私のジェンダーは人と違うかもしれない。
皆さん、パンセクシャルという言葉は知っていますか?
私はつい20分前に知りました。
信頼する大好きな友達から。
オタクジャンルにいて感じるなんでもかんでもBLにしてしまう発想の違和感や、でもBLにおけるブロマンスが大好きな私、一方少女漫画のシンデレラ甘々ストーリーは受け付けないながらも、気丈な女性の恋愛が好きな私の性感の言語化が、このパンセクシャルに集約されていると思った。
パンセクシャルとは、男性だから好きの前に、人間だから好きがきて、そこにあくまで性が付随しているにすぎないという、性愛の対象は人間愛がくる、全性愛者を指す。
もう一度いうが、ジェンダーに関心がある友にきいた話だ。今さっき知った。
私は、学者が生み出したであろう枠組みに当てはまると腑に落ちて、感情が高まり泣いてしまった。
というのも、その友、女性の彼女に対して、恋愛と分類しても過言ではない感情を浮かべたことがあったからだ。
夜9時から卒業論文の提出日の午前6時まで通話して、テレビ電話の画面にうつる日の出を見たとき、初めて4年間苦楽を共にした彼女に対して今まで浮かんだことのない、胸をしめつけるような苦しみのような感情が巻き起こった。
かつて経験したことのある、元彼氏と付き合う前に浮かべていた感情と相似していたのだ。
それを言葉にするなら、女性に恋したのだ。
ただ私が恋したその女性には、最も信頼する女性がいた。
友達は、好きな女性を傷つけないために、女性が女性を恋することを表明するのは相手や相手の家庭にとって社会的に許されないことだとわかっていた。そのため、我が友は、最も信頼する女性には、恋慕する気持ちを言葉として伝えたことがないと言っていた。
私が初めて恋した女性には、彼氏がいる。でも真の本命は女性だった。その女性には、恋慕の気持ちを伝えないでいる。
そして私は、両性に、なんなら女性に愛をもつ彼女を愛した。
とても複雑な構造だ。
今まではよくわからないと思っていた、女性の友への感情をイレギュラーとして排除していた自分に、「そんなことないよ。」と示してくれたのが、パンセクシャルという言葉だった。
そして、パンセクシャルの言葉を教えてくれたのも、私が恋した女性だった。
皮肉なもんで。
ただパンセクシャルといってもわからない、なんせ付き合った経験も恋愛した経験もすくないもので。
好きな創作の分析から性愛の傾向を掴んだにすぎない。
自分の中のジェンダー観をパンセクシャルと規定しきるのは、まだ早いと思う。
そうであっても、パンセクシャルという概念は、私にとって、救いに違いなかった。