交通の便が悪くてもマイナス30℃でも移住した理由|しもかわ移住備忘録①
こんにちは。立花実咲と申します。
2017年から下川町の地域おこし協力隊として3年間、移住を検討されている方々に向け情報発信を行なっていました。
その後の1年は、ライターや編集者としてフリーランスとして過ごし、現在は鹿児島県に暮らしています。
住んでいる場所が北と南で離れてはいますが、4年間の暮らしを通じて経験した現地での暮らしや出会った人たちのことが、今でも大好きです。
下川町での暮らしの一部を知る一人として、移住を検討されている方々に「なぜ下川町なのか」を、3回に分けてお伝えできればと思います。
わたしが下川町を選んだ理由
いまや、地域移住はめずらしくありません。新型コロナウイルスの感染拡大の影響も手伝って、都市部を離れ、生活の拠点を地域に移す人もたくさんいます。
とはいえ「選択肢が多すぎて、一体何を基準に地域を選べばいいのだろう」という声があるのも事実。
そこで、参考になるか分かりませんが、わたしが下川町へ移り住むことに決めた時のことを、初めに少し、お話しさせていただきます。
北国がいい
はい。まずは、これです。
わたしは、暑いのが苦手です。現在は鹿児島で暮らしているのに、もともととても暑がりかつ汗っかきなのです。
下川町に引っ越す前は東京に住んでいたのですが「地域で暮らすなら北国がいい」と常々思っていました。
北海道と聞くだけで「寒くて暮らしが大変では?」「雪も多いんでしょう?」とちゅうちょしてしまう人もいるかと思います。
確かに、下川町はマイナス30℃まで下がることもあります。マイナス30℃って、冷凍庫より寒いです。それでも住民の方々は、さまざまな知恵や工夫を以て、厳しい冬を生き抜いています。むしろ、その寒さを利用して、ビールをキンキンに冷やしたり、テントサウナを楽しんだり、バケツの水を凍らせてランプシェードを作ったり、たくましく暮らしています。
わたしはこうした暮らしの知恵について、とても興味があったため、厳冬であればあるほどワクワクしました。ドMなのかもしれません。
僻地がいい
下川町には、電車が走っていません。
最寄りの駅は、名寄(なよろ)駅。バスで25分ほどです。
わたしが東京からどこかの地域へ移住しようと考え始めた頃、選ぶ基準は「北国」であることと「僻地である」ことでした。
交通の便がいい街は、どこへ行くにも便利ですから多くの人たちが集まります。
けれど、電車が通っていなかったり、たどり着くのに時間がかかったりする地域には、あえてそこで暮らすことを選んで住み続けている人が多いのではという仮説がありました。
能動的に地域での暮らしを楽しんでいる人や、その地域で暮らす理由を認識している人たちが多いとするならば、わたし自身も現地での生活を楽しめるのでは、と考えたのです。
僻地というと、過疎地、だとか、ド田舎、だとかネガティブな印象があります。
けれど、どこへでも便利にアクセスできる世の中で、行くのが大変な町ほど、見つけた喜びや辿り着けたワクワク感も、ひとしお。さらに「自分だけが知っている」というちょっとした特別感を味わうこともできます。
こうしたワクワクにピンとくる方は、下川町での暮らしが向いていると思います。
「そんな遠いところ、いきなり行くのはちょっと抵抗がある……」という方は、Tanoshimoに載っているイベントや記事を見てみると、よいかもしれません。
それらを通じて、町内の人とつながれれば、少しずつイメージがふくらむと思います。
調べすぎないほうがうまくいく
移住前の準備として、たくさんパンフレットを取り寄せたり、イベントにいくつも顔を出したりする方がいます。
慎重に選ぶのは、重要です。
引っ越した後に「こんなはずじゃなかった」と落胆するのは、移住する側も、移住を受け入れる地域側も、不幸になります。
とはいえ調べすぎるのは、わたしはあまりオススメしません。
どんな地域であっても「こんなはずじゃなかった」ことは、起きるからです。100%理想通りはありえない、とさえ思います。
とは言え、期待感をあおるような情報は、あちこちに散りばめられています。
ウェブメディアやSNSなどで、地域で暮らしているおしゃれな人や、ステキな暮らしをしている人たちも、たくさんいます。
けれど、全員がそうしたロールモデルになれるわけではないですし、なる必要もありません。
“キラキラ移住”と、揶揄されることもありますが、彼らは“キラキラ移住者”になりたくてなっているわけではないことが、ほとんどです。ただ実直に、ときには泥臭く、自分たちが求める暮らしを追求している方々が多いなと感じます。
少し、話がそれました。
何をお伝えしたいかというと、移住前の下調べのしすぎは、逆に選びづらくなる可能性がある、ということです。
例えば、絶対にゆずれない事項を3つ絞って選ぶ……くらいがちょうどいいかもしれません。
もちろん、わたしも「こんなはずじゃなかった」経験を、いくつかしました。
下調べをほとんどしなかったわたしでさえ、思い通りにいかないことはたくさんありました。
それでもへこたれず、下川町をきらいにならなかったのは、不測の事態について相談できる人や、一緒に乗り越えてくれる人たちと出会えたからです。
このお話については、次回お届けしたいと思います。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
Text:Misaki Tachibana
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