不可能を可能に変えた名力士“石浦将勝”が語る鳥取県民の持つ可能性
鳥取県を代表するスポーツといえば何を思い浮かべるでしょうか?
ボクシング、アーチェリー、陸上競技など、近年は鳥取県からオリンピック等の国際大会で活躍する選手も生まれており、スポーツへの熱も高まっているように感じます。
そんな鳥取県で高い人気を誇りながら、約半世紀に渡りプロの輩出がなされなかった競技である「相撲」。
“53年”という高い壁を打ち破り、横綱琴桜以来の関取となった鳥取市出身の力士が石浦将勝さんです。
石浦さんは、城北高校相撲部を率いる父親石浦外喜義監督の元で育った相撲界のサラブレッド。
若い頃から順風満帆な活躍を見せていたかのように思える石浦さんですが、「相撲はずっと嫌々やっていました」とこぼすなど、その相撲人生は波乱の連続でした。
16年九州場所では10連勝を記録する破竹の勢いを見せ“敢闘賞”を獲得する実力を持ち合わせながら、ファンだと語る新庄剛志選手(日本ハム監督)のように、アグレッシブで観客を楽しませる相撲を取り、記録にも記憶にも残った石浦選手は、鳥取県でどのような日々を過ごしたからこそ名力士となりえたのか。
人一倍鳥取県への愛が強い石浦将勝さんにお話をお伺いしました。
Be:comeとは
『鳥取を上機嫌に』をテーマに鳥取の最新情報をお届けするローカルメディア「鳥取マガジン」が送る鳥取から大きく羽ばたいた先輩たちと、鳥取出身だからこそできる夢の叶え方を見つける鳥取マガジンの新規連載企画。
その名も「Be:come」。
アーティストから実業家に至るまで、鳥取出身だからこそできる夢の叶え方を見つけていきます。
石浦 将勝さん プロフィール
石浦 将勝(いしうら まさかつ)。鳥取県鳥取市出身。鳥取城北高相撲部の石浦外喜義監督の長男として生まれ、5歳から相撲を始める。鳥取西中3年時に全国都道府県中学生大会3位となり自信をつけると、鳥取城北高3年時に世界ジュニア選手権軽量級優勝、日本大学1年時に東日本学生体重別無差別級準優勝などアマチュア時代から活躍を見せる。日本大学を卒業後、約半年間のオーストラリア留学を経て宮城野部屋に入門。12年初場所で初土俵を踏み、翌春場所で序ノ口優勝。翌夏場所で序二段優勝。16年九州場所で鳥取出身力士として横綱琴桜以来53年ぶりの新入幕を果たす。最高位は西前頭5枚目。敢闘賞1回。現在は宮城野部屋付き親方として後身の育成に励む。
💡ピックアップ情報💡
〈 石浦引退間垣襲名披露大相撲 〉
令和6年 6月1日(土)
場所:両国国技館
開場:午前10時 取組開始:午前11時
打出(終了):午後4時(予定)
※チケット発売:令和6年2月1日(木)〜
▼公式ホームページ
https://ishiuradanpatsu0601.jp/
いつも心にあった故郷への思い。
ーー石浦さんは鳥取県勢53年ぶりの関取として角界、そして鳥取県に大きな希望を届けてくださいました。現役時代に鳥取県出身ということを意識することはあったんですか
ずっと意識していました。
鳥取が好きなんで、自分の相撲で鳥取県の人たちを喜ばせたいっていう思いは常にありましたね。
ーーどういった時に鳥取のことを思い出していたんでしょうか
記憶に残っているのは初めて十両に上がった時です。
相撲を取る時に「鳥取県鳥取市出身」ってアナウンスされるんですよ。
全国に鳥取を届けられたのも嬉しかったんですけど、自分が小学校の時に夢に描いた光景を現実にできたことがすごく嬉しかったですね。
ーー現役で活躍されている時に鳥取県をそんなにも大切にされていたとは鳥取県民として誇らしいです
鳥取県民としては約50年鳥取県出身の力士がいなくて面白くなかったと思うんですよ。
その分皆さんからたくさんの応援をいただきました。
特に敢闘賞 を獲った時の声援はひとしおでしたね。
三賞※ の獲得は、子供の頃からの夢だったこともあってプロ生活一番の記憶として残っています。
※三賞:大相撲で与えられる殊勲賞・敢闘賞・技能賞の三つの賞。
ーー特に応援の力を感じた場面はあったりされますか
年に一回ある祝勝会には何百人もの方がホテルに集まって激励していただき本当に力をもらいました。
僕は鳥取砂丘をモチーフに金色の締込をつけて試合に臨んでいたんですけど、それも鳥取の方からのプレゼントだったんです。
試合前になると「次も頑張って」って声をかけてもらえたりと、一つ一つの声援が力になりました。
嫌々ながら始まった相撲人生。それでも続けられた理由とは…?
ーーそもそも相撲を始めたきっかけはなんだったんでしょう
父親が鳥取城北高校の相撲部の監督をしていまして、その影響で自分も5歳から相撲を始めました。
自分の意志でというより無理やりやらされたという言い方が正しいかと思います(笑)。
小学校2年生の時にOBの先輩から相撲を教えてもらってからは、本格的に取り組むようになりました。
ーーどちらかというと最初は嫌々始めたんですね
相撲はずっと嫌々やっていました。
体が小さいので、後から道場に入ってきた体が大きい子に負けるんですよね…。
その度に何のために稽古しているんだろうとか思っていました。
ーー石浦さんの相撲人生は最初から勝てていたわけではなかったんですね
小学校は全然です。
全国大会にギリギリ出れても一回戦負けっていうレベルでした。
ーー今では信じられないですね...
当時は体が小さかったので勝てて入賞がやっとでしたね。
ーー思ったように勝てない上に、嫌々だったなら相撲を辞めてしまう選択肢もあったかと思います。どうして相撲を続けられたんでしょう
周りにいる仲間たちが好きだったんです。
小学校は違ったりしたんですけど、それでも週2日の稽古で会って話をする時が楽しかったんですよね。
ただ、相撲が好きな感情はなかったですし、楽しさでいうと相撲と並行してやっていた野球の方が楽しかったです(笑)。
ーーでは幼少期の思い出も相撲以外の記憶が色濃く残っているんでしょうか
一番の思い出を挙げるとすると…相撲になりますね。
僕の出身の富桑小学校には学年ごとに相撲大会があるんですよ。
そこで優勝したのが嬉しかったですね。
当時一番になれるものがなかったので、相撲で一番になれたのは思い出に残っています。
ーーやはり思い出に残っているのは相撲なんですね
校内の大会にはなりますけど、それでも優勝できたことは自分にも取り柄があるんだって自信が生まれることにつながりました。
ーーそういう一つ一つの経験、相撲を続けていた原動力になっていったんですね
そうですね。
中学校に上がる頃には、県外からも相撲のために仲が良かった子たちが入学してくることが決まって新しいモチベーションも生まれました。
ただ、やっぱり相撲が好きって思ったことはなかったな...。
一度諦めたプロへの道。人生を変えたのはオーストラリアでのある出会いだった。
ーー相撲が好きに変わった瞬間はいつだったんでしょう
大学を卒業した後ですね。
ーーそんな先になるんですね
オーストラリアに語学留学していた時にインターネットで相撲を見ていると、この人と対戦したら自分だったらこう攻めるなって、勝手に脳内で変換してしまっていたんですよ。
そんな時間を毎日繰り返していたら、自分が相撲が好きだったことに気づいたんですよね。
ーーオーストラリアに留学する前も相撲を見る時は同じような見方をしていたのでは…?
オーストラリアに行くまではほとんど相撲を見なかったんですよ。
小学生の頃におばあちゃんと大相撲見てたくらいです。
ーーそんなに見ていなかったんですね
大相撲に興味なかったんですよね。
アマチュアの人には好きな人もいたんですけど、大相撲までいくと体が大きいんで力で勝つ相撲が多くて…。
だから興味があまり湧かなくて、相撲愛は留学先で初めて気づきました。
ーー留学が相撲人生の転機だったんですね
そうですね。
僕は大学三年の時に腸の病気にかかってから腐ってしまい、一度相撲から離れたんです。
もう一度相撲をやりたいって思った時には、体重は80キロを切り、ブランクも2年くらいあったので、みんなから相撲でプロを目指すのは「無理だ」って言われていて…。
ただ、オーストラリアで自分の運命を変える出会いがあったんです。
ーーそれはどんな出会いだったんでしょうか…?
留学中はオーストラリアの相撲連盟の会長にお世話になっていたんですけど、その会長からある人に相撲を教えてあげて欲しいと連絡があったんですね。
それが当時30代でエンジニアをしていたフランチェスコっていう人でした。
最初は相撲を楽しんでもらいたいなと思って軽めに教えていたんですけど、ある日フランチェスコが「僕を世界チャンピオンにしてくれ」って言ってきて...。
その発言に「相撲を舐めんなよ」ってすごく腹が立ったんですね。
自分は相撲の世界のことを少なからず知っていたので、30代から始めて世界一になんかなれるわけがないだろって…。
ーーフランチェスコ…
だから相撲の現実を知ってもらうためにもキツい稽古をしたんですよ。
相撲の厳しさに気づいたらすぐに辞めるだろうなと思っていたらその逆で、週2日の練習がフランチェスコの希望で週3日になって、最終的には毎日になって...。
そこまでいくと僕もフランチェスコを見る目が変わってきたんですよ。
いくつになっても自分の夢に向かって一生懸命になるのってすごいなって。
ーーフランチェスコ…かっこいい…!
ちょうどそれが自分の相撲愛に気づいて、もう一度相撲をやりたいなって思い直していた時期と重なっていたんですね。
ただ、年齢的にはいけるかもしれないけど、ブランクもあるし、痩せてしまった現実に打ちひしがれていて、そうした状況をフランチェスコに話したら、
「チャンスがあるのにもったいない。僕はこれまで相撲をする機会には恵まれなかったけど、今こうしてマサ(石浦さん)と相撲ができているのは幸せなんだ。マサに相撲をやりたいって気持ちがあるなら絶対にやった方がいいし成功するよ」って背中を押してくれたんですね。
その時に相撲をする腹が決まりました。
ーー出会った当初は腹が立っていた存在が、自分の人生を大きく変える存在に変わっていくとは…
僕の人生にとってフランチェスコは大きな存在ですね。
フランチェスコからの教えで今でも大切にしているのが、「人と比べない」ってことです。
相撲だと学生の時にすごく強かった人でも関取になれなかったりするんですよ。
プロを目指していると、自分が勝てなかったあの人が関取になれないなら自分も無理なんじゃないかってネガティブな感情も出てくるんですけど、フランチェスコとの出会いから自分と人を比べないってことを決めました。
ーーオーストラリアに行く前のご自身との一番の違いはスキル面ではなく、絶対にプロとして活躍するという精神面が大きかったのかもしれないですね
間違いないです。
大学時代は失敗を経験させてもらったんですよね。
高校まではすごい量の稽古をして力をつけさせてもらったんですけど、大学では自分の意志で稽古を休んでもよかったりと自主性が求められました。
その環境下で自分は体調を崩してから稽古をしなくなり、ここまでかってくらいダメになったので稽古の大切さを痛感しました。
今となってはそうした経験から得られた相撲への向き合い方が自分をつくってくれたなと思っています。
大学の監督やコーチからは、「お前頑張るの遅えよ」って未だに言われますけどね(笑)。
鳥取県は理想の環境。アスリートが鳥取県に来るべき理由とは
ーーオーストラリアでの経験を経てプロになった石浦さんですが、プロとしての活躍につながった鳥取での経験はあったんでしょうか
技術はほぼ鳥取で教わったことです。
もちろん高校の設備も充実していたんですけど、稽古に打ち込む環境としての鳥取のジムや自然は最高でした。
ーー自然も活躍に影響していたんですね
特に鳥取砂丘は最高です。
鳥取砂丘を走る稽古ってすごくいいんですよ。
砂に足を取られて全く前に進まないんですけど、それでも足を前に出す訓練をしたことは、自分の強化ポイントだった押しの強化につながりました。
現役時代は、鳥取に帰ったら砂丘に行ってスリバチを10本とか走っていました。
ーー砂丘がある環境ってアスリートからすると特権なんですね
間違いなく特権です。
あんな効率の良い練習、鳥取以外だとできないですもんね。
足腰を鍛えたいアスリートは鳥取に来るべきです(笑)。
ーー他に鳥取県だからこその特権ってありましたか
ワールドウィングですね。
怪我をしにくい身体はあそこで作れました。
ーー相撲をやる上で鳥取県は本当に整っている環境なんですね
最高です。
僕は時間があれば鳥取に戻って稽古をするんですよ。
朝にワールドウィングに行って、昼から高校生と稽古をして、稽古が終わったら砂丘を走るっていう生活をしていました。
伯桜鵬※ とよく鳥取に帰って稽古したいなって話をしています。
最先端のジムもあれば、整っている自然もあって、そして何より街には応援してくださる方々がたくさんいる。
本当にいい環境で相撲をやらせてもらっていました。
※伯桜鵬:鳥取県倉吉市出身、宮城野部屋所属する「令和の怪物」と称される期待の力士
ーー石浦さんの活躍には鳥取県で育ったことが欠かせない要素としてあったんですね
「江戸の大関より土地の三段目」という言葉があるように、地元と相撲の関係性は古くから強いと言われています。
自分も郷土からの声援を全面に感じながら、幸せな現役生活を送らせてもらうことができました。
ーー鳥取県の一番好きなとこはどこなんでしょう
県民性は引っ込み思案と言われるかなと思うんですが、色んな方と話すと一人一人アツいものを持っているところです。
そういう人たちの応援や言葉って自然と心がアツくなるんですよね。
あとはやっぱり自然です。
特に賀露の海には救われました。
ーー賀露ですか?
プロに入る前に鳥取で半年くらい稽古をしていたんです。
その期間は本当に自分はプロでやっていけるのかなって不安な時期で…。
そんな時に賀露に行って海を見ながらたそがれて、鳥取いいなって心を落ち着けていました。
賀露の景色は今も心に残っていて、賀露に行くといつも自分の本心に立ち返ることができて励ましてもらえます。
ーー賀露の海にそんな思い出があったとは…。プロとしての生活は不安との戦いだったんですね
辛い時期もあったんですけど、オーストラリアで自分の可能性を狭める制限を取り払うことができたのが大きかったです。
当時は知らず知らずのうちに自分自身に制限をかけてしまっていたんですけど、オーストラリアで生活する中で、「俺は今から宇宙飛行士にでもなれるんだ!」とか、何にでもなれるっていうメンタルになれたのはプロとして活動していく上で必要な要素でした。
「自分の可能性を制限しないで欲しい」 鳥取県民が全国で勝つために必要なこと
ーー実際に石浦さんは周りからプロを目指すのは無理だと言われていたところから、夢を実現させてますもんね
プロに入ってもすんなりとはいかず、このまま相撲人生が終わるんじゃないかって思ったことも多かったんですけど、自分の可能性を疑わずに相撲に取り組めたことで子供の頃に描いた光景を実現することができたんだと思います。
ーー鳥取県から石浦さんのようにプロアスリートになりたいと思っている高校生は今どんなことをするべきでしょうか
考えて練習することを意識して欲しいなって思います。
ーー考えて練習...?
もちろん練習量を増やすのも若い頃は必要なんですけど、ただ部活の先生に言われたことをやるっていうよりもできることはあると思うんです。
特にYoutubeなどを活用して、自分のスタイルと近い人の映像を見ることはどんどんやった方がいいと思います。
師匠である白鵬関(第69代横綱)もこの人のスタイル良いなって思った力士のビデオを擦り切れるほど見て、その力士のスタイルを吸収して強くなったと仰っていたので、自分もとにかく映像を見てどうすれば実践に落とし込めるかを考えながら練習していました。
ーー今は参考映像に気軽に触れられる分、とにかく目にする情報量を増やして考えることが大切なんですね
それにSNSで誰とでもつながれる時代なんで、「今度練習見に行かせてください」みたいなダイレクトメッセージを送ることもどんどんしていくべきだと思います。
僕もメッセージはよくもらうんですけど、そんくらい厚かましくやっていく時代ですね。
ーー素敵なお話をありがとうございました!最後に自分の夢を追いかけている鳥取県の方々に向けて一言お願いします
鳥取に住んでいるとアスリートやアーティストってテレビの世界の人たちじゃないですか。
僕もそういう風に思っていたんですけど、自分の世界と活躍している人の世界を切り離して考えて自分の可能性を制限しないで欲しいです。
自分は自分の可能性を信じられたからこそプロとしてやれたので。
自分の可能性を信じるためには強い気持ちが必要だと思うんですけど、信じることさえできれば何をどこでしようとも絶対にやれると思います。
可能性を自分でも、人の言葉でも制限せずに、何にでもなることができる場所である鳥取県から羽ばたいて欲しいです。
ーー編集後記ーー
人生の酸いも甘いも噛み分けてきた石浦さんの言葉はとても温かく、心の奥からエネルギーが湧き上がってくるような言葉でした。
特に一度諦めた相撲人生を救ったフランチェスコとの話は、ドラマ化を心から待望するような物語で、気づけば石浦さんだけでなくフランチェスコのファンにもなっていました…!
ふと辛いことがあって自分の可能性に制限をかけてしまっている時は、フランチェスコ、そして石浦さんの言葉を思い浮かべるのが何よりの特効薬になるかもしれません。
人徳に溢れる石浦さんの元から鳥取県を代表する力士が誕生する日が、楽しみでしょうがありません。
エンドウレイ
石浦さん 最新情報
〈 石浦引退間垣襲名披露大相撲 〉
令和6年 6月1日(土)
場所:両国国技館
開場:午前10時 取組開始:午前11時
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