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冥界の王、水瓶に座す 2025【前編】

オフィスの窓が汚れているのに気づいて、ペーパーナプキンでゴシゴシこする。北側は一面の窓で、そこから見えるのは都市の光景だ。ガラスとコンクリートでできた整然とした直線で構成されている。その合間から真冬に近づく淡い色の空が見える。見慣れた景色だが、こういうものが時代の風景なのだと思うと、ふと不思議な気持ちになってくる。
年末が近づいていて、部屋いるのは僕ひとりだった。ひととおり窓を拭いてあと、デスクに座ってニュースサイトを開いてみる。崩れた建造物や都市の廃墟が映しだされる。ポキポキと折れた直線、グシャグシャになった立方体。空爆や砲弾の痕跡だ。これもまた時代の風景である。
極端に異なる景色を同時に目にしながら、そこに流れる通奏低音のようなものがあるかもしれないと考えたりもする。目には見えない時代の空気だ。

スイス生まれれの心理学者カール・ユングは、歴史には「時代精神」が大きく変化するときがあると語っている。いまはそういうものが揺れているときなのかもしれない。時代精神、すなわちツァイトガイスト(Zeitgeist)である。このドイツ語が人々のあいだで盛んに口にされた時代がある。いまから120年ほどむかし、20世紀はじめのころだ。
ユングは留学先のパリから帰国し、1905年に精神医学の教授資格をとった。この年、彼は30歳を迎えている。その約10年後、ユングは集合的無意識という考え方を唱えはじめた。個人の経験を超えた、人類に共通した無意識の層が存在するというものだった。

ちょうどそのころから、ニューヨークをはじめとして世界のあちこちで、かつて見たことのないようなガラスとコンクリートによる人工的な風景が広がりはじめた。僕がいま窓から見ている光景の走りだ。当時は点に過ぎなかったものが、100年をへて世界じゅうの街に面となって広がっている。
目には見えないツァイトガイストが時代の風景を変えていったのか、逆に風景がツァイトガイストに影響をあたえたのか。いずれにせよ集団的無意識というものがそこに介在していた、とユングならいうかもしれない。

僕がはじめてニューヨークにいったとき、都市の風景にそれほど驚きはなかった。東京とそんなには変わらないじゃないか、という感覚だった。しかし、人々が発する気配はずいぶんちがって、暴力性も含めて大きな熱量があった。それは時代の空気でもあり、同時にニューヨークという空間がもつエネルギーだったのだろう。にもかかわらず、どこかガラスのような脆さがあって、むしろそれがあの街に先端的な力をもたらしいているという気もした。
当時と比べれば、日本に漂う空気もかなり様変わりしてきたように思う。ただそれは、先端的な力というよりも、鬱積したヒステリックなものだ。時代精神という言葉がすこし大げさならば、時代感覚といってもいいだろう。

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星読みといわれる人たちのあいだで、去年の晩秋ごろ盛んに語られたのが、冥王星が水瓶座にはいったという話だ。
冥王星は、太陽系にあって地球からもっとも遠い天体である。西洋占星術ではトランスサタニアンと呼ばれる土星以遠の天王星・海王星・冥王星は、個人の運命よりもむしろ、社会の動向に強い影響をあたえるとされる。なかでも破壊と再生の星といわれる冥王星のエネルギーは強大で、この天体が2024年11月20日を境として、「完全に」水瓶座に移った。これ以降、2044年までこの星座に滞在することになる。

「完全に」というのは、すこし説明が必要だろう。
というのも、最初に冥王星が山羊座から水瓶座へと移動したのは、前年の2023年3月23日だった。ところが、それから1年8カ月のあいだ、冥王星は数カ月ごとに山羊座にもどったり、また水瓶座に進んだりという逆行と順行を数か月ごとに2度繰り返した。その動きをへて、完全に、水瓶座へと位置を移したのである。
冥王星の公転周期は約248年なので、ひとつの星座に滞在したあと、ふたたびその星座にもどってくるまでには2世紀半の時間がかかる。つまりいま生きている人はだれも、それを経験することはできない。

では、冥王星が水瓶座に移るとどうなるのか。
水瓶座というのは風のエレメントをもつ星座で、既存の価値観やルールを変革しようという特性がある。差別や偏見を排した自由な発想をもっていて、そのぶん個人主義でクールな横顔があるのもその特徴だ。ただし、個人でなにかに立ちむかうのではなく、同じ価値観をもつ仲間たちとともに行動したがる。そこが良さでもあり、弱さでもあるだろう。戸惑いやためらいというのは、水瓶座に翳りをそえる。
こうした特徴は、これからの時代にも共通したものがあるだろう。

前回の冥王星水瓶座時代は、18世紀後半の1777年から1798年である。新大陸ではアメリカ独立戦争が起き、ヨーロッパではフランス革命に揺れた時代だった。既存の権威を揺るがす新しい潮流が生まれたわけだ。
もうひとつ前にさかのぼれば、16世紀なかばの1529年から1551年ごろとなる。ルネサンスが終焉を迎え、宗教改革や科学革命が勃興した時代だ。天文学でいえば、1530年代にニコラウス・コペルニクスは地動説の論考をほぼ完成させて、それが発表されたのは1542年のことだった。長らく信じられてきた天動説、すなわち地球中心説から太陽中心説への大きな転換である。それは、既存の世界観にたいする壮絶な闘争の幕開けでもあった。

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今回の冥王星の移動にあたっても、星読みたちの多くが社会の変容を語っている。時代に即していえば、AIやロボティクス、ブロックチェーン技術の普及が加速し、テクノロジーの急速な進化が起こる。ジェンダーやセクシュアリティ、文化的背景に関する理解と受容が進む。既存の権威や社会構造への疑問や批判が高まり、新しいリーダーシップが模索される。たしかにそうだろう。
さらにえば、デジタル・ノマドの増加で、都市部から地方への人口移動が起こるかもしれない。VRとARの進歩は、教育や医療、エンターテインメントの分野に変革をもたらすはずだ。バイオハッキング、宇宙開発、仮想通貨など、さまざまな分野で枠組みを越えた新しいフロンティアの開拓はもうすでにはじまっている。
でも、これらは星を読まなくてもわかる話だ。

こうしたなか、占星術的にひとつ気になることがある。それは、この星座がもつ頑固さとエキセントリックなところだ。独善的といってもいい。その特性が表にでると、時代は変革どころかむしろ思考が固くなって、自分の信じることばかり主張する風潮が生まれる。
ユングと同じ時代を生きたオーストリアの心理学者アルフレッド・アドラーは、その著著のなかで、人は自身の正しさに囚われたとき、すでに権力争いの場に足を踏みいれているという意味のことを語っている。これを冥王星水瓶座時代に重ねあわせれば、自分という宗教にとり憑かれることで、神経症的な分断が社会を襲うというふうにも見ることもできる。いまの時代の不穏な空気からすれば、こうした可能性を否定はできない。

かつて権力者たちは、武力とともに暦を独占した。このふたつが、力の象徴だったわけだ。武力は空間を、暦は時間を支配する。暦はいうまでもなく天文学、すなわち星読みたちによって研究される最先端分野だった。このハイ・テクノロジーによって先を読もうとしたのである。  -続- 

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海辺の散歩者
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