもっと嫌だ。
自分でも整理できていないのだから、聞いてくれるなと真剣に思う。
だから毎月ご飯に行く大学の先輩2人(A女先輩とT男先輩としておこう)にも、休職したことを話せなかった。
何を聞かれるか怖かったし、「メリッサも大変だねぇ」と慰めれるのもごめんだった。何より、銀行員としてバリバリに働いている2人の前で、こんなに休んでいることがなんとなく後ろめたくて仕方なかった。
2人とご飯に行く時は、ビジネスカジュアルな服と仕事向きのメイクを意識して夜の街に出た。わざわざ仕事用のバッグを持って出かけたこともあるが、何も入ってないに等しい大きなトートバッグを肩から下げるのも癪で、小さいバッグにした時には「今日は時間があって1回家に帰れたので!」とグレーなことを言って誤魔化していた。
ちなみに、このA先輩とT先輩は未だに私が休職していたことを知らない。
むしろ、うつになっていたことすら知らない。
今なら言える。『言うタイミングを逃した』。
疲れてないのに「お疲れ様で〜す!」と言い、仕事の話になったら自分に矛先が向かないように別の話に自然と切り替えるように話をコントロールした。最初は別に隠している訳では無かったけれど、ここまで言えない期間が長くなると言いたいことも言えなくなる。仕方がなかった。
それでも、先輩たちとのご飯はいつも美味しいし楽しい。
この時間を失わないためにも、この空気を壊さないためにもこの人たちには時が来るまで言わないでおこうと今も心に決めている。
1/4クライシスに起こること
逆に、『うつで休職した』という話題を積極的に話せる相手もいる。
その友人は結婚直前で婚約破棄し、同時に会社を休職した。私が休職するより半年ぐらい前の話だったと覚えている。
この時ばかりは、自分のタイミングの良さに感謝した。
「婚約した」と風の噂で聞いていた私は、彼女のためにちょっとしたお祝いを手にして出向いていた。
話の流れで彼女の近況を知り、そのプレゼントを渡す前で良かったと心底安堵した。(プレゼントの袋ごと、バッグに入れて持ち歩いていたのも幸いだった。)
結婚したり妊娠したりする人が周りで続出する世代だとは自覚しているが、こういう経験をする人も現れるものだなぁとしみじみ思った。
彼女はその数ヶ月後に復職し、転職を成功させる。
婚約破棄というドラマを乗り越えて、今は新しい彼氏を作って幸せそうだ。本当に良かった。
そんな彼女には休職した話を心置きなくすることが出来た。
休職する理由は人それぞれだけれど、人それぞれだからこそ根掘り葉掘り聞いたところで仕方がないと彼女は分別がついている。私の話を聞く彼女の姿勢は、私の口から色んな言葉を引き出した。
"クォーターライフクライシス"という言葉をご存知だろうか。
”ミドルクライシス”、いわゆる中年の危機という言葉は世に浸透しているが、クォーターライフクライシスも同じぐらい理解してほしい言葉だ。
人生100年時代と考えたときに、その1/4が経過した25歳より後、私の感覚では20代後半から30代前半にこの時期を迎える。
漠然と自分の将来に強い不安を感じたり、疑問を持ったりして立ち止まる。
特に女性は、恋愛、結婚、妊娠、出産、子育て、自分のキャリア…..考えることが膨大だ。どうなるかも予想がつかないこの世の中の情勢と、自分の理想を擦り合わせていくだけで頭がパンクしそうになるのも無理はない。
だがこれは、結婚していてもしていなくても、子供がいてもいなくても、パートナーがいてもいなくてもその人たちに降りかかる。
一種の人生の見直し期間なのかもしれない。
「今、ウチらそれだよね」と言って彼女と笑い合った。
ゆっくり生きよう。たまには休もう。
でも、話す相手は選んでいいよね。
何が解決する訳でもないけれど、こうして状況を少しでも理解し合える人がいるというのは非常に心強い。
話を聞いてくれるだけでありがたい。
私は比較的楽天主義だから、きっともっと大人になったら「20代はきつかったー!」と言って笑っているに違いないと信じている。
けれど、その未来が確実にやってくると確信するほどまだ私の感情と思考の整理はついていない。
「あの時こうしていれば…」と後悔している未来だって当然あり得る。
"危機"をどう乗り越えるのか、この時から自分で自分に問い始めた。
メリッサ