登校しはじめました。宿題の漢字練習のエピソード/学校をつくろう!に至るまで⑥
分散登校期間に学校側と面談し、これまでの経緯や息子の特徴をお話しし、本登校には登校しようと決めました。
登校
6月半ば。いよいよ登校し始めました。
今思い返すと、結局2週間も通っただろうか?というところでした。
学校に行ってしまえば、
「まあまあ、だいじょうぶだった〜」とか「まあねー」とか
「学校カウンセラーの先生がいるお部屋で過ごしたよ」とか
「今日はもうすごく嫌だった」とか、、
様子や状況は息子から聞くほかわかりませんでした。
連絡帳に何かコメントがあることもなかったので、それなりに過ごしているのかな、と感じていました。
宿題の工夫をしてみたら学校からの反応は...
学校に行っているあいだ、家で息子が苦しんだのは宿題でした。
何度も書く漢字練習。
もう覚えていて書ける字を、なんでこんなに書かなきゃいけないんだ!!
と、まああるあるですよね。
嫌だ嫌だ言いながらやるではなく、息子の場合はパニックに近く本当に辛いんだろうなと感じました。
細かく見れば、もうちょっと練習してもいいかも、と思う部分はあるものの、確かに書けてはいる。
でね、提案しました。「色」を使ってみてはどうかな?と。
鉛筆を持ち替える、色を使う。
そこに持ち替えるアクションと、色の選択が入ることで、ちょっと気持ちが変わって「めんどくせ〜」と、ぐだぐだな文字にならず、1文字ずつノートの最後までなんとか書くことができました。
次の日学校から帰ると
「色鉛筆は使っちゃダメって言われたー」と一言。
そうだよね、、こちらの意図も伝えなかったしな。先生ごめん。と思い、なぜ色を使ったのか連絡帳に書きました。
宿題をするのが辛いこと、色を使うことでなんとか仕上げられたこと。
・・・が、先生からその連絡帳に何か返事のコメントがくる日はありませんでした。
学校と家庭が同じ方を見て、とかさ、そういうのってどれくらい考えてもらえるのかな。
まあ、私も本気でそういう思いがあるなら、もっとアプローチしたらよかったんだろうから、お互い様か。
なんだか、虚しくもありモヤモヤもある気持ちが私にも募っていくのでした。
日に日になくなる息子の元気
日に日に、息子の元気がなくなっていきます。
行きたくない、つらい。
朝起きて、しょんぼり。
帰ってきて、もう疲れて疲れてつらい。と元気のない顔。
今振り返っても、この頃の記憶はまちまちなほど、私自身が目の前のことに一生懸命で、どう向き合ったらいいのか迷子で、辛い時期でした。
学校の近くまで送ってほしい、という日も増えて、門まで見送るようになりました。
そしてついに、私のなかで何かが動いたあの日がやってきます。
学校をつくろう!に至るまで⑦ 息子の背中を見送った日 につづく
母さん、学校つくるってよ。①〜⑤はこちらから☺︎👇