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03号編集日記 1026-1101

11月に文学フリマ東京で販売予定の「ベレー帽とカメラと引用」03号の製作・編集・進行具合などをメモした日記です。

毎週日曜日に更新する予定です。

1026

昔の「ロッキン・オン」に電気グルーヴの「UFO」評があって、小山田圭吾と記者のやり取りの話題から始まる。作り話っぽいが、面白いので04号で紹介したい。

 

某氏のビーチボーイズとコーネリアス関係の原稿が来た。この人の分はこれでほぼ終了。

 

「恋とマシンガン」に関する文章は9300字くらいになった。この原稿はこれでお終い。「FGの時代とことば」15000字も完了。

 


1027

ほぼ一年前にリリースされたソレイユの「MULTIPLIES」(YMOのカヴァー)を聴いていたら、昔のYMOの怪しげな雰囲気を思い出した。

あの何とも言い難い違和感。顔は笑わないし、誰が中心にいるのかはっきりせず、序列が分からない。子供にとっては「好き」になっていいのかどうかも不明で、世の中を二分する「悪者」「いい者」という判別基準とずれている存在。

 

Spotifyで何度も聴いているうちに「MULTIPLIES」から、いつの間にかソレイユの別の曲になって「アズテックなカメラで モノクロームなセットで 写してね 素敵にね」というフレーズが流れてきた。「カメラ・トーク」好きとしてはピクッとなってしまう。

 

 noteの画面の左にカテゴリーのバーが出るようになった。「くらし」「まなび」「しごと」……、とあって、一番下の「カルチャー」の下から二番目が「音楽」。ビリは「デザイン」になっている。

 

 

 1028

  「僕ら」「僕たち」に関する文章は、あれこれ理屈をこねる訳ではなく、単に「こういうのがありましたよ」という報告のようなものなので、書いていて気が楽でいい。

ちょっと面白いことを発見した。

①1stの宣伝用資料の曲目解説での一人称(複数)には揺らぎがあって、何人かの書き手が混じっているらしく見える。

②「パステルズ・バッヂ」だけ明らかに行分けが違っている。

 

原稿がほぼ書けたので、目次から順に実際の本のレイアウトおよび校正を同時に進める。文字の詰め方や組み方が思うようにいかないと腹立たしいが、ついでに少しずつ文章を直す喜びの方が大きい。

少し手を入れたり、ほんの少し削ることによって「文章が良くなった!」という快感は労力に比べてたいへん大きい。比率で言うと労力1:快感100くらい。

 

文学フリマで小説や短歌の本を作って売る人たちは「小沢健二の歌詞はけっこう好き!」という風にはならないのだろうか。

 


1029

ほぼ何もできなかった。転勤になって遠くへ行ったばかりの某さんが、またもや転勤になるそう。

 


1030

「普通の人の音楽遍歴」は某さんの千葉県ローカルの話題が良いので、なるべくそのまま掲載したい。

 

山崎まどか「オリーブの罠」を読む。回想+「オリーブ」に連載されていた掌編小説集「東京プリンセス」の二本立てで、前半の回想では先輩との関係がこじれてクラスメイトに糾弾されるのが良い(妙に周囲が演技っぽく、わざとらしさを感じるあたり)。後者は1stの世界を理想的な日本に置き換えたよう。

中森明夫の「東京トンガリキッズ」→「FAKE」の「東京フニャモラキッズ」→「東京プリンセス」と、自分の中では三部作として読める。深沢七郎の「東京のプリンスたち」もあるけれども。

金井美恵子の目白四部作の話題がサラッと出てきた。「ヘッド博士」と同時代の作品として重要なのは「サルまん」と、さらに先行する「文章教室」だと考えていたのでとても嬉しい。

 

酒井順子「オリーブ少女ライフ」も読む。

 

 

1031

「ドゥーワッチャライク」を読み直していてフィリップ・ロスの「素晴らしいアメリカ野球」の冒頭のパロディ風の回を見つけた。と同時に、自分もこの小説と「スライド」の歌詞を結びつけて何か書いたような記憶が急によみがえった。

その頃から音韻論に興味があったのかと思うと、さらにその前のいつ頃からそれを知っていたのかわからなくなってくる。「ドゥーワッチャライク」のガイドはほぼ書けた。

 


1101

とうとう11月になった。まだ雑誌記事ベスト5が残っている。「ときどきポカをする王子様」は04号にまわすことにする。


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