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(皆言ってることだけど)SNSマジ怖い。

SNSって、人の反応がモロに来るじゃないですか。
こわい。

特にサラハとか、質問箱とかの「匿名系」。

「ブス」「美人ぶってるブス」「太ってるブス」「ブスだと自覚してないのがやばい」「自撮りを載せるブス(そんな載せてないやん)」「ちょうどいいブス(相席スタートか)」「死海に沈むブス(面白かった)」「鏡に映るブス(自問自答)」

まあひどいもんです。ちょっと盛ったけど。

匿名系SNSって、悪意を吐き出しやすいですよね。自分がバレることはないけれど、相手はしっかり傷つくし。書かれた人は疑心暗鬼になって、誰かひとりに直接言われるより何倍も傷ついてしまったり、別の人からの賛辞にも裏があるんじゃないかと思ったり。

そのぶん、めちゃくちゃポジティブで嬉しい意見もたくさん来る。ポジティブ9割ネガティブ1割。でもその1割がかなり心に来る。刺さる。本当に心臓ギューン!って感じ。

「文章が好き」「ご飯いこ」「声が綺麗」「💩」「ブス!」「恋愛相談」「話してみたい」「焼肉食べたい」「先輩!奢ってください」「付き合ってください」「割と尊敬してる」「好き💓」「サカナクション好き?」「演劇続けるんですか」「緒方ってなんやねん」

実際わたしのサラハはこんな感じなんだけど、全然ポジティブ要素は入ってこない。「ブス!」しか残らない。とりあえず笑い飛ばすしかないけど、めちゃくちゃ傷つく。あと「自覚してないブス」ってなんだ。自覚はしてるわ。人類ほとんどがそうであるように自覚はしつつも自分のことが好きなんだわ。たしかに見合った行動はしてないけど。

しかも、ネガティブコメントをする人の方が、なんていうか、時間を割いてくれている。よく言う、「小説でもなんでも、批判する人の方が、深くまで読み込んでくれている」という話と一緒。

わたしは2月くらいにサラハをアンインストールして、2ヶ月間ずっと開いてなかったんですけど、この前ちょっと開いたら4月中旬くらいにまた「自覚しろブス」的なのが来ていた。

きみ……まずどこでわたしのサラハの質問ページを見つけたの?Twitterのプロフィール欄にももうnoteのリンクしか貼ってなかったはずだし、どう考えても2ヶ月前のツイートを遡ってるよね……?

すごい執念。そこまでして人に悪意を告げたいのか。坂上忍でもそこまでしないぞ。あの人は金銭が発生するからやってるんだぞ。

こういう見えない悪意にさらされると、超人気歌手とか、アイドル、俳優が頻繁に病む気持ちがよくわかる。本当にきちんと努力をしていて、素晴らしい才能・容姿に恵まれている彼らですら、全く努力もしていない、その道のプロでもない、よく分からない人たちからあらゆる手段を用いて「下手くそ」「やめちまえ」「可愛くない、ブス」と言われるのは、本当に辛い(あの桃井かおりですら「ブスの唄」というのを出している。「ほうら あれがブスだよ」と高らかに歌っている 必聴)。そのネガティヴな人たちが、ポジティブなサポーターたちの100分の1でも、100000分の1でも、たった一人だったとしても、精神を病んだり、果てには自殺してしまったり……ネガキャン民は、それほどのことをしているという自覚があるのだろうか。

実際、サラハや質問箱で明るみになっているだけで、憎しみ、悪意、嫉妬心は、自分が想像するよりはるかに多くの人たちから向けられているものだ。でも、「匿名系SNS」等で暴かれない限り、その悪意はダイレクトにその人には向かないことがほとんどだ。昔の時代はそれで幸せだったんだと思う。

わたしは自分に悪意を向けられることにも飽きた。
わたしの好きな人が暴言を浴びせられているのにも飽きた。
わたしに価値のあるものが他人にとって無価値だということもある。それは良い。構わない。
でも、それを「無価値だ!」とわざわざ吐き捨てる必要はない。わたしも絶対に人の大切なものを踏みつけにしないと決めた。最近決めた。決意だ。

こんな研究がある。
「暴言を吐くことには、鎮痛効果がある。人は暴言を吐くことで感情の高ぶりを発散させ、自尊心を満たすことができるのである。」

こんな研究もある。
「脳のある部分は、自分が言った言葉の主語を理解することができない。他人に発したはずの言葉も自分に向けたものとして捉えてしまう。だから、自分で言った悪口は自分にそっくりそのまま返ってきて自尊心を傷つけ、自己嫌悪に陥ってしまう」

ここで言う自己嫌悪、とは「うわーん悪口言っちゃった!」的な軽いものではないと思う。悪口を言われた相手は「ギューーーン」とハートに刺さって傷つくのに対し、おそらく悪口を言っている方は、真綿で首を絞めるようにじわじわと心が蝕まれてゆく。死にゆく自分に自分も気づかないのに、ただいらいらして、自分を好きになれなくて、SNSを見て、お前はわたしより下なはずなのになんでそんなに幸せそうに生きてるわけ?わたしよりずっと「ブス/才能ない/モテない/年取ってる」くせに。もうだめだ。呪ってやる。悪口、書いてやる。はい、負の連鎖。

この説の素敵なところは、「人を褒めることにシフトチェンジすれば自分が超幸せになれる」点だ。べつに嫌いな人を無理に褒めなくていい。好きなものを好きなだけ愛でて、好きなだけ褒めて、嫌いなもの、目につくものはスルー。のち、頭の中でポイ捨て。冷淡になればいい。

ぶっちゃけ、散々嫌いなやつの悪いところを匿名で批判したのに、さきほど触れた「批判するやつ大ファン説」に組み込まれたらもう逆にめちゃくちゃイラッとしない?そんなわけねーだろわたしは本当にあいつが嫌いなんだよ!!!!!ってなんない?

まあ、サラハのおかげでわたしはかなり匿名性への耐性がついた。それは感謝している。でも、そんな汚さに慣れたくなかったし、知りたくなかったとも思う。サラハを辞めたからといって、秘められた誰かの悪意がなくなったわけでもないし、誰からも100%愛されるための方法もない。

でも、わたしが傷ついたら励ましてくれる友人も家族も、励まさないだろうけどバカなことしてくれる人たちもいる。この前、剛力彩芽が「皆にブスと言われても、家族は可愛いと言ってくれるから、やっぱり私は可愛いんだと思う」と言っていた、というツイートを見かけて号泣しかけたのだけれど、その元となった記事から抜粋をどうぞ。

「自分の顔はキライじゃない」と明かす剛力「メイクした顔もノーメイクの眠そうな顔も。メイクしないとヒヨコみたいな小さな目になっちゃうんですけど、それも好き」とキッパリ。さらに、「美しいや可愛いというのは、自己満足が大切だと思う」と持論を展開し、「家族や身近な人が『彩芽は可愛いね』って言ってくれるから、誰がなんと言おうと可愛いはず(笑)」と前向きな思考を明かした。

なんて素晴らしいことを言うんだ!と感動していたところ、記事へのコメント欄が「自分で言っちゃう?」「そりゃ家族はブスって言わんやろ」「性格疑う」「こういうこと言えちゃうんだね。神経図太いね」系でぎっしりだったので、そこまで含めて、現代らしいな〜と思ってしまったのだけれど、とにかく!もうハッピーに!生きよう!!!!あと剛力彩芽は小顔だし本当にちゃんと可愛いし自分を信じて進むのってとても素敵だから!という話でした!こんなにまとめが馬鹿みたいでいいのかな。

ヘッダー写真撮影: ひらぴーイン横浜

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