第十一回:レコファンのない町
片岡義男『ドーナツを聴く』
Text & Photo:Yoshio Kataoka
ビームスが発行する文芸カルチャー誌 IN THE CITY で好評だった連載が復活。片岡義男が買って、撮って、考えた「ドーナツ盤(=7インチ・シングル)」との付き合いかた
レコファンがかつて町田にあった。その存在を僕が知ったのはいつ頃だったろう。一階ないしは地下に西友がある建物の、たしか六階だった。店へいくたびに、あのヴィニールの袋を二重にしてもらい、三十枚ほどの中古LPを抱えて店を出た。いつのまにか東急に移った。東急の西館だ。ここへも通った。おなじくあのヴィニール袋を二重にして、三十枚を超える中古のLPを僕は買っていた。LPを中古で買うことの出来る店舗は、町田ではほかにディスク・ユニオンがあった。ここでも買ったか。
撤退します、という話を店員から聞いて、沈んだ気持ちになったのは、いつ頃だろうか。レコファンが撤退するのだ。なくなるのだ。町田も住みにくくなる、と僕は本気で思った。オール・ジャンル、という言葉がある。すべての領域、という意味だ。中古のレコードを商品として扱う店が、言い始めた言葉ではないか。レコファンはオール・ジャンルだった。この言葉に忠実に、店にあるすべてのレコードを見ておけばよかったのに、といましきりに思う。
歌謡曲のLPが置いてあるのは、店の奥のほうだった。奥へいけばいくほど、売れ行きの鈍いレコードが置いてあったような気がする。歌謡曲は、少なくともその店では、あまり売れない商品だったのではないか。しかし僕は買った。店へ入るとまっ先に歌謡曲のLPやシングルが置いてあるところへ、直行することもあった。歌謡曲のLPをずいぶん買った。それをいったいどうするのですか、ときかれたことがある。先に東急のレコファンに寄り、そのあと、すぐ近くにある待ち合わせの喫茶店、カフェ・グレへいったからだ。昔のLPを三十枚かかえたのを見て、いったいこれをどうするのか、とその人は思ったのだろう。どうするのか、僕にもわからない。聴きはするだろう。いま書いているような短い文章の材料になることもある。それ以外はなにも思いつかない。
歌謡曲のLPやシングルが置いてある隣りに、ソノシートの簡単な造りの本が、何冊もならんでいた。ソノシートとは、ごく薄いヴィニールのシートがシングル盤とおなじ大きさで丸くあり、その片面にだけ、二曲、歌ないしは演奏の溝がきざんであり、閉じてあるのを丸く切り離し、レコード・プレーヤーにかければ、33 1/3回転で音楽を再現することが出来た。レコードよりはるかに安いし、一冊で少なくとも八曲はまとまっているのだから、便利でもあった。いっとき、かなり売れたようだ。僕は買ったことがない。新品のまま中古の市場に出て四十年近くたったものを、ある日の僕は買ってみた。写真のとおりだ。もっと沢山買っておけばよかったのに。なぜ買わなかったのか、といま思う。レコファンはずっとあるのだから、そのうち買えばいい、と思ったのではないか。レコファンはずっとはないのだ。
バッキー白片とアロハ・ハワイアンズによる『スチール・ギターは歌う』の八曲はいずれも歌謡曲だ。三百八十円だ。ビクター・ミュージック・ブックの吉永小百合のものが二冊。一九六〇年代の前半のものだろう。レコードのかわりのシートはすでに丸く切り抜かれていて、ぺージとおなじ紙のスリーヴに入っている。
おなじくビクターミュージック ブックで、和田弘とマヒナスターズのものが四冊。僕が買ったときの値段シールが貼ってある。結成十周年記念リサイタルのものが1480円で、それ以外は980円だ。
コロムビアスター特集、と名乗る『今日はこまどりです』白いシートが四枚で八曲、そのほかにこの本のために撮ったはずの写真が何点もある。もっと買うべきだった。つくづくそう思う。