教えない教え方

先日コンビニでこんな本が
目に入った



すかさずkindleで調べ購入


そこに書いてあったのは
仕事ができる人ほど指示待ち人間を作ってしまう。なぜなら全部説明したりやってしまうからとのこと

そして上司の仕事は部下の意欲を引き出す事
やらされ感は苦になる。
自分で決めた事ならやりたい。のだと



確かにそうだ。
誰かに「やらされる」ことほど
やる気が出ない事はない

自分で決めたからこそやりたい!という
意欲が湧いてくる



あるお父さんが小学生の子供に
宿題の答えを聞かれた

何度聞かれても
「教科書を読みなさい」としか
言わなかったそうだ

子供は最初は
「なんで教えてくれないんだよ」と
不貞腐れたそうだが、言われる通りに
教科書を読み出した


すると不思議、
"あれ!?答えってもしかしたらこれ?"

「お父さん、これが答えかな?」
『正解』
「😆」


よーし頑張ろう!!
という感じで次の問題も解き始めたという



こんな経験がないだろうか??
あれだけ教えてもらったのに頭に残ってる
事が何もない…
ニュアンスは覚えてるんだけど内容が
全然思い出せない….




そう。
教えることは能動的。教わる事は受動的。
記憶に残してもらうなら、部下を能動的にする必要がある。


つまり受け身の姿勢で学ぶ学びは
(何も意味がないとまでは言わないが)
あまりその人のタメにならない




教えすぎると情熱を奪う。
自分でも何事かを成し得たと言う感覚。
自己効力感→自信になる。
もっとチャレンジしようという熱意が湧く。
ところが先回りして教えてしまうと、この自己効力感を味わえないで終わってしまう。



ではどうしたらいいのか?






答えを教えるのではなく
考えさせる

考えさせるような問いを投げる


どう思う?とか
どうしよっか?とか




私はついすぐに答えを教えてしまう人間
だったから目から鱗だった



なるほど、教えない教え方かぁ










確かに私のメンターもそうだし
私が出会えて良かったと思える人は
問いを投げてくれて私に考えさせてくれる
人な気がする


答えを教えるのではなくて考えさせてくれる人だ



だからその解けた快感を感じられるし
なんかそれ故に自然にその人にも好感を
抱いている気もする




「出来るようになった快感を強めることで 
意欲を上げる」




なるほど、
これから人と関わるときは
教えるのではなく考えさせられる
問いを投げらように心がけていこう


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