この歪んだ世界に本音を

「本音と建前」って好きな人います?

好きとは言わないでしょうが、必要なものと考える方は多いことでしょう。この言葉は皆が皆好き勝手言っていたらまとまらないので秩序を作るための力だと筆者は思っています。これを守らないと社会につまはじきにされるぞと、ある種脅迫の様な強さを持った言葉です。こうやって脅迫されているから皆本音と建前を使い分けています。これで秩序と個人の感情は守られていますが、明らかな弊害があります。皆本当のことを言わなくなったので何が真実か全く分からなくなったのです。これやばくないですか?

何を言われてもそれが真実か分からないと疑心暗鬼になりますよね?「今自分はどうせこんなことを思われてるんだろう」と自分を卑下する人も現れる始末です。真実が分からないなら話しても全く無意味です。例えば人となりを聞きたいのに建前ばっかりで言われたらその会話に何の意味がありますか?

それを気にしすぎて占い師に相手がどう思っているか占ってもらうという時間とお金を無駄にしている人もいますが。

よく嘘と建前は違うと言われます。嘘は自分の利益になること、建前は“自分と相手の考え方の違いを相手に不愉快にせずに伝えることとされています。

はぁ?

その建前が事実と違うことだったら後から不愉快になるんじゃないですかね。確かに嘘と建前の目的は違いますが、建前はその場を乗り切るための浅い方法です。事実を捻じ曲げて相手が不愉快にならないように伝えることが建前です。そもそも相手が不愉快にならないように考え方を伝えることは建前でなく会話のテクニックの一つです。決して建前ではありません。事実を相手が不快にならないように柔らかくして伝えていることを建前なんて言葉で片付けるのは良くありません。

建前は現代社会を生き抜くために必要ですが、姑息であることには間違いありません。そしてこの姑息なやり方を全くしない人たちは一定数います。大抵はクレーマーやどうしたの?と周りから叩かれてしまうような人種の方々ですがどうでしょうか。

その人たちの方が好き勝手生きていませんか?自分の言いたいことを感情に任せてぶつけていつも怒っているような人種は自分を抑えずに、自分が地球の中心のような振る舞いをしています。そういう方々の方がストレスを溜めないので楽しく生きることができるんですよね。それの割を食うのが本音と建前を守り社会の秩序の為に協力している方々です。

本音では文句も言いたいところですが言えないので何とかその場を乗り切るために下手にでるしかないのです。そうやって社会の為にストレスを溜めて楽しく生きることができません。悪は栄えませんが、憎まれっ子ほど長生きするのはそういうことだからです。どれだけ社会から隔絶されようが好き勝手生きている人の方が長生きしますしその人にとっては楽しい生き方です。ただし、こういう生き方は一人でも全く問題ない、自分が大好きな人だけができる生き方です。寂しがり屋なのに衝動的に社会から隔絶して生きると待っているのは破滅しかないので気を付けましょう。

ではどうやって本音と建前を否定しながら、社会でも対人関係を上手く楽しく生きていけるようになるのでしょうか。

一つはキャラクターです。

これは天性のもので、好き勝手言っているが好かれている人っていますよね?これはとてつもない才能で、好き勝手振る舞いストレスも溜めず、それが周りの人に不快に映らず、むしろ尊敬されてしまう。まるで魔法でも使ったかのようなその天性のキャラクターであればそれでも全く問題なく生きていけます。これは一部の芸能人の方に見られます。ただしこれは才能なので後天的に身に着けることは不可能です。たとえ努力で身に着けたとしても長続きしないのでいつかボロがでます。あるお笑い芸人さんですね。

二つ目は会話のテクニックです。

上手く本音を利用して相手の気分を上げてあげることです。前述したように人は建前を聞きすぎて、相手は建前しか言っていないと思っています。だから、いくら褒める言葉を言っても信じてもらえないのです。そこで「自分は本音しか言わないから」と前置きをした上で褒めてあげましょう。すると明らかに反応が違います。本音を言われることに大体の人は慣れていないため困ったような顔をするか、明らかに喜びます。ここで注意しないといけないのは歯が浮くような想像で喋るのはNGです。あくまで自分が感じた相手の良さをストレートに伝えることでその想いと気持ちは伝わります。本音なので良くないところを相手に伝えることがあるでしょうが、それは0.5割くらいです。本音で生きるんじゃないの?とお叱りを受けるでしょうが、聞いてください。

これは「本音と建前を否定しながら上手く生きるにはどうすれば良いか」です。

これは本音に強弱をつけたり出す割合を変えるということです。強弱は優しく伝えるかそうでないか、割合は全て伝えるか一部を伝えるかです。社会から隔絶されそうな思想を崩さずに社会に適応させるためのテクニックなのです。話を戻すと、0.5割くらいであれば相手も意外と不快にはなりません。逆に、この人は本当に自分を見てくれているとなります。自分に置き換えてみると分かりやすいですが、友達でいいことしか言わない奴は信用ならないですよね?たまに相手を思ってしっかり伝える人の方が信用度も上がります。これが二つ目です。

三つ目は距離感です。

相手との距離感を一定に保ち相手が本音に飢えたころにポンと一言伝えてあげると心に響きます。これがいつも言っているようだと本音であるが故に弾が底をつき言うことが無くなります。弾は小出しにして相手に打つことによってより効果を増します。一気に乱射しても一発撃ってもその時の効果は一緒なので注意しましょう。この情報過多社会では万のどうでもいい言葉より一つの金言が相手の心に響きます。

四つ目は相手を見るです。

響く本音を伝えることは相手をしっかり見定めないとできません。相手の目を見て話し仕草、話し方、内容で相手を見定め自分の思った本音で相手に効果がありそうな物をチョイスし伝えてあげましょう。これをするには相手に興味を持つことが大事です。人気者の特徴として分け隔てなく楽しく接していますよね?それはこれができているからです。他人の建前の判断には囚われず自分の目で判断します。そうして相手と接するからこそ相手も信用してくれるのです。人を見る時周りの意見に左右されないようにしましょう。

終わりに

繰り返しますが「本音と建前」という言葉は嫌いです。しかし、生きるために必要な部分もあるのは事実です。そこで筆者は本音のみを使って上手く生きるためにどうするか持論を書きました。間違っていることは多いでしょうがそれは私見ということでご勘弁を。

こうやって本音を長々とインターネットの片隅に書くことは決して良いことではないと思っていますが、こういう気持ちを供養できる場所はありがたく思っております。もしこんな駄文に目を通していただき、共感して頂ける方がいらっしゃいましたら恥ずかしい反面とても嬉しく思います。

失礼いたしました。

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