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文章と自分のリハビリ【Long版 ①】シンデレラは、それから……

 只今、こころの充電中につき。
 一日一題、お題にそってものを書いて投稿するサイトに出したものより。

 そこは、私にとっては、note から逃避した隠れ家、です。だから、どこのサイトかは探しに来ないでください。
 だけどもしどこかで見かけたら。声をかけずにそっとしといてください。いにしえの仮面舞踏会では、仮面の下の顔は知らぬものとして、互いが手を取り、ダンスしていたように。

・◇・◇・◇・

 

 以下は、前回予告しました、《時を告げる》をお題に書いた「シンデレラ」です。
(もともとのサイトでは、段落の頭を下げずに書くのをマイルールにしてますが、note ではしっくりこなかったので、1マス下げてます)


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 ああ、なんていまわしい。時を告げる鐘!
 シンデレラはいまやすっかりみすぼらしいもとの姿にかえった自分をながめまわした。つややかな絹のドレスもなにもかも、一切合切が消失し、ただ、ガラスの靴のみが、彼女に残されていた。しかもそのガラスの靴さえも。彼女の手もとには、片方しかなかったのだ。

 せめて靴だけはとりもどしておこう、と彼女は襤褸の身をかくしながらもと来た道を戻っていった。舞踏会とはあまりにもかけ離れた身なりを、中天の満月が容赦なく照らすのにひるみながら、あの大階段へと戻っていったのである。
 するとどうだろう、階段の真ん中に、王子がいるではないか。なにかをもって立っている。目をこらさずとも、月光のおかげで、王子の手中のものがなにかきらきらするものであることは容易にみてとれた。まちがいない。階段の途中でつまずいたときに脱げた靴の片方だ。だだっ広い大階段のただなかに、ぽつねんとたちつくしながら、持ち主に見捨てられたほうのガラスの靴を手に取り、王子がしげしげとながめまわしているのだ。そして、王子は、ガラスの靴に、口付けした。まるでそれがいとしい女性の素足であるかのように、おもむろに、深く。

 たちまちシンデレラは情熱を感じた。まるで自分の肉体に王子の接吻をうけたかのように。あなたのいとしい私はここです、と名乗りでたかったが、このぼろ着。とてもさきほどのシンデレラとは理解してもらえまい。が、ふと。彼女は気がついた。真夜中の12時の鐘の残響とともに魔法は解け、きらびやかな装いもなにもかもが失われてしまった、とおもいこんでいたが。左右のガラスの靴同様、いまだ消えておらぬものがあったことを。
 それは、彼女自身であった。
 実態の無かったものは消えたが、実体の有るものは消えなかった。いや、もとより消えるはずがないのだ。

 王子はこれでも私と気がつくかしら?

 シンデレラは、目鼻立ちには自信があった。声も透き通るような美声であると、かねてより自負していた。だから、彼女は賭けにでることにした。
 シンデレラは、素足で一歩前に進み出た。もう片方の足には、ガラスの靴を履いたままで。
月明かりが、彼女のかんばせを照らした。その瞳は、青玉のようであった。

(終)


 ・◇・◇・◇・


 児童文学の「それからのシンデレラ」のような自立へと向かっていく女性をイメージしながら、「王子が迎えに来るまで待たないシンデレラ」を描いてみました。
 「それから〜」では、シンデレラは王子と離婚しますが、私は、もしシンデレラがしっかりものだったら、そのまま家に帰るんじゃなくて、資産価値のありそうなガラスの靴の片割れをひらいにもどるんじゃないか、と想像しました。
 誰もが知ってる話の意外な展開、ということで、それ以前までに書いた文章のなかでは、いちばん読者ウケがよかった実感があります。

 

 白馬の王子様ものの物語は多々ありますが、「シンデレラ」の物語がもつ唯一無二の魅力、それは、彼女が魔女の助力でまとっていたもののうち、唯一の実物であったガラスの靴が決め手になる、というところではないでしょうか。

 魔法のドレスという虚像と、ガラスの靴という実物の対比。その延長で、

 王子は、ドレスアップしたシンデレラの虚像に惚れたのか?
 ドレスに覆われた下の生身のシンデレラに惚れたのか?

 なーんて推測を、ついついしてしまいたくなります。

 それから。
 王子の元ととシンデレラの元と、左右べつべつの人の手にわたったガラスの靴は、まるで勘合貿易の勘合符のようだ、とか。
 その靴に唯一合うはずの足を探す、って、なんだか貝合せのハマグリのようだ、とか。あるいは、金属のかぶせを作るときに取る、歯と歯型の関係のようだ、とか。
 首と胴体と足とを切り離せない以上、証拠の靴に合う足を持った人があの夜の姫である、という論理をもとにシンデレラを見つけ出そうとする合理性、とか。

 虚とか実とか確かさとか唯一であることとか。
 あまりこういうことを例えとして引き合いにだすものではありませんが、まるで歯の治療痕とカルテの記録を照合してご遺体の身元を確かめていくかのようなリアリティ、それから、しらみつぶしの執念、を私は感じます。

 そんなふうな独自の魅力をふまえて、ガラスの靴に頼りきるのでなく、自分の身体がそもそも備えている特徴を証拠に王子に迫るシンデレラ、を生み出してみました。
 このシンデレラは、絹のドレスからボロ着に戻った自分の姿をあえて自らあらわすことで、「王子の愛が魔法の虚像に目がくらんだだけのものなのかどうか」も確認しようとしているのかもしれません。


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 さて。あらためて読むと、この文章は、物語というよりは梗概だなぁwww……と。なんとも硬く、ふくらみがたりないですよね。
 投稿先がポエム中心のサイトなので、スクロールが必要な長さだと最後まで読む気がしない、というのが自分の実感としてあって、短めに、短めに、と意識が働いていたのだろうと思います。また、このときは、シンデレラも王子も、棒人間が晴れ着を着ているていど、の人物造形しかもっていませんでした。
 ふくらませると長くなる、だけど、短いと梗概になる。このへんのかねあいをどうつけていくのかは、今後の課題かな、とおもいます。

 そして、そんななかに、突如として古典芸能調が出現します……どうした、自分!?

 あなたのいとしい私はここです、と名乗りでたかったが、このぼろ着。とてもさきほどのシンデレラとは理解してもらえまい。が、ふと。彼女は気がついた。真夜中の12時の鐘の残響とともに魔法は解け、きらびやかな装いもなにもかもが失われてしまった、とおもいこんでいたが。左右のガラスの靴同様、いまだ消えておらぬものがあったことを。

 文章がめっちゃうねってます。歌舞伎っぽいというか、文楽っぽいというか、気がついたときにはすでにこうなってました。夜の Eテレが伝統芸能の番組のとき、極力視聴するようにしているのですが、その影響が出たのかもしれません。

 ところで、古典芸能を視聴することは、名文、名ストーリ、名調子を一気に浴びることにほかならないです。Eテレだと字幕が出るので、慣れてなくてもなんとかついていけます。そして、字幕のおかげで、古語の知識がふえます。だから、文章修行として、私的には、大いに有効だと思っています。
 ながらスマホで聞き流すだけでも、回数を重ねると違いがでてくるとおもいます。NHKが全国民にむけて流してくれている勉強のチャンス、面白そう、とおもうひとはチャレンジしてみてくださいね(^^)

 

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 さいごに、おまけです。
 文章全体を、文体診断ロゴーンにかけてみました。

一致指数 ベスト3
  ① 寺田寅彦 72.1
  ② 江戸川乱歩 70.9
  ③ 田中美知太郎 70.6

一致指数 ワースト3
  ① 北村透谷 43.3
  ② 岡倉天心 44.7
  ③ 阿川弘之 46

 わーい (∩´∀`)∩
 一致指数1位が寺田寅彦だ〜!
 (寺田寅彦の簡素でわかり味しかないさらりとした文章は、あこがれ & お手本!)

 ちなみに、さきほどの古典芸能調の部分をかけてみたら、1位は石原莞爾 57.6、となりました。
 ほかにもいろいろな文章をかけてみましたが、一致指数が高い作家として出てくる名前はだいたい同じ。だけど、石原莞爾はでてこなかったです。分析のために参照されていた石原莞爾の文章も読んでみましたが、いかにも昔っぽいうねりのある演説調で、なるほど似てるものだなぁ、と思いました。

 この部分、やっぱり毛色の変わった文章だったんですね……。

 

 

#文章と自分のリハビリ #自己分析 #文章練習 #ひとりごと #創作 #ショートショート #シンデレラ #文体診断ロゴーン

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五百蔵ぷぷぷッこ / 140字のもの書き / Espansiva の中の人
いま、病気で家にいるので、長い記事がかけてます。 だけど、収入がありません。お金をもらえると、すこし元気になります。 健康になって仕事を始めたら、収入には困りませんが、ものを書く余裕がなくなるかと思うと、ふくざつな心境です。