コメント書き込みの際、心掛けていること

9月の初めに急に涼しくなったあたりから躁だったり、鬱だったりして気分が安定しなかった。年末年始に必ず鬱症状が現れるのだが、その予告編か?

鬱になればそもそも記事を書くのが億劫だし、躁の時は書き始めても気が逸れてしまい文章がまとまらず、最後まで行きつかない。そんな書きかけの文章が幾つかあるのだが、書こうと思ったときに仕上げないと、その時の気分まで盛り上げ直すのは結構めんどうなことで、それらが形になるのはいつになるのだろうかと思う。このところ少しだけ調子が安定してきているので、僕が他の方の記事にコメントを残す基準について書いてみる。

「コメントしている時の自分は躁の時なのかもしれない」と思うことがある。僕は本来引っ込み思案でビビりな方なので、筆者さんだけでなく不特定多数の方にも読まれる可能性のあるコメントを書くのは、かなり勇気が要る。「雰囲気読めよ」とか、「自分のことに話を持っていくなよ」などと思われるのでは、と心配になる。考え過ぎか。そんな自分がコメントを書き込むのは非常に稀である。

ただ、僕は双極性障害を患っている。躁状態の時は「自分、優秀」「俺の意見を聞いておけ」と、言ってみれば無敵状態なので、色々やらかしてしまいがちだ。そして双極性障害の患者の多くは、自分が躁状態(特に軽躁)か普通(普通ってなに?)の状態にあるのか区別できない。そもそも出来ていれば、障害では無いのだが。もちろん、自分もそんな、やらかしてしまった過去を持つ内の一人である。

「スキで伝わらない気持ちはコメントで」のままに、コメントを残すのは、筆者の方に強く共感を覚えた時と、何かお困りのような時。何か自分の知識がお役に立てないかと思う。

コメントを書き終えて送信するまで、いつも長い時間、自問自答する。『自分だったら、こうする」的なことだけを書いていないか?「俺って解決策を示して、すごいだろ」っていう気持ちは無いか。これでは単なる双極性障害の患者の戯言に過ぎない。筆者、読者にも不快感を与えるし、後から自分も情けない気持ちになる。しかし、完全に出来ている自信は全くと言ってよいほど無い。前述の通り、出来ないからこその障害である。勢いで送信ボタンをクリックしている気がしてならない。悩む。

こんな自分のような社会不適応な人間でも、少しくらいは誰かに貢献できれば、まだ生きててもいいですか?的な気持ちでコメントしているつもり。そんな気持ちは伝わらないと思うので、ここに記しておく。

ちなみにスキをつけるのにも基準がある。最後まで読んで感心させられた、興味を持ったなどのときだが、重要なのは最初から最後まで読んでいること。ざっくりとか、じっくりかは時と場合によるが、少なくとも全文読み通してから、というのは礼儀だと考えている。単なる挨拶代りでは無いことをお伝えしておく。





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