わからないデヴィッドリンチ
昨今、フェミニズム映画やLGBTQ映画が罪を精算するように多く制作されているが、リンチは二十年以上も前に、その題材を詰め込み、傑作を撮った。21世紀とともに生まれたマルホランドドライブである。僕は配信で何度も観たあと、4Kレストア版をピカデリー新宿で鑑賞した。
僕は改めて映画館の素晴らしさを感じたが、それもリンチのおかげだった。配信では味わえない美しい映像の連続だった。
芸術家志望だった映画監督は多い。リンチもそうで、カメラワークやショットにいちいち感動させられる監督のひとりだ。他にはキューブリック、黒澤明、タルコフスキー・・・・。
カルトの帝王リンチは、真っ直ぐなストーリーにはあまり興味がない監督だ。唯一直進的な話はストレイトストーリーだ。そのタイトルがストレートとかけているのかはわからないが、アイロニカルを感じざるをえない。内容も、おじいさんが芝刈り機で広大なアメリカを横断するというもの。リンチらしさはあまりないが、僕のお気に入りのひとつだ。
リンチのアート精神も好きだが、哲学も尊敬に値する。ブルーベルベットのシーンで、民家の庭の芝生にカメラが寄っていくと、芝生の下では蟻が密集して蠢いている。日常の風景でも、さらにズームして奥の奥を覗けば、そこには危険な非日常が潜んでいる。よく演劇のチラシなどで、非日常を描く・・・みたいなありふれた文言を目にするが、わざわざ非日常にこだわらなくても、日常の奥を見つめればいいのにと考えるようになったのもリンチの影響だ。
主役の青年はある寂れた場所で、人の切り取られた耳を拾う。それを警察に届けてから、彼の人生は、青く美しいベルベットを滑るように劇的に変わっていく。無垢な青年と残酷な落とし物が掛け合うと、物語は叫び声の如く拡散し観る者を引きつける。
ロストハイウェイではストーリーをねじ曲げ、さらに青年が拾う切断された耳のように切り離す。妻を殺した男は死刑になるが、ある日独房で別人に変身する。何度も観て、共通項を探すのだが、まったくそれらしい答えも出ない。ミステリーマンはなんなのか。なぜ男は若返り、不良少年に変わってしまったのか。妻は双子なのか。
ロストハイウェイの脚本が載っている本にはリンチの思想の一端がうかがえるインタビューがある。
「解ける謎は謎じゃない」
心因性記憶喪失、幻覚、不安、不倫、欲求不満。付随する単語は並べられても、物語を解く鍵にはならない。実際にアメリカで起こった事件を題材にしているらしいが、だからといってインターフォンからある人物が死んだ報告を受け取る意味が、少しでもわかるというものでもない。結局なにもわからない。観た後のほうがわからない。だけど感動し懊悩し、また観たくなる。車がセンターラインを跨いで道路を爆走するタイトルバックにデヴィッドボウイの歌声は、瞑想のように精神を奥深くまで導いていく。リンチは瞑想の達人でもあり、全国でその講演を行うほどだ。
マルホランドドライブの謎は、確かに夢オチで解釈できるが、それを把握してからがこの映画との一生のつき合いの始まりである。
僕もすべて理解しようと模索するのだが、いつも首を傾げて終わってしまう。それでいいのだろうと思う。僕はわかろうとしていない。その謎をさらなる謎に感じるために、自分の脳を謎に合わせにいっているのだ。
デビュー作のイレイザーヘッドもトップクラスで難解だが、消しゴム頭の主人公のように、接触しては自己がすり減るだけだ。でもその消耗が心地良い。
リンチはイレイザーヘッドの制作をほぼひとりでやり、昼間はアルバイトをして夜に映画製作というスケジュールを何年も続けた。だから当時の世界情勢をまったく知らず、自国のことすら無関心だったようだ。しかし、大時代な作品にはならず、新しい映画の時代をこじ開けた。
アートと政治の因果関係はピカソの絵でわかるが、リンチアートは政治的ではなく、もっらぱ自己の精神的なのだ。
リンチはイギリスの画家フランシスベーコンを敬愛している。模倣と思えるシーンもたくさんある。シュールレアリスムの眼目カフカの影響も受けている。ツインピークスでは、これでもかってほどのカフカの大きな写真が額に入れて飾っている部屋が登場する。
リンチは偉大な謎だ。ピラミッドやモアイ像のように、確かに存在している謎なのだ。だから永久に消えることはない。映画そのものが消滅したとしても、イレイザーヘッドの奇妙な赤ん坊の写真だけは残っているはずである。その赤ん坊が成長し、またリンチの世界を形成していくのは想像に難くない。
僕は天才という言葉があまり好きでない。なぜなら天才と定義することで、その人について考えなくなるからだ。アインシュタインは天才だ、それで終わりである。相対性理論は天才の産物。ベロを出してハッピーエンド。
リンチはいかなるシーンを撮影しても、それが映画になる奇跡的な才能の持ち主だ。ゴダールもそうだが、リンチは対照的にグロテスクで美しい。ゴダールはとにかく雅である。
インランドエンパイアでは、現実なのか虚構なのか虚構の中の虚構なのかわからなくなる。現実は現実感から逃避し、虚構は強固な反響を哄笑のごとく響かせる。ウサギの家族の挿話は迷宮を折り畳んでひっくり返したような世界を馴致させる。
人工と書いてアートと読む。人工は人の工夫。リンチはカオスを創造し、その内陸帝国の人口を増やしていく。そこで人々は影を大きくして踊るしかない。
アートと人。その関わり方は、映画という箱に魅力的な謎を満たした。
マルホランドドライブの青い箱は、入口だ。入口と書いてアートと読む。リンチは入口(アート)をつくったが、出口(エンド)は用意しなかった。
どの映画会社もリンチに扶助せず、映画をつくらせなかったのは恐れからかもしれない。謎は結局、人間にとって排除すべきものか。
それでも謎は生まれる。人間が淘汰されることがあっても、謎は淘汰されない。