【日常茶飯事】人やものとのつながりを大切にしよう
昔は、当たり前のような習慣だったと思うのですが、最近は、自分と他人の距離感を、うまくつかめない人が多く、驚くようなことに出くわすことがあります。
How to本や、マニュアル本など、やり方は、本やインターネットで調べれば、何となくこなせるのだけど。
だけど、内面の気配りや、気遣いの仕方は、本や、インターネットで学ぶのではなく、普段の日常生活の中で、学んでいくものだと思います。
たとえ、マナー教室に通って、完璧であっても、それは、技を学んだのであって、心を学んだうちには、入りません。
その技を、日常生活に活かしていくうちに、心も伴ってきて、本物のマナーになっていくのだと思います。
親しき仲にも、礼儀ありって言いますよね。
されど、心が伴わない形だけの礼儀であれば、相手の心にととかず、感動も長続きしないんじゃないでしょうか?
ウェブ上のSNS性においても、パーソナルな側面(「関心」、「コミュニティ」等)も持ち、それを通して、人と人との「つながり」を生む仕組みを、推進・サポートするように設計されています。
そう、私たちは、バーチャルでも、リアルでも、周りの人の優しさに、たくさん助けられているから、ね(^^)
【今日の一言】
「そこにある
目に見えない熱のかたまりが、そこにある。」刺繍家hoshi mitsuki(星 実樹:ほし みつき)
【今日の短歌】
■つながり
「ねむりゐるからだのうへに猫が来てひとつながりの闇となりたる」
(小島ゆかり『さくら』より)
「屋外は現在、屋内は未来、中庭は過去、につながりて夜の秋」
(松平修文『トゥオネラ』より)
「弥生三日雛の流るる見にゆくときみもさびしきひとりなるべし」
(辺見じゅん『雪の座』より)
「キリストに臍あることのかなしみにつながっている夜の水道」
(山下一路『スーパーアメフラシ』より)
「相槌がみづで笑ひが花だらうほそき花瓶のやうに話せり」
(藪内亮輔『海蛇と珊瑚』より)
■優しさ
「無縁なるものの優しさ持ち合ひて草食む牛とわれとの日昏れ」
(中城ふみ子『乳房喪失』より)
「夏山をつぎつぎに行く雲の影どの雲というかげではなくて」
(池本一郎『樟葉』より)
「緑道の暗渠に流れゆく水に息をあわせて あわせて ねむる」
(鯨井可菜子『アップライト』より)
「かぜをかぐつちふかくほる 昨日からテオには春がきているらしい」
「あなふかくおおきくあれど今日明日はうめずにおかむ あなをてらす月」
(佐佐木幸綱『春のテオドール』より)
「優しさは傷つきやすさでもあると気付いて、ずっと水の聖歌隊」
「増やしてもよければ言葉そのもののような季節があとひとつ要る」
「青いコップ 冷たいことを知りながら触れるとひとつ言葉は消える」
「水槽の中を歩いているような日は匿名になり月になる」
「やがて言葉は届くだろうか蛇口から水は刀のように眩しく」
「噴水よ(人が言葉を選ぶときこぼれる言葉たち)泣かないで」
「きみが発音するああるぐれいほどアールグレイであるものはない」
(笹川諒『水の聖歌隊』より)