大人になっても大人の味
いつからだったのだろう。カフェに入ると迷わずにブラックコーヒーを頼むようになったのは。
初めて友達とカフェに入った時、メニューをみてどぎまぎした。
カフェオレ・カフェラテ・アメリカーノ。アッサム・ダージリン・カモミール。
カタカナだらけのそのメニュー表はどれがどれだか、何が何なのかさっぱりわからなかった。
だからとりあえず一番わかりやすかった一番上のコーヒーを頼んだ。ドリップというのが何かはわからないけれどコーヒーはわかった。
「お砂糖とミルクは入れますか?」
その問いかけにはなんと答えたらいいのかわからなかったから、「結構です」と言った。
数で答えればいいのか、量で答えればいいのか、どのくらいが普通でどのくらいが甘いのか、さっぱり検討がつかなかった。
そんなふうにして頼んだコーヒーはほろ苦くって、大人の味がした。
それから月日は経って、私は大人になった。今でも飲んでいるのはブラックコーヒーばかり。カフェオレとカフェラテの違いはなんとなくわかるようになったけれど、けれどいつもブラックがいい。
自信がないから、失敗したくないから、ブラックコーヒーを無難に選ぶ。
その中でも地味に失敗はしているけれど、酸味と苦みのバランスが好みじゃないことは多々あるけれど、そのくらい自分の中で終わるからいいや、と常に安全圏に居続ける。
札幌のとあるビルのとある階にあるカフェにきた。見慣れぬ街できっともう来ないだろうカフェで。
一緒に来るはずだったあの人はドタキャンされたので一人で。
失敗を失敗と思わないで済むような条件は揃っているのに、今日も私はブラックコーヒーを頼む。それがまるで私のお気に入りであるように澄ました顔をする。
大人になっても大人になれない、そんな私の象徴がブラックコーヒー。