【日常茶飯事】ほほに当たる風が柔らか♪
都会に暮らしていると、自然と接する機会は、あまりないのかもしれませんね。
例えば、東京も、実は、思いのほか、外緑地帯が多いのですが、自然と言っても、庭園や公園のように、人工的に作られた空間があるばかりです。
私たちは、晴れでも、雨でも、嵐でも、変わらず、電車や、バスに乗り、職場へ向かいます。
そこに、自然を感じる余地は、あまりありません。
せいぜい、「暑い」、「寒い」、「じめじめする」、そんな快/不快を感じるのが関の山です(^^;
それは、もしかしたら、自分の感情や、自然に沸き起こる感覚を、ないがしろにしていることになっているのかもしれないとは、思いませんか?
通勤時間帯の雨や、嵐を楽しむことは、なかなか難しいかもしれません。
梅雨の時期の満員電車を思うと、雨は、歓迎せざるものであるかもしれません。
でも、時には、子供の頃の感覚を、思い出してみませんか?
それはつまり、自分の本当の感覚、生きているという感覚を、取り戻すことだと思うのです。
生きているという感覚を取り戻すことは、豊かな人生を送ることに、直接繋がっています。
いつの間にか咲いている街中の花に気付くように、自然の小さな変化に気付けるとしたら、その細やかな感覚は、人の気持ちの機微に、気付くことに繋がっていくでしょう。
それはやがて、豊かな人間関係を育み、豊かな人間関係は、あなた自身を豊かにしてくれます。
そんな風に、人として豊かになっていくでしょう。
毎朝聴く、鳥達の囀りのように、周囲の変化に惑わされず、自分自身を感じて、毎日を過ごすことができたとしたら。
「カナリヤの囀り高し鳥彼れも人わが如く晴を喜ぶ」
(正岡子規『竹の里歌』より)
雨が降るのは当たり前。
降ったら降ったで、それに応じた楽しみ方がある。
「耳の奥に飼うかたつむり朝窓を打ちはじめたる雨をよろこぶ」
(久々湊盈子『非在の星』より)
そんな風に、自由自在になれた自分がいたとしたら。
どんなに豊かなあなたになっているでしょうか?
「はや葉月 街のはなやぎ運び来る友の日傘はまぶしすぎるよ」
(永井陽子『小さなヴァイオリンが欲しくて』より)
さあ~て、季節の気配に、こんにちは!
でも、しに行きませんか?(^^)
「太陽がだんだん弱くなる日々のうつろになってゆく広葉樹」
「ありそうでなかった想いわきあがる樹木は生きるためにとどまる」
(東直子『十階』より)
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