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気づけば4年と3か月~高校生編~

みなさんこんばんは。

タイトルに書いてあった”4年と3か月”って何の数字だと思いますか?

何か面白いボケを挟もうかなと思いましたが思いつかなかったのでもう正解言っちゃいます。

あの数字は私が摂食障害と向き合っている年数です。

2017年11月、私が高校2年生だった時に胃炎になったんです。

ある日突然何も食べられないほど胃がキリキリし出したんですね。食事は胃が痛すぎてほとんど取れないけど部活はゴリゴリの運動部だったので毎日放課後2時間半ハンドボールをしてました。

その状態が4日間続いてふと気づいたんです。

「あれ?痩せてる!太ももの間に隙間がある!」

体重を計ったら1週間で4キロ減ってました。

その当時、166センチだったんですけど体重は52キロでした。

今思うとこれでも十分軽いはずなんですけどその頃痩「痩せ=キレイ」という考えに苛まれていた私はもっと減らそうと思ってしまったんですね 。

でもこれが私が長いこと向き合っていかないといけない摂食障害の始まりでした。

食べずに運動すればこんなにもすぐに痩せるんだと気づいた私は胃炎が落ち着いた後ももう少し体重を落とそうと食事量を減らし続けました。

そうするとやはりスルスルと体重が落ちていくんですね。友達や先生からも「あれ?痩せたよね?」と言われるようになり、それがとても嬉しかったんです。

人よりも体重が軽いことが自分の中で大事な価値観になり、身長差など関係なく、とにかく体重を減らさないと、とにかく誰よりも痩せないとって思うようになりました。

でもその代償はとても大きかったです。毎朝晩体重を計って100グラムでも増えていると「太った。自分は醜い。痩せなきゃ。」って。そのためにどんどん食事量を減らしました。

私の家庭は母が料理を作って一人一人の食事を盛り付けるのですが、当時はは自分の決めた量でないと許せなかったので母が盛り付ける前にお皿を取り、自分でごく少量だけよそいました。

もちろん母は健康面を気にして「もっとよそいなさい」というのですが私はいうことを聞きませんでしたね。暴言を吐いたり食事を抜いたりもしました。

そしてお弁当はほとんどトイレに流していました。永遠に母には言えませんが3口程食べて捨てていました。

そして放課後は部活へ。

こんな生活を続けていると栄養不足で頭が回らなくなります。集中力はなくなるし、体力もなくなります。何もかも手につかない。勉強もはかどらない。頭の中の9割が食で支配されている。

何よりもダメージが大きかったのはメンタル面です。栄養不足だからか分からないけど精神的に不安定になって、怒りっぽくなる。すぐに涙が出る。ボーっとどこかを見つめてる。学校や部活、体型へのストレスを母に向けて発散する。それで母も耐え切れなくて泣いたり、さらにひどいと家出。私と母の間を取り持つ父。

本当に申し訳ないことをしたなと反省しています。両親もこんなことになるとは思ってなかっただろうなって。うちの家がこんなことでバラバラになるなんて思っていなかっただろうなって。

しかしこれはまだまだ序の口でした。

体重の増加がこの世で一番の恐怖だた私の体はもう食べ物を拒否する体になっていました。食べ物を見ると”恐怖”の2文字しか浮かびません。

親の前では食べないと怒られるけど体重が増えるから嫌だ。どうしたら体重を増やさずにいられるか考えた結果、私が出した答えは嘔吐

「そうだ。食べても吐いてしまえば±0だ。」

今まで自発的に吐いたことはなかったんですがいつかテレビで見た真似をして指を突っ込んでみました、そしたら吐けてしまったんです。

嘔吐を知ってしまった私は朝食を食べて登校した後に学校で嘔吐。昼食は捨てる。夕飯は食べた後に自分の部屋で嘔吐。登下校と部活、半身浴でカロリー消費。そんな生活を送るようになりました。

部屋で吐いているのばれていないと思っていたけどある日、母に

「病院行こうか」の一言。

私の内心は「あちゃ~。しまった。ばれてるやん。なんで~」て感じでしたね。

でも自分自身何もかも手つかずで授業から後れを取るのも嫌だったので心のクリニックに通院することになりました。

通い始めて思ったこと。「これ意味あんの?なんで毎回1時間話すだけやのにお金払わんとあかんの?漢方くれるけどこれで改善できるんかい」って。

まぁ続きませんでしたね。

通い始めて3か月ほどで通うのがめんどくさくなって行くの辞めました。

でも通院をやめたのと同時に少し落ち着いたんです。

まぜか食事を少しずつとれるように。

自分でもあの時少し落ち着いた原因が分かりません。でもそこから高校3年生の10月くらいまで食事量は依然少なかったですけど吐くことはなくなりました。(ちなみに体力がついて行かなくて2か月間休部しました。)

さぁ、高校3年生の10月と言えば大学受験の最後のイベントである学校祭が終わり、受験勉強に切り替えるタイミング。

やっぱりヤツはやってきましたよ。

勉強のストレスとプレッシャー

高校が県で一位の進学校ということもあって頭のいい人しかいなかったんですよ。さらに自慢じゃないですけど私のいたクラスの9割が東大、京大、一ツ橋、早稲田、慶応を目指す人で、教室の雰囲気は重く、授業のレベルと進度はもうひどかったですね。ついてこれない人には合わせてくれなかったので私は数学捨ててました。

このストレスのせいで再びあの嘔吐の生活に戻りました。プラスで時間があれば足のマッサージをしてました。一時期ふと自分の足を見たら強くマッサージしすぎて虐待を受けたかのように青あざができてたこともありました。

高校3年生の11月、気づけば体重48キロ。

周りの目が心配の目に変化するようになりました。

県大会で会った中学の恩師には「あんた大丈夫か」と。一度私にぶちぎれた体育の先生からは「体調大丈夫か。ちゃんとご飯食べてるか」。1年生の時に同じクラスだった友達には「まみさん。まみさん。足痩せたね。大丈夫?」

これら全部その人たちからしたら心配の声だったけどその頃の私にとっては何もかも褒め言葉。「目に見えてわかるくらい痩せたんだぁ」って。

それでまた母がある日、

「この先生有名な人みたいだから、今度一回会いに行こう」って。

私「誰この先生。めんどくさ」。

その先生はいくつかの番組にも出たことのある催眠療法で有名?な神戸の人だったんですけど一回の診療費用を母に聞いたら・・・・・・・・・・

いくらだと思いますか?




18万です。

18万ですよ。

もう一度言います。1回の診察費用18万です。

もうぼったくりの域でしょ。

なんでこんなに費用払って診察受けなきゃいけないのって思いましたよ。

それに診察費用だけじゃなくて他に電車代とか含めたら計20万超えますからね。

どんだけ贅沢な日帰り旅行だって感じですよ。

でも自分の中に苦しみたくないっていう気持ちと家族を困らせたくないって気持ちがあっていくことしました。

さて行った結果どうだったかというと・・・・・・・・・・・

効果なしですよ爆笑

催眠療法で音楽聞きながら先生が言う情景を思い浮かべて治療受けましたけどさっぱりなんの効果があったのか。

普通に治療後も嘔吐続きましたしね笑

言えるのは結局自分の考え次第じゃないんですかね。


その頃の私は進学に関して不安しかありませんでした。どこに行こう。合格できるかな。不安に押しつぶされそうになりながらも当時の私は自分なりに頑張っていました。担当教科の先生じゃなくても自分にとって分かりやすいと思える先生のもとに質問しに行ったり、自分の苦手な教科にフォーカスを当てて自分なりの勉強法で勉強したりと。

摂食障害で悩んでいた割に頑張ったと褒めてあげたいです。

向き合いながらなんとか大学も合格できたので良かったです。

大学入ってからの私の奮闘はまた続編へ


mami







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