『寝過ごしてしまった春』━私にとっての、春ねむり━
春ねむり。
2010年代をヴィレッジヴァンガードで過ごし、
眠れない夜はツイキャスを開いていた私にとって、
彼女の音楽は、私のこれまでの人生で、ずっとすぐ近くで鳴り続けていような音楽だ。
彼女を語る時、DAOKOや神聖かまってちゃんなどのアーティストの名前が並べて挙げられることがある。
ポエトリーな歌声と、囁きと絶叫。確かにそれらの要素は通ずるものがあると思う。
私たちはずっと苦しかった。
大きな声で不平不満を叫べば問題児だと言われ、
小さな声で話していると最近の若者は何を考えているかわからないと言われる。
日本人が大好きな「青春」という言葉。
本当は玄冬、青春、朱夏、白秋という一連の流れがある考え方の一部だ。
活動的で実力を発揮できる時代は朱夏に当てはめられ、
歳を重ねながら穏やかに死を迎える時期には白秋が当てられている。
それなのに大人達も、子供達も、青春にばかり固執している。
青春には何があったのか?
何があったのか?あの地獄に。
それは中高生のフラストレーション由来の地獄なんかじゃなかった。
自然の摂理には抗えないから誰も何も悪くないけれど、
沈んでいくと分かりながら、沈みゆく船の上で右往左往することしかできなかったあの時代。
ただ自分を憂うことしかできなかったあの日々から、
少しは成長した今。
今の私が、あの頃の私を振り返っても
どうするのが正解だったのか
と、終わりのない反響が心の空洞に響き続ける。
その反響の中に混じってどこからともなく聴こえる音がある。
轟音、金属音、溜息、落下音、呻き声、木霊、産声、心音。
そう、それが私にとっての春ねむりだ。
どこから来て、どこに繋がっているかわからないこのトンネルの中、
反響して聴こえてくるのが彼女の音楽だ。
正確には音楽ではない、人間の鳴き声だ。
希望も絶望も全部、鳴き声としてなら叫べるのだ。
私たちは人間であり、動物だから。
音が弾け飛んで反響するトンネルを電車は抜けた。
気づかないうちにどうやら寝てしまっていたらしい。
正しく春に気づかなかった。
寝過ごしてしまった青い春。
あの時の叫びを、今、鳴き声に昇華しておくれよ、
春ねむり。
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