週刊少年豊島将之

豊島竜王叡王と藤井王位棋聖の王位戦、叡王戦の合わせて十二番勝負が始まった。

これを書いている7/4現在、藤井二冠の通算成績は通算成績は224勝43敗という驚異的な数字だがそのうちの7敗が対豊島竜王となっており、今回の番勝負でもそこを大きくフィーチャーされている。その際には対戦成績から豊島竜王は「藤井キラー」「天敵」「刺客」「ラスボス」と紹介されることが多いのだが、どうも最初から敵として配置されているゲームのNPCのように感じる。将棋に限らず圧倒的スターがいる分野では大体このような感じになるのは重々承知だがファンとしては少々寂しい。※念のため言うとこれはワイドショーを見たときに思った一個人のただの感想で、「豊島竜王のことも報道しろ!」という気は更々ないです。
それでは豊島竜王とはどんな人物か?というと「負けず嫌いで強くなることに貪欲」という部分がブチ抜けているものの、それ以外は物静かな青年というのが一ファンから見た印象だ。そんな豊島竜王だが実はこれまで送ってきた棋士人生がめちゃくちゃ面白い。棋士人生で1度起こるか起こらないかの出来事の連続で、まるで少年漫画のようなのだ。電王戦、6者プレーオフ、叡王戦9番勝負…特に電王戦は先日放送の『世にも奇妙な物語』を始めとしていろいろな作品の題材にもなっており、フィクション映えするテーマだといえる。これが知られないのは実に惜しい。
そんなわけで私が漫画にするならこのシーンは入れたいな…と思う出来事を紹介していきたい。(私は単なる漫画好きで漫画描きではないです)
この記事は主に「藤井くんの将棋がやってるらしいので見てみようかな」というような方に向けての豊島竜王紹介記事です。あまり文章を書くのが得意ではないので読みにくいところがあったらすみません。

※だらだらこの記事を書いている間に勝又六段が豊島竜王について書いてくれました!!プロが書いた話を読んでください!!!

プロ入り前

豊島竜王が将棋を始めたきっかけは「4歳の時にテレビで放送されていた羽生世代の特集番組を見て将棋に興味を持った」そうだ。1990年生まれの豊島竜王が4歳のころ――1994年は羽生善治七冠誕生前夜の年であった。
ネタバレになるがこの24歳の羽生六冠を始めとするテレビの中の将棋指したちによって将棋の道に導かれた小さな男の子は、20年後に羽生四冠に挑戦する24歳の豊島七段となってタイトル戦に登場することになります。

幼少期の逸話として将棋道場で将棋を指す大人たちの対局を1時間経ってもじっと見ている豊島少年に並々ならぬものを感じた指導棋士の土井春左右先生が「この子は将棋に向いています」と将棋を続けることを勧めたという。この集中力は現在にも繋がるところがあり、ある対局では1手指すのに「考えているうちに気持ちよくなってきて」3時間程かかったことがある程だ。

こうして将棋を始めた豊島少年はめきめきと強くなり8歳にして大阪ではちょっとした有名な将棋少年になり、史上最年少の9歳(小学校3年)で将棋のプロ養成機関である奨励会に入会する。
・恐るべき天才少年:https://book.mynavi.jp/shogi/detail/id=92393

奨励会に入会するためにはプロ棋士の「師匠」が必要であり、豊島少年は土井先生からの紹介で桐山清澄九段の元に弟子入りした。桐山九段は2021年現在現役最年長の棋士だ。プロ棋士の引退規定については長くなるので詳しくはwikiを参照してもらいたいのだが、桐山九段が名人を目指す順位戦を最後に戦った時に名人位を保持していたのが弟子である豊島名人であり、現在桐山九段が参加することができる唯一の棋戦である竜王戦で竜王位に就いているのが豊島竜王だ。ファンとしては桐山九段が現役でいる限り竜王位を保持し続けて欲しいなと密に願っている。

さて少年漫画に必要なものといえば夢を共に追いかける""戦友(とも)""ですよね!奨励会で豊島少年は現在まで続く同世代のライバルたちに出会う。以下、学年/奨励会入会/プロデビュー時期が近い棋士を表にまとめた。(個人的に棋士はプロデビュー時期よりも奨励会入会時期の方がより「同期」と感じているように思う)

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1987〜1992年生まれは羽生七冠誕生による将棋ブームの中で子供時代を過ごした世代なのだが、1990年生まれのプロ棋士が豊島竜王しかいないのは意外な結果だ。(都成七段も1990年生まれだが、1月生まれのため学年は1つ上になる) 特に現在に至るまで豊島少年がバチボコに戦っているのが色セルの棋士で、2020年のニコニコ生放送の大晦日特番ではこのライバル関係に焦点を当てた番組が放送されている。

このライバルたちがまた濃い。いずれも強烈な個性の持ち主なので気になったら検索して調べていただきたい。

渡辺明四段から藤井聡太四段誕生までの16年間で中学生棋士誕生の期待がかかった棋士は数名おり、豊島少年もその中の1人であった。中学2年で三段に昇段するものの、三段リーグに5期(2年半)費やし、プロ棋士としてデビューしたのは高校2年生の春のことだった。
第39回三段リーグ最終日を13勝3敗で迎え、昇段の可能性を残していた豊島三段は1局目で12勝4敗で同じく昇段の可能性がある佐藤天彦三段と対局することになった。この「佐藤天彦」三段の名前は後々も出てくるのでアンダーラインを引いておきたい。この対局は天彦三段が勝ち、午後の対局は二人とも勝ってお互い14勝4敗で並んだのだが、前期の結果により順位が上位だった天彦三段が四段に昇段し、豊島三段はもう1期三段リーグを戦うことになった。
実は天彦三段はこれより前にフリークラスでのプロ入りの権利を得ている。フリークラス入りとは名人を目指す順位戦には参加できないがプロ棋士になれる制度で、順位戦にも規定の成績を満たすことによって参加可能になる。
・詳細:順位戦について|名人戦|棋戦|日本将棋連盟
天彦三段は師匠の中田功八段の「強い若手がいる三段リーグで揉まれた方がいいのではないか」という助言を受けてフリークラス入りの権利を蹴って三段リーグに舞い戻ってきた。三段リーグはいろんな棋士が「二度とやりたくない」と言うほど過酷な世界である。フリークラス入りの権利を得ながらも再度三段リーグで戦うことを選択した棋士は現在までに天彦三段ただ1人だけだ。
豊島三段はこの次の期で14勝4敗の成績でプロ入りを果たした。棋士番号は「263 佐藤天彦」「264 豊島将之」と並んでいる。

初めてのタイトル挑戦

プロ4年目の2010年、豊島五段は羽生名人・佐藤康光九段・深浦九段・森内九段・渡辺竜王・三浦八段という錚々たる顔ぶれが揃った王将リーグで優勝し、久保王将への挑戦権を得る。こうして初めてのタイトル挑戦となった王将戦第1局の開催地がすごい。徳島県は大塚国際美術館・システィーナ礼拝堂を再現したシスティーナホールでの公開対局である。以下の記事に当時の写真がいくつか掲載されている。

記事内にもあるがこの第1局は久保王将が貫録を見せる形で豊島六段に先勝する。この対局の翌日にジュニア将棋大会があり、子供たちに向けてこんな言葉を述べた。

漫画だったら見開き2ページ使って描きたいね。
この言葉は2015年に発売された『3月のライオン』11巻の発売記念企画でのポスターでも引用されている。
「3月のライオン」11巻発売記念 3月のライオン×11人の棋士

今後同じような経験をする棋士がいてほしくない、という意味では震災直後の2011年3月14、15日に神奈川県は陣屋で第6局を戦っている。11日に東京で対局、12日に神奈川県内へ移動し13~15日に王将戦の検分・対局という日程だ。棋譜中継には当時の計画停電に備える様子や余震について綴られており、ある意味将棋史的な資料ではないかと思っている。
残念ながらこの対局に敗れて初タイトル獲得とはならなかったが、終局後に以下のようなコメントを残している。

敗者の豊島六段は、七番勝負を振り返って、中盤のよくわからないところで差をつけられることが多かった、と語っていた。久保王将の印象を聞かれると、「すごい強かったです」。あどけなさが残る顔で、さわやかに笑っていた。
――2011年3月15日・第60期王将戦第6局103手目棋譜コメントより

何とも微笑ましいコメントだがこれから訪れる苦難の道のりを思うと非常にフックが効いてくる。初めてタイトルを獲得するのはこの7年後だ。

公共放送でネタになる

これは巻き込まれ事故ではあるのだが。2012年4月3日放送のNHK杯将棋トーナメントで事件は起こった。NHK杯では対局前に対局者からの意気込みをVTRで紹介するのだが対局相手である佐藤紳哉六段の様子がおかしい。

――豊島六段の印象はいかがですか?
「豊島?強いよね。序盤中盤終盤、隙がないと思うよ。だけど、俺は負けないよ」
――本局への抱負をお願いします。
「こまたっ…駒たちが躍動する俺の将棋を皆さんに見せたいね」

なおこの対局は豊島六段が勝った。後に自身のコラムで佐藤紳六段が事前に断りを入れに挨拶にきたことなどにも触れ「いつカツラを外すんだろうと思ってドキドキしていた」ことを明かしている。あれから9年経ったが「序盤、中盤、終盤、隙がない」は豊島竜王のキャチフレーズとして定着し、今でも使われている。
ちなみに豊島竜王自身もこのネタを使ったことがある。

豊島七段「(屋敷九段は)攻守のバランスが非常に良くて…どっかで聞いたことがあるフレーズなんですけど、序盤中盤終盤隙がない将棋、というイメージがあります」
豊島七段「大石さんの方は非常に攻め将棋で…駒が躍動しているような将棋、というような感じがします」
――2014年2月23日放送のNHK杯・屋敷九段-大石六段戦の解説にて

日常・修行回

少年漫画の序盤に欠かせないのが修行回や日常回。最近では人付き合いのない印象を持たれがちだが、実は若手時代にめちゃくちゃ青春をしている。
・若手棋士数名とマンションの一室を借り、1か月間将棋漬け生活
この話はちょうどAbemaTVの王位戦中継(7/14)内の解説中に宮本五段が話していた。豊島竜王が高校生の頃の話で、その他の参加メンバーは糸谷八段、稲葉八段、宮本五段の3人。朝から晩まで将棋を指し、ご飯もみんなで自炊して1か月過ごしたという。気の合う仲間と夢に向かって切磋琢磨する1か月の共同生活、あまりにも眩しい青春で目が焼き切れる。
・高野山での将棋合宿
お寺での修行は漫画以外でも存在した。関西の先輩棋士である久保九段を中心に行われていた高野山合宿に参加していた時期もある。詳細なエピソードを見聞きしたわけではないが、たまに修行の痕跡を見かけると「これが噂に聞いたあの高野山合宿…」と感慨深い気持ちになる。


・普及活動を目的とした若手棋士サークルでの活動
将棋イベントはいくつかあるが、中には棋士が中心になって企画・運営をしているものもある。現在東西に普及活動を目的とした若手棋士サークルがあり、東は「東竜門」西は「西遊棋」という名前で活動している。2013年に糸谷八段が中心となって立ち上げ、その最初期メンバーとして「西遊棋」と命名したのが豊島竜王である。地元・一宮でのイベント開催に奔走した日々も青春が眩しい。

電王戦、車将棋そして叡王戦

電王戦はドワンゴが主催したプロ棋士VS将棋AIソフトとのマッチメイクだ。今でこそ「将棋ソフトはプロ棋士よりはるかに強いもの」という風潮があるが、2012〜2015年頃にはまだ「人間の方が強いのではないか」という空気もあった頃だ。2013年、自分の棋力があまり伸びていないと感じていた豊島七段は棋力向上のきっかけにできればと第3回電王戦への参加を決める。人間側の0勝2敗で迎えた第3局、豊島七段はあべのハルカスで将棋ソフト「YSS」と対決することになった。この対局は船江五段が観戦記を担当し、非常にエモい情景が書かれている。

部屋に入ると昼の対局室はとても静寂で、不思議な感じを味わった。
それはまるでSF映画の世界に入り込んだかのような感覚だった。豊島の体はあまりにも華奢で、私には少年のように見え、街の喧騒とは無縁の天空で少年とロボットが対峙しているかのように思えた。
――第3回 将棋電王戦 第3局(筆者・船江恒平 将棋棋士五段)

まさにフィクションのような世界。少年(といっても当時23歳だが)は天空の城でAI相手に見事な勝利を収めたわけだが、これには後に続く一文がある。

劇画の世界では天才という二文字で完結されてしまうであろう少年の勝利は、現実世界では豊島の想像を絶するほどの準備と棋士としての日々の積み重ねから生まれようとしている。
――第3回 将棋電王戦 第3局(筆者・船江恒平 将棋棋士五段)

今読むと現在までに繋がる一文だなと感じる。この対局のために1000局近くの練習対局をこなすという途方もない努力が結実した一方で「事前研究披露会にすぎないのではないか」との意見もあり、人とAIの戦いについて一石を投じることになった。電王戦はこの後も人とAIの歩み方について様々な問いを提示しつつ、形を変えながらも2017年まで開催された。終了後は電王戦でソフトと戦う棋士代表を決めるために行われた「叡王戦」が8つめのタイトル戦に昇格した。
ドワンゴ主催として最後となった第5期叡王戦(2020年)は永瀬拓矢叡王に豊島竜王名人が挑戦するシリーズになった。永瀬叡王もまた電王戦でソフトと戦い勝利を収めており、電王戦サバイバーである2人の戦いで終わるというなかなかよくできた構図だ。ここまでは。
7番勝負が1千日手2持将棋(千日手も持将棋も勝敗の決着がつく見込みがなく、再度対局をやり直すというルール)の9番勝負になったことについては現実がやりすぎだと思った。持ち時間1時間のタイトル戦が行われたのも第5期叡王戦だけなので色んな意味でレアな対局を経験した貴重な棋士となった。

話は戻るが電王戦で勝利した豊島七段は翌年車将棋の対局者として選出される。対局相手は時の名人・羽生善治名人だ。車将棋とはその名の通り自動車を駒に見立てて将棋を指すというものでトヨタの全面協力の元、西武ドーム(現メットライフドーム)を貸し切って行われた大掛かりすぎる将棋だ。『かっとばせ!キヨハラくん』にそんな話があったとしてもわりと違和感がないと思う。こちらは1時間にまとめられたドキュメンタリーがあり、面白いので興味があったら是非見てもらいたい。
将棋界とトヨタの関わりはこれ以降は把握していないのだが、何せ愛知には藤井二冠がいるのでワンチャン車将棋再び!とならないかなあとちょっと思っている。

ターニングポイント

個人的にこのあたりは「漫画みたい〜!キャッキャッ!」というようなことはないのだが(というか個人的にしんどくてできない)、豊島将之という棋士を語る上で欠かせないことなので触れておく。
電王戦のPV
で話していた「(電王戦が)ターニングポイントになってほしいですね」という言葉の通り、電王戦参戦が棋士人生の大きな転換期となった。それまで人と行っていた研究会をすべて辞め、それまで頻繁に訪れていた関西将棋会館での控室へも現れなくなり、将棋ソフトとの研究1本に切り替えたのである。2021年の今でもここまでソフトに偏った研究をしている棋士は珍しいのだから、今ほど棋士間に将棋ソフトによる研究が普及していない2015年ごろは殊更だろう。「将棋ソフトを使った研究」というと「ソフトに考えさせた手を指しているだけ」と思われるかもしれないが、実戦的な強さに結び付けることは「砂漠でダイヤを探すような感覚(佐藤紳七段)」だという。また使い方によっては自身の持っていた「読みの力」を落としかねない諸刃の刃でもある。
(参考:藤井聡太二冠に6勝1敗…「豊島将之竜王、さらに強くなった」理由を佐藤紳哉七段、中村太地七段と考えた【王位戦も展望】

それまで培ってきた20年間を大きく変えてでもこの誰もやっていない、強くなるかどうか定かではない方法に「より強くなれるかもしれない」と人生の中で最も気力・体力が充実しているであろう20代から30代の間の貴重な数年間を賭けた。勝負師である。
個人の感想で恐縮だが後々のインタビューをいくつか読むと「自身が棋士として活躍できる時間」をかなり意識しているように感じ、限られた時間だからこそ全力を注ぎ込もうということなんだろうかと思った。

将棋ソフトとの研究一本に切り替えてからの主な戦績は以下。

2014年 王座挑戦(3-2で羽生王座に敗退)
2015年 棋聖挑戦(3-1で羽生棋聖に敗退)、王座戦挑決敗退
2016年 王位戦挑決敗退、JT杯優勝(棋戦初優勝)、順位戦A級へ昇級

これだけ見ると十分に活躍している若手の1人に見えるが、後に初タイトルを獲得した際に「25歳(2015年)から今までずっとつらかった」と話している。ソフト研究を含めて、この頃の話を最近のインタビューで本人が話していたので読んでもらいたい。

※インタビューを担当したのが小説家の白鳥士郎氏のため、インタビュー外での脚色がやや強いです

この頃の光明は順位戦でA級に昇級したことと、JT杯日本シリーズで自身初の棋戦優勝を遂げたことだろうか。

3月の豊島

2017年の豊島八段の上半期はタイトル戦の挑戦権に絡むことはなかったものの夏から秋にかけては怒涛の12連勝を記録する。秋には連勝は止まったものの王将リーグ優勝で久保王将への挑戦権を獲得し、2年ぶりのタイトル挑戦を決める。この頃にはA級順位戦を無傷の6連勝しており「今年の名人挑戦は豊島八段が大本命だろう」という雰囲気と初タイトル獲得への期待が大きくあった。
王将戦の前哨戦も兼ねることになったA級順位戦久保王将戦では振り飛車を採用し将棋ファンを驚かせた。インパクトとしては右ピッチャーが急に左で投げてきた感じだろうか。この対局には敗れたが王将戦第1局でも同じ戦法を採用し、そこでは快勝している。「自分の良さが出ると思った」と採用した相振り飛車だが、振り飛車の指し回しについては久保王将に一朝一夕の夕があったのだろう。続く第2局、第3局を落とし、A級順位戦では最終戦の1つ前の10回戦・三浦九段戦で苦しい形勢を逆転して勝勢まで持ち込んだものの、最後の最後秒読みの中で頓死(自玉が詰まなかった局面で指し手を間違えて詰まされること=負け)してしまい、名人挑戦へ向けては痛い敗戦となった。
この結果、最終戦の結果次第では6人が勝ち数で並び前代未聞の最大6者プレーオフになる可能性が生じた。とはいえ何人もの勝敗が関わるので実際実現するかは…――――それが実現したのである
ここまでちょうどいい感じに漫画にできそうな棋歴を歩んできた豊島八段だがこれはさすがに現実がやりすぎていると思った(2回目)。

第76期名人戦・A級順位戦

(引用元:https://www.shogi.or.jp/match/junni/2017/76a/index.html

引用する画像の都合上、ネタバレになってしまうが…6人でのプレーオフはパラマス式トーナメントで行われることになった。「順位戦」はその名の通り各棋士に前年度の成績順に順位がつけられる。この時のA級順位戦でいうと前年度名人に挑戦した稲葉八段が1位、B1から上がってきたばかりの豊島八段が10位である。この順位によってトーナメントの組み合わせが決まるため、名人挑戦のためには1位の稲葉八段は1局、10位でプレーオフ参加者の中でも最下位であった豊島八段は6局戦わなければならない。そして名人戦は4月上旬に行われるため3月中にはこのトーナメントを終えて挑戦者を決める必要がある。つまり豊島八段が名人挑戦するためには3月中に順位戦を6局指さなければならなくなった。また同時並行で王将戦が行われているため、久保王将と豊島八段はとんでもないスケジュールで3月を戦うことになった。
以下は実際の豊島八段の2018年3月の対局カレンダーである。

画像3

3/2、3/4、3/6-7は全て久保豊島のカードだ。
将棋の対局は週1回のペースで月4~5回あるようだと「対局が多いな」と感じる。このように中1日ペースで対局が組まれるのはものすごくハードなスケジュールで、中でも順位戦が9局中5局というのが凄まじい。順位戦は1日制の対局の中でも最も持ち時間が長い6時間で行われ、最上位のA級では朝の10時から対局を開始して決着が着くころには日付が越えていることもよくあり、人によっては1回の対局で2~3㎏痩せるくらい消耗するという。以下は実際の終局時刻と感想戦が終わった時刻だ。

3/2広瀬八段戦:終局時刻22時18分/感想戦23時5分に終了
3/4久保王将戦:終局時刻0時37分/感想戦1時3分に終了
3/10佐藤康九段戦:終局時刻23時54分/感想戦0時20分頃に終了
3/12広瀬八段戦:終局時刻23時30分/感想戦0時9分に終了
3/18羽生竜王戦:終局時刻22時59分/感想戦23時44分に終了

2018年3月

(写真は当時のニコニコ生放送のスクリーンショットより)
佐藤康光九段は和服で対局に挑んだ。どのような気持ちで和服を選択したのかは本人のみぞ知るところ。非常に情熱的な棋士なので名人位への熱い思いの表れにも思うし、どんなに過酷な道でも進むしかない対局者に対して「よろしい、ならば全力で叩き潰そう」という最大限の敬意を表しているにも思えた。相手が死に物狂いで勝ちにきたらこちらも死に物狂いで負かしてやろうと全力を尽くすのが漢・佐藤康光。

順位戦プレーオフの中継で三浦九段が解説中にふとこんな言葉を漏らした。
「もしも、もしもですよ。王将のタイトルも獲れず、名人にも挑戦できないというようなことになったら豊島さん、壊れてしまうかもしれない…」
ファンが一瞬考えてしまうようなことを長年トップ層でバリバリに戦っている三浦九段ですら心配になるような状況なのか、と当時思ったことを覚えている。
結果としては王将戦は第6局・久保王将の防衛で終わり、順位戦プレーオフは4回戦で羽生竜王に敗れ第76期名人戦の挑戦権は羽生竜王が得た。

将棋界を舞台とした漫画『3月のライオン』のタイトルの由来には諸説あるが、この漫画の棋譜監修を担当する先崎九段がコミックス2巻のコラムにて「順位戦の昇級または降級をかけた最終局を戦う3月は棋士がライオンになる。だから『3月のライオン』なのではないか」と推察していた。
誰が言いただしたのか定かではないが、獅子奮迅の活躍で駆け抜けた豊島八段の2018年3月をファンの間ではいつしか「3月の豊島」と呼ぶようになった。後に第3回AbemaTV将棋トーナメントでチームメイトになった佐々木勇気七段がチーム名を決める際に「”3月の豊島”って呼ばれてる時があってすごいカッコいいなと思ったんですよ」と語っている。

初タイトルへ

ファンの心配をよそにプレーオフ終了後の対局を2連勝し2017年度を終えた。翌月には棋聖戦挑戦者決定トーナメントを勝ち上がり羽生棋聖への挑戦権を得て、更にその翌月には王位リーグを優勝し菅井王位への挑戦権を獲得するタフネスぶりを見せた。ここだけ書くとサイボーグのようだが、プレーオフ最終戦の羽生竜王戦後にファンからもらった手紙を読んだりなどして気持ちを切り替えることができたという。それはもう「デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム」の構図なのよ…。
羽生棋聖へ三度目の挑戦となった棋聖戦は2勝2敗でフルセットまで縺れ込んだ末、第5局で勝利を収め見事念願の初タイトルを獲得した。この豊島棋聖の誕生で何が起こったかというと、羽生善治竜王/佐藤天彦名人/高見泰地叡王/菅井竜也王位/中村太地王座/渡辺明棋王/久保利明王将/豊島将之棋聖という、31年ぶりに八大タイトルを8人で分け合う群雄割拠の時代に突入したのである。
棋聖戦と同時並行で行っていた王位戦はどうかというと菅井王位を相手にこちらもフルセットの大激戦となった。菅井王位は同じ関西所属の棋士で、最近はスマートな若手棋士が多い中で昭和の将棋の指しを思わせるような面を持つ非常に魅力的な棋士の1人だ。豊島棋聖が少年サンデーだったら菅井王位はコロコロコミック。二人のエモい話などもあるが割愛。
終局後に喉がカラカラで声が発せない(菅井王位)ほどの熱闘もあったこの王位戦は、最後の第7局で豊島棋聖が菅井王位を下し王位を奪取した。
3月の激闘から半年が経ち、豊島八段は豊島王位・棋聖の二冠保持者に変化を遂げていた。

名人挑戦

2018年度のA級順位戦は最終日まで名人挑戦者が決まらず、7勝1敗の豊島二冠、6勝2敗の羽生九段、広瀬竜王が挑戦の可能性を残していた。豊島二冠は勝てば名人挑戦、負ければま~~たプレーオフという状況で久保九段との戦いに挑んだ。この対局はこの日行われた5局の中で最も遅い0時24分に終局し、豊島二冠は佐藤天彦名人への挑戦権を得た。

三段リーグの項から長らく天彦名人の名前は出ていなかったが、実はあれからいくつもの大勝負で顔を合わせている。

2011年 新人王戦決勝三番勝負 〇 豊島六段ー佐藤天六段 ●
2011年 新人王戦決勝三番勝負 ● 豊島六段ー佐藤天六段 〇
2011年 新人王戦決勝三番勝負 ● 豊島六段ー佐藤天六段 〇
2015年 棋聖戦挑戦者決定戦 〇 豊島七段ー佐藤天八段 ●
2015年 王座戦挑戦者決定戦 ● 豊島七段ー佐藤天八段 〇
2016年 JT杯日本シリーズ決勝戦 〇 豊島七段ー佐藤天名人 ●

新人王戦の決勝三番勝負のカードが名人戦で再現するのは羽生森内戦以来だという。将棋界のライバル関係というと升田大山やそれこそ羽生森内などいろいろある。豊島天彦に私が思うのは「将棋が好きというただ1点で交わっている真逆の二人」である。棋風も攻め将棋で勝つためには変化を厭わない豊島二冠と受け将棋で自分の美学・思想を大事にし、それに則った強さを模索する天彦名人と大きく異なっている。豊島二冠は少年サンデーといったが天彦名人は羽海野チカ作品に違和感なく溶け込みそうだなと思う。

そんな二人が相見えた名人戦第1局は、1日目の14時過ぎにはすでに千日手の気配が濃厚に漂い、豊島二冠は千日手歓迎の姿勢を見せていた。天彦名人があと1手指せば千日手が成立する、というところを関係者やファンが固唾をのんで見守っていた。
というのもこの千日手が成立した時間というのが重要で、1日目の15時前に成立すれば即日指し直すことになるが15時を過ぎて成立すると翌日の2日目に1日制の対局として指し直すという規定があったのである。
このときの裏側のドタバタ劇が動画に収められている。

この対局は15時2分に千日手が成立し、名人戦第1局は異例の一日制で行われることになった。この規定は対局者の二人も知らなかったらしい。

このシリーズの命運が別れたとも言えるのは第3局で、最後は劇的な結末となった。
豊島二冠優勢〜勝勢と思われた終盤、天彦名人が持ち前の粘り強さを発揮し盤面を混沌とさせてついには逆転する。だが良くなってから勝ち切るまでがまた難しく「人間」の勝負は数字だけでは分からない。将棋は「最後に間違えた方が負け」とも言われ、「終盤は悪手の海を泳ぐようなもの」とは中原誠十六世名人の言葉だ。最後の指運でこの悪手の海を泳ぎ切ったのは豊島二冠だった。
豊島二冠はこの勢いのまま第4局を制し、見事名人位を奪取した。

この名人戦は2019年のことで、当然ながらその後も豊島竜王の棋士人生は続いている。その後は初防衛まで四苦八苦したり、起死回生の対局続きで竜王位を奪取したりといろいろありながら現在まで至っている。

終わりに

この文章を書こうと思ったのは王位戦を特集したワイドショーを見て「将棋を知らない一般の人には豊島竜王がどう見えているのだろうか」と思ったことが1つある。その番組内では杉本八段が「将棋を知ると人生が豊かになります」と話されていた。大げさな表現かもしれないが私自身、将棋観戦にズブズブと足を踏み入れるきっかけになったのがとある対局を見て「世の中にはこんなに面白い勝負の世界があったのか」と衝撃を受けたことからだった。
以下、豊島竜王の過去のインタビューを引用して紹介したい。

「あと、ファンの方も棋士の1人1人に焦点を当てて観てくださっている方が増えているように感じます。棋士の場合は、将棋を始めて奨励会に入り、プロになるために数年もの長い時間を将棋に懸けた結果、今がある、という物語があります。皆さんも好きな棋士を見つけていただき、そういった棋士の物語や個性に注目して見ていただけると嬉しいです。」
――扶桑社『プロ棋士カラー名鑑2019』P5 より

この記事はたまたま私が豊島竜王を応援しているので豊島竜王を中心に書いたが、一側面からの見方なのでいろいろ言いたいこともある将棋ファンもいるだろう。この世の事象は多面的であり、このようなバックグラウンドは棋士の数だけある。将棋盤は81マスしかないが狭くて深い、将棋の勝負の世界はいいぞ。


ここまでなるべくフラットな文章を心がけて書いてきたが一番言いたいのは
\\\ 豊島先生~~~~~!!!俺だ~~~~~~~~~~~!!!応援してるぞ~~~~~~~~!!!!!////
(8/19時点の限界オタクの気持ち)
書き始めは7/4でしたが推しの話をしたい私VSてめえごときが語るんじゃねえと思う私の戦いで書いては止め、書いては止めを繰り返していましたが、推しを応援したい私が殴り勝ったので本日の投稿となりました。

ーーー
以下、プロの将棋に興味はあるけど何から手を出せばいいか分からないという人向けに書いた記事です。

よりダイレクトなマーケティング記事です。

おわり

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