送料無料について考える
個人ドライバーの労働組合
大手通販会社の配達をしている個人ドライバーたちが組合をつくるというニュースを聞いた。彼らの厳しい労働環境を改善するために立ち上がったのだ。
ニュースによると、彼らは大手通販会社から仕事を受けているわけではなく、運送業務を委託されている運送会社から仕事を受けているようだ。仕事を受ける際の契約内容は運んだ個数ではなく、配送時間の長さによって給料が支払われるというものらしい。当然のことながら、運送会社は契約している時間内にできるだけ多くの荷物の配送を依頼してくる。すると、運転距離も、荷物の上げ下ろしも、ピンポンの回数も、電話の回数も増えてくる。でも、給料は変わらない。それどころかサービス残業も発生していると。
しかし、そんな契約に異議を唱えると、契約はしてもらえない。他に代わりのドライバーはいくらでもいるから。
大手通販も運送会社も酷いことをするなあと思う。労働環境を改善してあげればいいのにとさえ思う。
なぜか通販になると・・・
しかし、一方で、明日届けてほしい、19:00以降にもう一度来てほしいとわがままを言っているユーザーが多勢いる。私たちである。
さらには、そのユーザーは送料という言葉が大嫌いである。送料無料のお店を必死で探す人や、送料無料になる金額まで無駄な買い物までする人たちである。
通販におけるユーザーは大変厳しい。知り合いに、「ごめん、出かけちゃったから、夜にもう一回持ってきて。運賃は払わないけど。」と再配達のお願いをできる人はなかなかいないと思うが、通販だと平気で言える人が多いのだろう。
送料無料への道
そんな厳しいユーザーに対応するために、どこかの通販会社が「送料無料」という差別化を編み出した。みんながこれに飛びついた。
そして、送料無料を目にするようになったユーザーは、送料無料を当たり前のサービスと考えるようになった。
現実は、誰かが家まで荷物を運んでくれているのに。そのことに対価を払わないことが当たり前という考え方も社会もおかしい。
そんなのは通販会社がうまくやって送料分の原資を浮かせてくれているんだろうと気にする必要はないのかもしれない。うまく製造原価、物流費の削減したのかもしれない。人件費削減かもしれない。はたまた外注いじめかもしれない。でも、ユーザーに原資は明かさない。
見えにくい世界
しかし、手元に届く商品には、どこの国のどんな人が関わって、どんな仕事をしてくれているのか、そこにどれくらいお金がかかっているのかを意図的に見えにくくしてしまうようなサービスは好きになれない。その商品のうしろにあるものが見えにくい。見えにくいものが多い社会は不健全な気がする。見えにくいだけならいいが、見えない、想像できないという社会になったら怖いことだと思う。
ユーザーは無料、無償という言葉に踊らされ、自分達へのサービスは向上
していると思っている。その優遇の原資は、見えないところで自分たちの給料を下げて得られていることに気づかない。それは自分の給料ではなく、見えない誰かの給料だから。
でも、いつかは自分の給料の番が来るかもしれないのに。
「安いニッポン」は加速する一方である。
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