「プラナリア」(山本文緒著)に見る現在社会の自立の難しさ
この本は先日お亡くなりになられた山本文緒さんの作品でこの作品で山本さんは2001年に同書で芥川賞を受賞されている。本書では「無職」の女性にスポットに当てられて書かれている。乳癌サバイバーの24歳の春香、36歳バツイチの元バリキャリの和泉、高校生と大学生がいる専業主婦、彼氏はいるが浮気しまくっている25歳の女性、風来坊のように男を渡り歩くスミエ。だが初めから3番目までの3人は挫折を乗り越えられず未だ踠いており、後者の2人は自立、自律に向かって歩いている、様に私には見える。
自立、自律とは何か。とても難しく奥深い問いの様に私には思える。と同時にそれが人生の目標であったかの様にも今となっては思えるのだ。ただただ自分の食いぶちを稼ぐのは自立にとって必要条件だが十分条件でない様な気がする。
私自身、癌になって長い闘病生活を送り今まで立っていた地面がグラグラと壊れていくのを感じたからだ。病や人間関係のちょっとした決裂を恐れての依存関係で成り立っているのが嫌と言うほど分かった。それは癌闘病より辛い戦いだったかもしれない。昔、大塚寧々と結婚されていた三台目魚武濱田成夫という詩人が大好きだったのだが彼は自分の中にビルを建てろ、その材料は借り物でなく自分で作れ、と言っておられた。時を経て今闘病を終えて思うのは借り物の材料で作った自分の人生だからこんな簡単にぐらつくんだと感じたものだ。
病やトラブルによる挫折で辛いのはそれまでの自分の自立は借り物である、と知った時なのだ。
勇気づけについて
アドラー心理学で「勇気づけ」という言葉がよく出てくる。自分が教育に必要なのはこの勇気づけだけがほとんどではないかと思う。教育は子供の個性を理解し、そっと寄り添ってあげる、勇気づける言葉をかけることだけだからである。
では周りから勇気づけられる立場で亡くなった大人達はどこで勇気づけを得るのか。そのヒントがこの本にはあるように思えた。
36歳のバツイチの和泉は離婚によって社会的地位も失い、慰謝料で買ったマンションで
毎日ダラダラと過ごしている。そんな彼女が一瞬変わるきっかけになるように見えたのが「チビケンとのセックス」だった。元々は相手にもしてなかったチビケンという外部を受け入れた事により彼女の生活の中に少し火が灯った様に見える。
高校生と大学生がいてコンビニで働く主婦は店長のハマーにホテルに誘われて拒絶した瞬間彼女の中に力が灯った気がする。女性として見られた事、そしてその誘いをキッパリと断れた事。それが不思議な事に彼女に勇気を与える結果となっている。
「チビケンとのセックス」「ハマーからの情事の誘い」これらが結果的に彼女達を勇気づけたとするのは言い過ぎだろうか。これらは全て偶然的要素である。だが生物的進化が偶然によって起こると同じ様に癒しや勇気づけも偶然に起こる。
その偶然が降りてくるまで時には待っても良いのではないのだろうか。
何故ならその勇気づけは自分と遠い所から差し伸べられる事が多い。私が癌罹患していた時に友人達が手を差し伸ばしてくれたが遠くから最後まで手紙やメッセージや国際便での贈り物をくれたのはフィンランドの友人だった。この本で言えば「プラナリア」では入院中に遠くに見かけた永瀬さんという美人であり、ネイキッドでは近しい間柄でもなかったチビケンの存在がそれにあたる。
家族や長年の友人は時として残酷であり、関係性によっては足枷にもなる。それを山本文緒さんは自覚的であったのではないか。「プラナリア」や「ネイキッド」を見ても分かるのではないか。「プラナリア」の春香の彼氏豹介はホルモン治療を残している春香に対し「癌は治ったのだからルンちゃんは癌患者じゃないのでいつまでも甘えるな」とそれはそれは自分がそばにいたら殴ってしまいそうな酷い言葉を放つ。「ネイキッド」の和泉は親友明日香に対し「友達は親切で残酷なもんだな」と思う。
自立とは免疫かもしれない
免疫とは自己と非自己を分ける事である。人間は他者と共生しないと生きられない。と同時に他者を異物として分別化できずに境界線を引かないと病気になってしまう。それを絶妙にバランスをとって成り立たせているのが免疫なのである。それは心と体の関係にも言える。
特に心の面での免疫が崩れそうに感じたなら「誰かに頼る」事も大切だが同時に「誰かとの関係を断ち切る」事も考えて欲しいのだ。ここからは私個人の叫びだがやはり「プラナリア」の春香は顔サバイバーとして理解できる部分もあるが同時にイライラもする。何故なら彼女は友達、家族、彼氏の繋がりに依存しすぎておりそこから逃れられない。せっかくできた大人素敵女子の永瀬さんとの関係性も断ち切ってしまう。それよりは「ネイキッド」の和泉の在り方の方がよっぽど好感が持てる。
セックスも恋愛は免疫の状態が良好でないと出来ない。割と勘違いされがちだが体力と免疫力は全く違う。だから恋愛と癌闘病は相性が悪いんだ、というのが私の見解だがこの前あいの里というNetflixの恋愛バラエティ番組に出ていたタミフルという女性が癌サバイバーが癌治療中も合コンへ行っていたみたいなことを言ってびっくらこいた。彼女の漫画を見たのだがこれは男女の性の違いもあるんだろうなと少し思い直しはしたものの基本的には自立や免疫がしっかりしていない所に恋愛やセックスは難しいのではといいのが現時点の持論ではある。