アイルランド紀行 vol.10「私が見たベルファスト」
留学に行く前、そもそもなんで世界中ではこんなにも紛争が多発しているのか理解できなくて「民族世界地図」(浅井信雄)という本を読んでいた。
どうやら世の中には宗教、人種、民族というものがかなり複雑にからみあっていて、それに経済や政治がさらにからんでいって、どうしようもない争いが多いらしい、ということを感じた。
けど、一見平和な日本に暮らしていた自分には「民族紛争」ってのがどうもピンとこなかった。
これはもう現地に行くしかない、怖いけど。
北アイルランド紛争を抱えるアイルランドという島に留学を決めたのにはそんな理由もあった。
(ゴールウェイのオイスターフェスティバルってのも、大きな理由のひとつだったけど)
語学学校に少し慣れた頃、アイルランド島の西海岸にあるゴールウェイをバスで出発して、東海岸のダブリンを経て北へ、ベルファストへ向かった。
2001年当時は、1980~90年代に比べると爆弾を使った攻撃などは少なくなっていたものの、紛争が完全に収まったとは言えない状態で、街もどことなく緊張感が漂っていたように感じた。
(爆弾を使った攻撃、と呼ぶのか、爆破テロ、と呼ぶのかはその人の立場によって表現が異なる)
まちなかのパブの入口に、鉄柵と割と網目の細かい頑丈な檻のようなフェンスが設置されていたのにはびっくりした。
パブのおっちゃんに聞いたところ、
「ここは特定の主張を持つグループのたまり場だからな、爆弾積んだ車とか突っ込んで来ないようにフェンスがあるんだぜboy」
と分かりやすく説明してくれた。
爆発するかもって気にしながらギネス飲むのってどうなの。
いや繁華街のど真ん中じゃなくて、もっと突っ込まれにくいトコに集まろうよ。
(あとboyって呼ぶなー)
その後、シャンキルロードという家の壁面に紛争関連の壁画が描かれているエリアのガイド付きツアーに参加。
ハンガーストライキで亡くなった人のメモリアルのもの、紛争当事者の義勇軍を鼓舞するものなどが描かれていた。
どれも、圧を感じる…。
そして、紛争・抗争にからんだある日の襲撃によって亡くなった人たちの名前が記されている石碑を見た。
名前と、カッコして数字。
数字は年齢。
41とか、37とか、66とか、そして5、とか。
みんなそうだけど、特に5歳の子どもは紛争と関係なくないか?
なんのために襲撃したんだろうか。
独立とか統合とかの目的と、襲撃とか爆破っていう手段はほんとに一本の線でつながってるものなのだろうか。
ただの狂気に近かったりしなかったのだろうか。
現地に行って、現場を見ればいろいろ分かると思っていたけど、見れば全て分かるというものでもなかった。
むしろ余計分からなくなった。
ましてよそ者。
どっちが正しいとか言えるわけがない。
行ったことですっきりなどせず、モヤモヤする気持ちのほうが大きくなった。
それでもやっぱり、現地に行ってよかった。