スポーツの力とは「社会を支え、日本を変えていく力」
芦屋学園 理事長
大阪府スポーツ振興審議会 会長
比嘉悟
――比嘉理事長が「スポーツの力」を実感した出来事を中心に、今回はお話をお伺いしたいと思います。様々なエピソードがおありだと思いますが、一番最初にそれを感じたのはどのような時でしたか?
中学生のときにバスケットボールをはじめ、それがきっかけで、当時全国でも屈指の強豪校で優秀な指導者もいた天王寺商業高校でプレーすることに憧れを持ったんです。しかし、進路指導の先生からは絶対に受験で落ちるからやめとけと言われていました。でも一人だけ、担任の先生からは「絶対行ける!絶対行け!」って応援して頂いたんです。その先生の言葉によって、そこから猛勉強をはじめ、見事合格できました。実は私がスポーツの力を強烈に実感したのはそれが一番最初でした。直接的ではないですけど、スポーツを通じて、憧れの学校にどうしても行きたい、無理だと言われたけど努力し続けて合格することができた。やればできるってことを経験したわけです。人生を自分で切り開いた自己達成感の誕生でした。憧れや目標があるから頑張れる、スポーツにはそういう力があると思います。
また、日本体育大学の学生時代は、先輩後輩の関係でかなり苦労をしました。あまりにも辛かったので、一年生の時にクーデターを起こして同期と一緒に4人で逃げ出したりもしました(笑)。そういった、ある種の失敗を経験したからこそ、4年生で私がキャプテンになった時に、この風潮を全部変えていきました。そして、その経験から4つのことを学んだんです。「理不尽に耐える」「時を待つ」「やるときは全員でやる」「リーダーの強い意志が必要」。それが現在の生き方にも大きく影響しています。失敗を恐れる必要はありません。失敗をどのようにプラスに変えていくか、そこが重要です。失敗して人間は大きくなっていきますから。そういう意味でもスポーツの力は凄く大きいですね。
その後、社会人になってからも様々な場面でスポーツの力を実感しました。たとえば、私が指導者として赴任していた羽曳野高校は、当時は凄く荒れていましたが、運動部のリーダーが中心となって学校を変えていきました。北千里高校でも、文武両道でスポーツを通じて学校が明るくなりましたし、現在は芦屋大学でもそれを実感しています。
学生スポーツは教育の一環。教え子には厳しいことを言うこともあるけれど、根底には「社会に出て通用する人財を育てる」という想いがあります。
―――「スポーツの力」には、スポーツ指導者の資質が大きく影響していると思いますが、どのようなお考えをお持ちですか?
文科省傘下に日本体育協会の資格制度があります。例えばバスケットボールだったら、S級~C級があって、実技や座学を勉強してはじめて指導者としての資格が取得できます。サッカーはそういう意味では一番進んでいると思うし、徹底しています。だからサッカーの指導者は素晴らしい方が多く、不祥事も殆ど聞いたことがありません。やはり指導者は、教え子以上に勉強をして、常に新しい指導法などを学ぶとともに、自分を律しておかなければいけません。学ばない人に指導者の資格はないですよ。スポーツ科学的な裏付けを勉強するとともに、人間的にも成長し、教え子が何でも相談に来られるような環境を作らないといけません。そうすることで、指導者と教え子の考え方が一致し、技術的にも精神的にも強くなり絆を深めるのです。
そういった考え方は、私自身が日本体育大学でバスケットボール部に選手として所属していたとき、コーチであった清水義明先生から教わったことなんです。それが私の指導者としての考え方の原点です。具体的には、「スポーツを通じて人間的に成長することで、社会に出ても通用する人を育てる」。今でもずっと一貫している指導者としての在り方であり、方針ですね。
つまり、スポーツは勝ち負けだけではないんですよ。昨今、スポーツの指導者に纏わる様々な問題が生じましたが、こういう時世だからこそ大事なのは、「真のスポーツの力」です。スポーツを支える人達はこんなもんじゃない。素晴らしい指導者はたくさんいます。本来、スポーツの力というのは、「社会を支え日本を変えていく力」です。それがマイナスになるなんてとんでもないこと。こういうタイミングだからこそ、今一度、私が清水先生から教わったこの考え方をもっと広めていきたいと思っているんです。
例えば、スポーツ基本法の全文にはこう記されています。「スポーツは、次代を担う青少年の体力を向上させるとともに、他者を尊重しこれと協同する精神、公正さと規律を尊ぶ態度や克己心を培い、実践的な思考力や判断力を育む等人格の形成に大きな影響を及ぼすものである。また、スポーツは、人と人との交流及び地域と地域との交流を促進し、地域の一体感や活力を醸成するものであり、人間関係の希薄化等の問題を抱える地域社会の再生に寄与するものである。さらに、スポーツは、心身の健康の保持増進にも重要な役割を果たすものであり、健康で活力に満ちた長寿社会の実現に不可欠である」。
また、オリンピック憲章の序文では、「スポーツを行うことは人権の一つである。すべての個人はいかなる種類の差別もなく、オリンピック精神によりスポーツを行う機会を与えられなければならず、それには、友情、連帯、そしてフェアプレーの精神に基づく相互理解が求められる」という一文もあります。
まさしくこれらが日本のスポーツの指針であり、それに則り我々指導者が動かないといけません。だから昨今の問題などは、まだまだスポーツを“勝ち負け”でしか捉えていないところがあり、それは間違っていると断言します。学生スポーツも教育の一環。当然それによって利益が生まれることがあってもいいと思いますが、まずは重要なのは教育です。当然、教え子には厳しいことを言うこともあるけれど、根底には「社会に出て通用する人材を育てる」という想いがあります。“とにかく勝てばいい”こういう風潮になるのはすごく怖いことです。
優勝できる人間になるということは、全ての人に感謝できる人間になること
―――では、“勝ち負け”については、どのように考えれば良いでしょうか?
私が羽曳野高校でバスケットボール部の指導者として携っているとき、教え子たちにインターハイに連れて行ってもらいました。公立高校では11年ぶりのインターハイでした。当時、大阪の強豪校は、指導力というよりは良い選手を集めてきて勝っている私立の学校が殆どでした。私はその方法に疑問を持っていたのですが、でもいくらそれは間違っていると言っても、勝たないと誰も聞く耳を持ってくれない。だから結果を出さないと、と思いとにかく努力しました。
そして、大阪大会で優勝したことで何が残ったか―――、優勝したこと自体は素晴らしいことですが、それ以上に、優勝するためにみんなと一緒に目標を立てて、励まし合い、辛い練習を乗り切って積み重ねてきた経験が一番財産となりました。それが社会人になっても生きてくるのです。仕事でどんなに辛い想いをしても、あれだけやったんだから大丈夫だ、という強い気持ちを持つことができるんです。
そしてもう一つ。「勝ってしか学べないこと」があるんですよ。指導者として勝ち星を重ねているうちに、どこか“自分の力のおかげ”と思ってしまっている時期が私にもありました。でも、大阪大会で優勝したとき、自分の力ではないなと―――、生徒はもちろん、協力して頂いた他の先生方や地域の方々、保護者の方々など、みなさんが本当に喜んでくださっている姿を見て、力を貸して頂いた沢山の方々のおかげだということに優勝してはじめて気づかされました。
もちろん、優勝しなくてもそういうことは学べるかもしれないですが、「優勝できる人間になるということは、全ての人に感謝できる人間になること」なんです。そういうことを学ぶことができました。
そして、そのとき、教え子が私にこう話してくれました。「この学校は、学力の偏差値はそんなに高くないかもしれない。でも、心の偏差値では日本一だと思います!」と。嬉しかったです。そういう生徒達だから大阪大会で優勝できたと確信しています。彼らはそこまで思っていてくれていたんです。
教え子達が社会に出ても通用する人間に成長させてあげる。それを指導者が本当に意識した上で勝負にこだわらなければいけません。例えば、バスケットボールで有名な能代工業高校は、全国で33回も優勝しています。それは、加藤先生が人間教育をしているからなんですよ。33回も優勝しようと思ったら、全国から技術のある選手を集めたりするだけでは絶対に無理ですからね。
また、元早稲田大学ラグビー部監督、大西鐡之祐先生著の『闘争の倫理』という本があります。そこには「ラグビーは平和に貢献できる」と書いてあるのです。はじめは「なぜ?」と思いながらも読み進めていくと、先生の戦争実体験がその思想を構築する上で重大な影響を与えていることがわかりました。戦争という、殺すか殺されるかという極限状態の中では、人間の理性なんかふっとんでしまう。そういう状況になる前に解決することが重要であると。そのためには教育が大切で、スポーツの持っている闘争性を活用し、その心をコントロールできる人間を作ることが、平和を守ることにつながるということなのです。異常な精神状態となる状況でも、フェアな行為を続けることが「闘争の倫理」の精神だと定義づけられています。その精神を獲得するには、勝負に徹底的にこだわる、チームゲームのラグビーが最適であると語っておられます。ラグビーは広いグランドに審判が一人、見えないところで反則が行いやすいスポーツです。しかし、早稲田大学ラグビー部員は、「闘争の倫理」をバックボーンに、絶対に反則はしない、美しい闘いをするように指導されています。そういう経験をした選手達は、社会に出ても、その精神が身体にしみついているので絶対に反則はしません。“勝ち負け”よりもっと深いところにある指導者の哲学。それが最も重要なのです。
それらの学びから、私は現在、芦屋大学を優勝できる大学にしようとしています。つまり日本一の大学を目指しているんです。それはどういう意味でかというと、卒業する時に「この大学に来てよかった」と思う学生が日本一多い、そんな大学にしたいんです。
「人間はどこからでも変われる」。ずっとそういう信念でやってきましたが、生徒達がそれを実践してくれたことで、改めて、私自身が教えられました。
―――最後に、比嘉理事長が逆に生徒さんに教えられたことはございますか?
沢山あります。例えば、2013年から、兵庫ブルーサンダーズと連携して、プロの指導を受けプロと交流することができる野球部を芦屋学園高校と芦屋大学に作りました。そこから2人のプロ野球選手が誕生したんです。2017年に楽天に入団した田中輝飛選手と、2016年に巨人に入団した山川和大選手です。田中選手は高校の時は無名で、大学で大きく飛躍した選手ですし、山川選手は軟式野球の出身です。プロ野球選手になるには、なにも甲子園に出るような強豪校出身じゃなくても実現できるんです。高校時代無名の選手が大学野球で大きく成長することはないと、定説のように言われることもあるけど、そんなことはありません。「人間はどこからでも変われる」。私はずっとそういう信念でやってきましたが、生徒達がまさしくそれを実践してくれたことで、改めて、私自身が教えられましたね。
そしてもうひとつ。うちの学生はとても素直です。私がこの大学へ来た当初は、挨拶もできない学生が多かったですけど、スポーツ推薦の学生が増えていったことにより、もちろん技術面も向上しチームも強くなったけど、彼らが率先してしっかり挨拶してくれるので、いつのまにか学校全体の雰囲気まで明るくなりました。以前、大学にお見えになったお客様が仰ってくれたんですけど、「理事長、ここの生徒さんは素晴らしいですね」と。なぜ?とお聞きすると、「エントランスで理事長室の場所を聞いたら、この階(4階)までわざわざ案内のために一緒に来てくれました」と。また、ある方からはお手紙を頂きました。同窓会で芦屋に戻って来られた80歳くらいの方でした。芦屋駅の電車とホームの間に足が挟まってしまい困っていたら、うちの学生が助けてくれたんだと。芦屋大学の学生さんだということだけ聞けたので、感謝の気持ちを伝えたくて―――、そのような内容が書かれていました。とても嬉しかったです。他にもそういう声を色々な方々からお聞きするんです。
勉強ができるかどうかはわからないけど、人間的に本当に良い生徒ばかりです。勉強は一夜漬けで60点取れるかもしれないけど、人間力は一夜漬けでは不可能です。これまで生きてきた日々の積み重ねですから。だから社会出たときに人間力はごまかしがききません。私が普段から話をしていることを、カタチだけ受け止めるのではなく、知らないところで実践してくれている。そういう気持ちを持っている生徒なら、いくらでもこれから大きく成長していけると思います。そしてそんなことがある度に、私たち指導者が、改めて生徒達に教えられているのだと思います。
芦屋学園 理事長 比嘉 悟
バスケットボールで高校時にインターハイ / 国体に出場、大学では全日本学生選手権大会優勝。1973年日本体育大学卒業後、教員として多くの学生を指導し、2007年に大阪府立北千里高等学校の校長、2014 年には芦屋大学学長、2017年に芦屋学園理事長に就任。
「人間力を育てる」スポーツと教育を貫く心』(三省堂書店)、「指導者も生徒も光輝く心のトレーニング」教えることは学ぶこと』など、スポーツと教育に関する著書多数。