
子供の為めに生存している妻は生存の意味があろうが、妻を子に奪われ、子を妻に奪われた夫はどうして寂寞たらざるを得るか
これは田山花袋の蒲団の一節です
寂寞を広辞苑で調べると『心が満たされずにもの寂しいさま』とのことで、この一節はまさしく今の私の心境を表しています
良くも悪くも私には、私のことを慕っている19歳の少女が下宿をしにくる、といったことは無いので、少女に恋をして苦悩に囚われる心配はないのだが、いつの間にか嫌悪の対象であったはずのエロジジイが、むしろ共感の対象になっているとは、自分も俗な生き物だなと思いました
その向うに、芳子が常に用いていた蒲団――萌黄唐草の敷蒲団と、綿の厚く入った同じ模様の夜着とが重ねられてあった。
時雄はそれを引出した。女のなつかしい油の匂いと汗のにおいとが言いも知らず時雄の胸をときめかした。
夜着の襟えりの天鵞絨の際立きわだって汚れているのに顔を押附けて、心のゆくばかりなつかしい女の匂いを嗅かいだ。
性慾と悲哀と絶望とがたちまち時雄の胸を襲った。
時雄はその蒲団を敷き、夜着をかけ、冷めたい汚れた天鵞絨の襟に顔を埋めて泣いた。
思えばナボコフのロリータを読んだ時にも、あれはキモイおっさんと妖艶な少女の物語だと思っていたが、もしも今読み返したならば、おそらくは間違いなく性慾と悲哀と絶望に心を囚われた惨めな男の苦悩の物語と感じるのではないかと思います(まぁ、ロリータはもっと若いし、義理の親子なので状況は少し違いますが…)
何を言いたいかというと、一般的にはキモイおっさんであることに違いはないでしょうが、誰にも迷惑のかからないところで、人知れず蒲団に女の匂いを求めるくらいのことは寛容に受けれて欲しいと思いました だって私もそういう生き物だから
ところで、同じく田山花袋の書く少女病では、中年男が電車で見かけた少女にムフフとなって、実害は及ぼさないまでも、妄想が膨らみストーカー紛いのことを行っていた矢先、少女に夢中になりすぎて他の乗客とドンッと肩がぶつかって、そのまま線路に落ちて対向の電車に引きずられて線路を血で染める…という身も蓋もない結末の話なのだが
これ、世間的にはおそらく『キモオヤジざまぁwww』なんでしょう
わかりますよ、まぁ世の中そんなもんでしょう
そこに寛容さなんて求めないのがお約束ですよね
でもね、今の私にはわかるんです
電車に轢かれて死んだキモオヤジは幸せだったって