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福福した顔になりたい

先日、NHKのプロフェッショナルで見た「餅ばあちゃん」

津軽で大人気の笹餅を作り続けてる93歳のおばあちゃんのドキュメンタリー。

このおばあちゃんの自然で福に満ちた顔を見てたら
私もこんな福福した顔のおばあちゃんになりたいな、と思った。

アンチエイジングだとか、
いやいやそれどころか40代になってから今まで以上の体作ろうぜ、とか
もっともっと磨いていこうぜ、とか

色々教えてもらって、色々やってきて、
やれば変わると分かったし、だからこそもっと磨いていこうぜ、と思ってきた。

もちろんそれはそれで魅力的だし、もうやーめた、と思ってるわけじゃない。

もっと先、ずっと先の自分の姿を想像したときに
やったらギラギラした若作りのおばあちゃんになりたいわけじゃない。

ふわっと自然に出た笑顔があまりに福福していて、思わず側によりたくなる顔、
そんな顔したおばあちゃんになりたいな、と思った。

餅ばあちゃんのミサオさんのように。


というのも、数年前、家族の誕生日のお祝いをしている日
息子が何げなく撮ってた動画を後からみて、私はかなりの衝撃を受けた。

笑ってない。

笑ってないだけじゃない、顔が、恐い。


写真撮るときは笑顔を「作って」撮ってるし
鏡見るときは、無意識のうちにやはり多少は顔作ってるんだよな、

カメラが写し出してた素の顔の私は、私が想像してた顔と、違う。


そうして振り返った私自身の生活や考え方、

そういえば子どもが生まれてからずっと、私できるだけ家族の前で笑わないようにしてきたんだ。

とにかく、必死だった。

子どもが生まれて、ほぼ一人で家事と育児を回し
さらに正社員として仕事復帰してからは、とにかく子どもがいることを言い訳にしたくなくて

そして、私が仕事に行くことを反対もしなければ、できる範囲で協力もしてくれてた旦那さんですらなぜか敵と捉えて

奥歯噛みしめて肩を怒らせ、血走った目で何も手を抜きたくなくて
手の抜き方も分からなくって

とにもかくにも、必死だった。

そして、自分の必死さも気付かずに、自分の体や心の状態に目を向けようともせずに

自分の持てる時間内で全てをできるだけ完璧にこなすために、全うするために
それを達成するために私が選んだ方法が
「家族の前で笑わないこと」だった。

笑うとね、時間がかかる。と思ってた。

子どもが面白いことして、ママこれ面白いでしょ?と笑わせてきたことに
笑ってしまったら、
また同じことをするから、時間がかかる。

笑ってたらごはんも進まないし、
そうしたら家を出る時間も遅くなるし、
お風呂になかなか入れなくて、
さらに寝る時間も後ろに倒れていく。

それが嫌で、私が予定した時間に合わせてすべてが回るように、
鉄仮面のように表情をできるだけ作らず
子どもに指示を出し、自分の役割と信じてた作業を全うしてた。

今書いてるだけでも、なんてことをしてきたんだろう、と
泣けてくる。

でも、その当時の私はほかに選択肢が見つからなくて
それが一番正しいやり方であり、私の役割だと思ってた。


そうして数年、家族の前で笑わないようにしてた私の顔は
気付いたら、
なんだかいつもうっすら怒ってる顔、になってた。

外で笑ってても、
やっぱり家族といういちばん近しく大事なひとの前で笑えてない顔って
ふとした瞬間にその「裏」が透けて見えてしまうのだ。

まさか撮られたと思ってない写真とか、
素の表情を切り取られた瞬間、私の顔ったら自分でぞっとするほど恐い。

自分でその「裏」事情が分かってるからこそ、恐いのかもしれないけど。


顔は、そのひとの人生、人となりを本当によく表してくる。

福福とした顔は、福福とした人柄、人生そのもの。

顔の造作としての美しさとか、若々しさとか、もちろん憧れる。
でもその前に、私がなりたいのは
「福福とした顔」

いつ何時も、表も裏もなく、
人生面白いやんけ、と楽しんでる、顔。

そう。
目指せ、餅ばあちゃん。なのだ。

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