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第11回の1:果たして日本にグラム・ロックはあったのか? 77年、「天才」クボタハルオを初めて観る

高木完『ロックとロールのあいだには、、、』
Text : Kan Takagi / Illustration : UJT

ビームスが発行する文芸カルチャー誌 IN THE CITY で好評だった連載が復活。ストリートから「輸入文化としてのロックンロール」を検証するロングエッセイ


リアルタイムでボウイのアルバムを買ったのは1977年になったころだった。中学3年の終わりの1月か2月。インストが多めだったが、もともと映画のサントラをよく聴いていた自分にとって、ハード・ロック一辺倒のものよりもよっぽどとっつき易くて、繰り返し聴いた。そのアルバムとは『LOW』だった。ボウイはグラム・ロックの衣装はとっくに脱ぎ去っていたのだが、アルバムとほぼ同時期に公開された映画『地球に落ちて来た男』では、宇宙人役を演じていた。だから映画のスチルでの彼のイメージは、ある意味グラムを超えた超人のようなかんじだった。

この年の4月から自分は東京は御茶ノ水の文化学院に通うようになる。そしてそこで初めてロックの先輩に出会う。

玉垣ミツルくんは僕より2歳年上だったが、文化学院には高2として、確か1977年の夏前に編入してきた。ボウイと同じような髪型で、少女漫画から出てきたようなルックス。テニスが得意で、女の子たちが放っておかない雰囲気だった。そんな彼が、僕がその学校にそぐわないパンクな格好をしていたからか、すぐ声をかけてくれた。そしてその頃はまだ東京をあまり知らない僕を、あちこち連れまわしてくれた。

逗子から通っていた僕に、玉垣くんはロックンロールのオルタナティブをどっぷり教えてくれた。ボウイの『ジギー』、ルー・リードの『トランスフォーマー』、イギー&ストゥージズにニューヨーク・ドールズ、ルージュ、ウォッカ・コリンズ。何故かT・レックスはなかった。新宿の〈ローリングストーン〉にも連れて行ってもらった。あの頃ロック喫茶はディスコよりもっとマニアックな場所、だった。

ある時そんな玉垣くんが、ライブを見に行こうと誘ってくれた。1977年の秋だったと思う。場所は六本木。〈アトリエフォンテーヌ〉。それまでライブといえば、外国から来るアーティストしか見ていなかった自分にとって、初めて見る日本人のロックバンドのライブだった。

玉垣くんは常日頃、こんな風に言っていた。
「いろんな奴と出会ってバンドやってきたけど、クボタハルオは本当の天才だよ」
滅多に人を褒めることのなかった玉垣くんが、クボタハルオのことを語るときだけ、テンションがあがるのだ。

そして、今夜はそのクボタハルオがボーカルのバンド、SLAVE(スレイブ)がライブをやる。授業を終えた僕は、玉垣くんに連れられて六本木に向かった。

「ハルオはさ、ボーカルなんだけど、ギターもめっちゃくちゃ上手いんだ」
クボタハルオが何者か、まったく見当もつかなかったが、とにかく玉垣くんに言わせたら他にいない人だということだった。

当時の『ニューミュージック・マガジン』のパンク・ロックの記事で、水上はる子が東京のライブ・ハウスに行くと可愛い女の子を連れた大貫憲章によく会うと書いてあって、そこにはこんな記述があった。

水上はる子が「大貫クン、よく会うね」と言うと、
「家でレコード聴くよりライブ・ハウスでバンドを見る方が気分なんだよ」
と彼は応えた、というような話だった。

そんな記事も読んでいたので、自分もいわゆるホールではない、狭いライブ・ハウスで見るライブもいつかは行ってみたい、と、思っていた。しかし、〈アトリエフォンテーヌ〉はライブ・ハウスというかんじではなく、今でいうイベント・スペース風なムードだった。

地下に行き、入場料を払ってチケットの半券をもらう。店内に人はそこそこ入っている。しばらく人の背中越しにステージを見ていると、見た目ごく普通の男性がステージに現れて、ステージのセンター中央に置かれたマイクで話し始めた。
「こんばんは。『ロッキング・オン』の岩谷宏です」

そこから先、彼が何を話したかまったく覚えていない。が、クボタハルオがいかに重要なアーティストであるか、というようなことを語ったのだけは覚えている。

『ロッキング・オン』といえば、その頃は『ニューミュージック・マガジン』と並んで、ロックをマニアックに聴くリスナーが読む雑誌で、中でも岩谷宏という人はデヴィッド・ボウイのことをよく書いていた。その文章も通りいっぺんの評論ではなく、「ボウイを聴く、ということは、、、」なんて内容をなにか難しく書いているかんじで、それを読んでからボウイを聴くと、リスナーとしてワンランク昇格したような気分になれた。

なので、クボタハルオのこともなんか難しいかんじで紹介していた、と思う。岩谷さんが袖に引っ込むとピアニストがまず現れ、その後クボタハルオが現れた。

バッチリメイクしている彼は、マイクスタンドに向かう。
「こんばんは。スレイブです」
そう言って、ピアニストの演奏だけにあわせて歌い出すクボタハルオ。

曲はバーブラ・ストライサンドの『追憶』のテーマ。映画はこの4年前の公開だったが、当時すでに王道のポップス曲として認知されていた。

小生意気な自分は、そのカバーのチョイスひとつで
「お、センスいいぞ」
と思った。

(つづく)


ライブ中のクボタハルオさん。本文〈アトリエフォンテーヌ〉公演より前、
76年もしくは77年に中野公会堂にて、スレイブとして。


高木完
たかぎ・かん。ミュージシャン、DJ、プロデューサー、ライター。
70年代末よりFLESH、東京ブラボーなどで活躍。
80年代には藤原ヒロシとタイニー・パンクス結成、日本初のクラブ・ミュージック・レーベル&プロダクション「MAJOR FORCE」を設立。
90年代には5枚のソロ・アルバムをリリース。
2020年より『TOKYO M.A.A.D. SPIN』(J-WAVE)で火曜深夜のナビゲイターを担当している。

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