レモン色の柑橘と、ユングの星座
占うという漢字は、画数こそ少ないが、複数の字の組みあわせで構成されている。つまり、会意文字ということになる。分解すれば「ト」と「口」からできていて、トは占いにあらわれたものをさし、口は神のお告げをうけとる器という意味である。
どちらも古代中国で生まれた亀卜という占いがある。読み方は「きぼく」。文字通り亀の甲羅をつかったもので、これに錐で穴をあける。そこに熱した棒を突き刺し、それで生じたひび割れなどを見て吉凶を占った。トはそのひびの形だ。
ひび割れは、まったくの偶然によって起こる。
しかし、この偶然が占いでは重要な意味をもっている。
掛け軸と河内晩柑
ふだんの生活でも、偶然の出来事になにかの気づきをえることはあるだろう。
ある日の昼すぎだった。事務所のデスクでサンドイッチを食べながら、PCのモニターで四国の道後温泉の映像を見ていた。ちょうどそのとき、従兄から電話がかかってきた。10年ぶりくらいだろうか。彼は四国の愛媛県で暮らしている。道後温泉はすぐ近くだ。偶然だなぁ、と含み笑いのようなものがこぼれた。
「なにかありましたか?」
と尋ねると、彼の家の押入れから、経典の言葉が書かれた掛け軸がでてきたという。そこに僕の亡父の落款があったらしい。落款は書道につかう印鑑のようなものだ。父は教師をしていたが、書道に凝った時期があって、おそらくそのころに書いたものだろう。
「オジさんの書かれたものなので、そちらに送ろうかと思って」
僕の父は、従兄にとって叔父にあたる。
「いやいや、なにかの事情でさしあげたものでしょう。邪魔かもしれないですけど、よかったらもっておいてください」
と、返事をした。もうすこしなにか話したそうでもあったが、結局、用件だけで電話をきった。
僕は食べかけのサンドイッチを口に放りこむと、自分でいれたコーヒーで流しこんだ。
同じ日のことである。遅い午後に知りあいが事務所にやってきて、河内晩柑というレモン色の柑橘をくれた。かなりの大きさだ。
「おもしろい形ですね」
夏蜜柑に似ているが、丸ではなく下膨れした短卵形とでもいえばいいだろうか。
「うん。愛媛県産のものだよ」
また愛媛県かぁ、と今度はちょっと奇妙な感じを覚えた。
奇妙な、というのは、めったに意識にのぼらない愛媛県ばかりが、1日に3度も重なったこともある。しかしそれ以上に、なんだか亡父の書が大きな柑橘になって返ってきたような気がしたからだ。
といっても、なんの脈絡もない出来事にちがいない。僕はそれ以上、考えることはしなかったが、見方によればなにかの暗示ととることもできる。
5月のことだった。父が亡くなった月だ。
シンクロニシティの不思議
偶然を、ひとつの技術としてもちいる占いがある。数多くの占いのなかで、かなりの割合を占めるはずだ。これをある種の託宣、つまり人を超えた存在からのお告げのようにとらえる人もいれば、馬鹿馬鹿しいと一笑にふす人もいる。しかし、多くの人は両者のグラデーションのなかにいるのではないだろうか。
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